作日の室蘭民報に
猫と音楽の喫茶50年のミルクが紹介されていた。
中島みゆきも通っていたとのこと
ここで
「ねえミルクまたふられたわ」
の「ミルク32」が作曲されたらしい・・・
私は彼女は天才だと思うが
どうしてもあの唄いかたが好きになれない
とが言う。
ここに何度も書いたけれど
私の大学の後輩であるが・・・
それがどうした・・・ナンテネ。
でも
あの感性は稀有
まだまだ
素晴らしい歌を生み出すでしょう
生み出してほしい。
作日の室蘭民報に
猫と音楽の喫茶50年のミルクが紹介されていた。
中島みゆきも通っていたとのこと
ここで
「ねえミルクまたふられたわ」
の「ミルク32」が作曲されたらしい・・・
私は彼女は天才だと思うが
どうしてもあの唄いかたが好きになれない
とが言う。
ここに何度も書いたけれど
私の大学の後輩であるが・・・
それがどうした・・・ナンテネ。
でも
あの感性は稀有
まだまだ
素晴らしい歌を生み出すでしょう
生み出してほしい。
先日が古い歌を口ずさんでいた。
その歌なんていう歌
昔日大出身の同僚がことあるたびに唄っていたので
憶えたんだ
哀調のある唄だった。
ネットで調べると鶴田浩二が唄っていた。
ネットより
蒙古放浪記 作詞・作曲 不詳
蒙古放浪記は昭和初期に歌われた大陸雄飛の歌である。日本民族発生の地である蒙古平原を思慕する、ロマン派男児の声が聞こえて来る。
蒙古放浪記
1、心猛(こころたけく)も鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等と何時亦会はん
2、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど 生きて帰らむ希みはもたぬ
3、砂丘を出て砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
明日も河辺が見えずば何処に 水を求めん蒙古の砂漠
4、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
大和男の血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路
5、負はす駱駝の糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越えなん蒙古の砂漠
歌が世に出たのは、アジア大陸進出が本格的に進められた昭和初期。
戦前、若者達がアジア大陸に憧れ、満蒙流浪の旅を夢見た時代があった。この歌は旧制高校の逍遥歌や寮歌のように扱われ、現在まで大学応援団などの学生達によって伝承されてきた。
加藤登紀子が歌っていた。旧陸軍中野学校で愛称された「三三壮途の歌(さんさんわかれうた)」の元歌でもある。
昭和6年の満州事変で、関東軍が満州全土を占拠したが、これを契機に国策で満蒙開拓と称し、満州、内蒙古への日本人農業移民が始まった。
しかし満蒙開拓には夢と現実とのギャップがあった。移民は、自ら身を守るため軍隊から武器を与えられ、訓練を受けた武装集団でもあった。
27万人の移民が終戦で置き忘れられ、逃避行で8万人の死者を出した。満蒙開拓は、一からの開拓ではなく、農地の60%が農地買収で得たもので、時価8%~40%で強制買収された。
特に満州国では国土総面積の14.3%に当たる農地が日本に買収されている。植民地統治勢力の庇護の下での構造的な収奪とも言える。
(数字などwikiより)売り渡した現地農民は、自分達が食べるためにまた、新たな開拓をやったと思われる。