蝦夷梅雨でのびのびになっていた
トマト キュウリ インゲンの支柱立てをした。
もちろん私は助手
長い間は一人でこれをやっていたのネ
けっこう細かい仕事です。
トトも外に出たいと鳴いているが無視
インゲンの支柱
トマト キュウリの支柱
今日はここまで
まだ未完成なのでございます。
蝦夷梅雨でのびのびになっていた
トマト キュウリ インゲンの支柱立てをした。
もちろん私は助手
長い間は一人でこれをやっていたのネ
けっこう細かい仕事です。
トトも外に出たいと鳴いているが無視
インゲンの支柱
トマト キュウリの支柱
今日はここまで
まだ未完成なのでございます。
「ちよっと見せてくれ」
高志はしゃがみこんで、彼女の紐付きシューズの足首に両手を当てた。
静かに数か所を押し、支えたままそっと褄先を動かし、千恵の表情と声の反応を見てから言った。
「折れてはいないが挫いていると思うので、出来るだけ動かさないで病院に行こう。
まずはこの斜面から出よう」
高志の動きは冷静で何だか場慣れている。
彼は知恵を右脇下から抱え上げるように腕を入れ、反対側からはあやに肩を貸すように指示した。
清子にはあやの後方から腰のベルトを支えさせた。
こうして両脇から抱え上げられながら、千恵はじわじわと急な斜面を登った。
誰か一人が足を滑らせれば、事態は更にめんどうなことになる。
千恵は時折顔を引き吊らせたが、声は上げなかった。
ようやく小径に戻った時は、皆がへたりこんで、暫くは荒げた呼吸ばかりで声も出ない。
「さてと」
ややあってようやく高志が、清子を見て言った。
「先に行って鉄さんにこのことを報せて下さい。千恵さんを船で港に運び、病院に連れて行って
くれるよう話して下さい。
そろそろ港に行く時間だけれど、間に合うでしょう。
あやさんは千恵さんのリックを背負って下さい。僕とあやさんの荷はここに置いていきましょう」
清子が一人で先発した後、高志は千恵に背を向けてしゃがんだ。
「ボチボチ行こうか」
時々S君のことを思い出す
娘が幼児の時だったからもう30数年になる。
S君は田舎で祖母と暮らし
中学になった時に札幌の父に引き取られる。
姉が一人いた。
荒れた生活で当時担任は毎日朝電話して起こしていた。
新聞配達をしていた。
そんなS君のことが職員会議でも話題になった。
私は彼の学年には所属していなく
教えてもいなかったが
娘を保育園から自転車に乗せ帰る途中
S君の新聞配達にバッタリ
思わず
S君頑張っているネ・・・と声をかけたが
プイと横を向き無視された。
それ以来S君には声かけしなかった。
小柄でふてぶてしく目つきも悪かったS君
二年生になり
成長するにつれ顔が生き生きしだした。
二年生の時も同じ男の先生が担任だった。
彼は動物園に行ったことのないS君のために
日曜日に連れて行ったりしていた。
三年生になり
担任が女先生に代わった。
修学旅行の時はこっそりS君のためにお弁当を作って
行ったりとそれはそれは職員一同気を使っていた。
修学旅行のレクでは主役を演じ
落ち着いたかに見えた。
それが突然のマンションからの飛び降り自殺
どんなに担任は辛かったことか
いつも子犬のようにじゃれ合って遊んでいた
仲間はいじめ・・・と報じられ
生徒が言わなかったことまで虚偽の新聞報道
毎日のように遅くまで職員会議。
小さな子供を抱えた私も本当に辛かった。
会議に娘を連れてきたように思う。
でも
本当に辛かったのはS君だったろう。
前にも一度このブログにも書いたと思うが
自殺する何日か前
新聞配達しているS君に声をかけられた。
修学旅行楽しかった・・・と聞くと
はいと元気よく応えそばにいた娘の頭を優しく
撫でてくれたりした。
あの野生児だったS君がこんなに変貌するなんて・・・
もう
大丈夫・・・と私は胸をなでおろしていたのに
S君の行動はショックだった。
天国で安らかに眠っているだろうか・・・と時々
思う
切ない・・・現役時代で一番忘れられない
悲しい思い出である。
たった一つ
書き置きがあった。
「もう人間やめたい」
S君のことは過去ブログに詳しく載せています
カテゴリ「教え子・学校」
札幌のゆきちゃん
少し顔が細くなったみたい
食欲もあまりないが
私たちが食事をすると必ず隠れ家から現れる
肉とかハムは食べないが
焼き魚が大好き
相変わらず皮とか骨を貰うと銜えていそいそと隠れ家に
隠れる。
二日ほど寝室に現れ
娘の背中を嗅いだりしていた・・・ふっふ。
娘は手を噛まれ病院通いをして以来
ゆきちゃんをますます警戒するようになった。
時々行く私のほうにゆきちゃんは慣れている。
そんなこんなで
ふたりの仲をとりもつために
おやつをやったら
ふたりとも恐る恐る
娘の手から初めておやつを食べることに成功。
これで
少しは距離が縮まったかしらネ。