伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

北大のよさこい「縁」

2024-06-30 20:12:56 | 青春
昨日の午後ぼー
と何気にテレビをみていた
 
偶然
 
 
北大のよさこいチーム縁がテレビに出ていたので
身を乗り出した。
九州の熊本?
のお祭りに出場11人
その他にも各チームを作り全国を回っているとのこと
それが9月まで続くとのこと
皆さん自炊して雑魚ね
こういう青春もあるんだぁーと感心
でも
学業は・・・とおもってしまうわたし
 

 

 

北海道大学"縁"
 
芸術・技術
YOSAKOIソーランチーム
「周りを巻き込み、ゴキゲンな流れをつくる」というコンセプトのもと、全国各地のお祭りに参加しています。
 
 
しばし

自分の青春時代を思い出した。
 
友達と北大の恵迪寮祭に招かれ
 
寮に案内され、あまりにもの汚さに驚いた記憶がある。
 
今は新しい寮で優雅なようですが・・・。
 
熱き青春を謳歌して次の人生につないて゛ください・・・。
image120.gif
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

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道新さんからの謝礼と遠い日の三人

2024-05-08 04:45:09 | 青春

先日のいずみ掲載で

昨日道新さんから書籍と謝礼が送られてきた

ありがとうございました。

富美ちゃんと中学時代のMちゃんの話も少し書いたが

タイミングよく

先日朝早くMちゃんから数年ぶりに電話・・・驚いた。

今は仙台の長女さんと暮らしている

札幌の家は10年以上そのまま

そろそろ整理しなければと今札幌にいるらしいが

すぐまた仙台に発つとのこと

声に力がなかった。

仙台の家の階段を一段踏み外し尻もちをつき

腸がヘルニアになり手術し

その後

体調が悪く体重が減り続けているそうである。

高齢者・・・転ぶことは危険である。Mちゃんの

終の棲家はどこになるのかなぁー

仙台でも札幌でも自分の居場所を作って欲しい

人一倍苦労した人生だったのだから・・・。

遠い日・・・20歳の富美ちゃんとMちゃんそして

私の三人が朝まで将来を語り合った北湯沢の一夜が懐かしい。

そして

その後の三人の波乱に富んだ人生

小説よりも奇なり・・・。

Mちゃん富美ちゃんの分も元気で長生きしょうね。

還暦の三人。

 

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古い写真

2022-08-07 18:06:31 | 青春

20代前半旅行

就職した年

珍しい写真が出てきた。

リュックを背負ってキャラバンシューズをはいて

旅行中

軽井沢。

今日の綺麗どころ・・・庭の花を摘んで

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私たちの旅立ち・・・伊達紋別駅と

2022-03-23 13:01:06 | 青春

 春三月弥生・・・それぞれの旅立ち

朝がた高校時代の二人の夢を見た

リアルだった。

過去のブログより・・・。

旅立ちの日

2015-03-08 12:37:22 | 青春
 弥生三月は旅立ちの日だ・・・・

   私も昭南さんもこの伊達駅が


   出発点だった。



   私は一年先に札幌へ


   昭南さんは東京での生活費を蓄えるべく


   また一年働き


   上京した・・・・。




地図帳を見て

  自分の受験する明治大学に近い


  お茶の水の近くの新小岩駅にチッキで


  荷物を送り

  アパートは着いてから捜すという


  ぶっつけ本番ぶり



  その日のうちにアパートを決め

  荷物を取りに行った・・・・。



  私の記憶では


     東京に着いてすぐ

     住所のない手紙を貰ったけど・・・・


     と今日新たに訊くと



     あぁあれは着いてすぐ手紙を出したんだょ・・・・


     だって


     フウーン私たちはあの時からつながっていたんだ。


         37年もの空白があったけど・・・・サ。





  


