先日の道新・・・今日の話題「いずみ70年」より
くらし報道部長の佐藤宏光氏
北海道新聞くらし面の女性投稿欄「いずみ」は、終戦10年後の
1955年1月に始まり、これまでに2万本を超える女性の思いを伝えてきた。
昨年8月、いずみ係宛に届いた一通の封書。古いいずみの切り抜きが入って
いた。62年8月20日掲載「あの時の坊や」
終戦の年、樺太(サハリン)からの引き揚げ船で明け方、異常な衝撃に襲われた。
魚雷で船底に穴があき、波が来るたび人々は海に消えてゆく。ふと見ると、赤ちゃん
を抱いた女性がぼうぜんと立っていた。船底から現れた母親がその子を預け、また船底に
向かって戻らない。預けられた女性は「縁があって預かった。大切に育てる」と言ったー。
そんな内容だった。
凄絶な「三船遭難事件」の体験の切り抜きを送ってくれたのは、札幌市の内保美知代さん(90)。
中略
子どもは生きていれば80歳くらい。生みの親、育ての親の二人の母親の愛に守られ、きっと元気に
生きているはず。内保さんは、涙ぐみながら、そう想像している。
数十年ぶりにノートから出てきた切り抜きを「編集者に読んでほしい」と送ってくださった。重い
経験も紹介してきたいずみ、これからも女性の思いを伝え続ける。
私達一家も樺太からの最後の引き揚げ者である
三船遭難事件のことは亡き母から何度も聴いていた。
あの時急いで引き上げなくて良かった・・・AさんもBさんも死んだ・・・。
何度も呟やいていた母のこの言葉が私の耳から離れなかった。
大人になってから私は遭難事件の新聞切り抜きなどを集め
ファイルに大切に保管してきた・・・遭難事件の記事を読むたびに
私の心はざわついた。
還暦になりと再会した時
その話をすると彼は知らなかった・・・少なくともジャーナリストのはしくれだった
彼が・・・意外であり残念だった。
その後彼は私の資料を読み
小説を書いた。
この新聞の切り抜きも大切にファイルに保管して置こう・・・風化しないように。
あの時の坊やが元気でいますよう・・・祈りながら。