昨日は全国的な暑さ
札幌は28度8だそう・・・
札幌の庭のライラックが咲いたと娘よりライン
毎年切らなければなぁー・・・と思っているのですが。
今札幌は一番美しい季節
ライラックまつりも復活したらしい。
ふと
吉井勇の
・家ごとにリラの花咲き札幌の人は美しく生きてあるらし
の歌が浮かんだので調べてみた。
当時、北海道新聞紙上で発表された作品は、次の五首。
「北遊小吟」吉井勇
家ごとにリラの花咲き札幌の人は美しく生きてあるらし
大学のポプラ並木路往き往けば中谷宇吉郎現れて来るかに
啄木をふと思ひ出ぬ紋付の木綿羽織の色の褪せしを
時計台に夕日あはあはと射す見ればわが旅心地ここに極まる
永遠といふことなどを思ひゐぬ石狩平野見はるかしつつ
(北海道新聞/昭和30年6月16日)
ライラックの花に感動した歌人・吉井勇
新聞掲載作品のうち「家ごとにリラの花咲き札幌の人は美しく生きてあるらし」の一首だけが、札幌市民の記憶に深く刻まれる作品として、語り継がれていくこととなる。
吉井勇歌碑には「家ごとに リラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし」の歌が刻まれている
大通公園に、この作品を刻んだ文学碑が建立されたからである。
石川啄木や北原白秋と仲間だった吉井勇
吉井勇は、1886年(明治19年)、東京生まれの歌人。
吉井勇歌碑の横にもライラックの小さな樹がある
明治41年に北原白秋らと「パンの会」を結成するほか、明治42年の『スバル』創刊にあたっては、同い年の石川啄木らとともに編集に携わる。
札幌滞在時は74歳で、日本歌壇の大御所的な存在。
「啄木をふと思ひ出ぬ紋付の木綿羽織の色の褪せしを」では、亡き友・石川啄木を偲び、「大学のポプラ並木路往き往けば中谷宇吉郎現れて来るかに」では、雪の研究で有名な中谷宇吉郎博士(北海道大学)を歌いあげている。
このとき、中谷宇吉郎は60歳で、病死する2年前。
大通公園には吉井勇の旧友・石川啄木の歌碑もある。