 小説「雪のふる街」には


    昭南さんの青春が描かれている



   最後の場面


     伊達駅から旅立ちの日



   「ガランとした車内の席に戻った彼は、目蓋を閉じ、背もたれに

    頭をのけぞらせて深く長い息を吐き、やがてつぶやいた。


    「俺は荷物になった。俺は荷物になった」


    鋭い汽笛を鳴らして、汽車は早くも残雪の枯野をひた走っていた。」




  









     それから昭南さんの辛くても希望に満ちた青春

       

       そして長いながい40年もの東京での生活が始まった。



    






 







    昨日姪の次男T君の北大合格で


    自分たちの青春を偲んだ



    T君いよいよ船出だネ

      悔いのない学生時代を過ごしてネ


      親に感謝だネ


      そして今まで見守ってくれた全ての人にも・・・


        それにしても北大とはうらやましい限りデス。



 最後に

 昭南さんの著書「雪のふる街」のあとがきより

 

 「青春時代は誰にとっても長く、そして一生の

  内で最も鮮やかな記憶の中に在る。

  苦しみに満たされていても、楽しさに光輝いて

  いても、共にその時代の記憶だけは消し去る

  ことはできない・・・」



 

 

 

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長和中学校の応援歌訂正させていただきます

2021-11-21 12:38:15 | 青春

昨日長和中学校の応援歌の当ブログにコメントをいただきました。

ここに謹んで訂正させていただきます。

夫も長流川がとんでもなくスケールアップしたんだぁー

と苦笑しております。

AKIHITOさまコメントありがとうございました。

 

長流(長和)中学校の校歌と応援歌・・・昔を偲ぶ

2017-09-13 17:01:15 | 思春期


当時の長流中学校の(後に長和と改名)

 応援歌

  有珠岳の嵐に耐えて

  駒が岳の夕陽を仰ぎ

  隠忍自重の習い

  試すべき時はきたれり


  長江の潤す原に紅の旗をかざして


後は忘れた・・・。


  ここまでスラスラと


  唄う


  フツフすごい歌詞で恐れ入りました。

格調高し


  それにしてもよくまぁー60年前の応援歌がスラスラとでてきますネ


  数か月前に覚えたみだれ髪の歌詞を忘れるさんとは

  違うよ・・・


  鼻高だか・・・それにしてもすごすぎ。


  じゃー校歌は・・・


  ウーンとつまり書斎から中学校のアルバムを持ってきた。



   カビ臭し


  


 脇に書かれたのスケツチが上手過ぎ

 やっぱし絵の才能もあったのネ


 


 


 当時の長流中学校・・・今は小学校に改築された。


先日の長和神社祭の初日はこの近くであった。


 


 夢多き多感な頃の

 思春期の幼さが残っている14歳


 まん中で学生服を着て笑っているのが


 顔デカシ


 



 40年振りに第二の故郷伊達に帰り


 心残すことはないでしょう・・・後は自分の健康と向き合い

 ゆるりと

 老後を愉しんで欲しい・・・。


  



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1 コメント

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少し訂正させていただきます (AKIHITO)
2021-11-21 03:13:51
62年前に長流中学校から今は無き長和中学校に校名が変わった最初の生徒です。野球部の投手、そして陸上では伊達中とトップ争いをしており応援歌もよく聞きました。6年前に東京から地元に戻ってきましたが、残念ながら懐かしい中学校は無くなり、近く小学校も統合されるような話も聞いています。ネットで懐かしんでいましたところ、このブログに出会いました。ところが応援歌が私の記憶と違っていましたので訂正させていただきます。 
 有珠岳の嵐に耐えて 黄金なす稲穂の如く 隠忍  
 持久の習い 試すべき 時は来たれり!      
 フレーフレー!ナガワ!!
でした。ブログのかたの応援歌に駒ヶ岳の名前が入っているところをみると伊達高校の校歌、長流川を長江(黄河)、加えて紅の旗の歌詞からすると中国革命とごっちゃになっているのではないかと思います。ブログの方が6年生の時に私は小一でした。写真の中に見覚えのある先輩が何人かいらっしゃいます。せっかくのコメントに水を差すようでごめんなさい。
 

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