伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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千年の古都

2023-06-29 04:14:12 | 音楽

 先日のカラオケ店

元童謡の会で一緒だったS子さんも参加した。

彼女の唄った歌に心魅かれた

曲も歌詞も良い

抒情的で・・・心に残っていたので

早速CDを購入した。

演歌の都はるみが唄っていたので意外だった。

私は彼女のこぶしが嫌い・・・作曲家の弦哲也の歌声が

聴きやすかった。

勿論S子さんも素直な唄いかたで良かった。

歌:都はるみ

作詞:吉岡治

作曲:弦哲也

発売:2005

約束もなく 日が暮れて
衣笠山に 一番星です
蚊柱を追う こうもりも
機織る音も 変わらないですね
夏は 火の車 抱いたまま
冬は 心に闇を 凍らせて
母が唄った 星の歌
あの星は あの星は
あなたにとって 何ですか

※あぁ 時は身じろぎもせず
悠久のまま
あぁ 時は身じろぎもせず
悠久のまま
千年の古都※

これほど星が 多いとは
ガラスの街で 忘れていました
根付の鈴を 嬉しさに
地蔵の辻で 鳴らしてみました
春は 秘めやかに 若葉雨
秋は 燃えたつような 曼珠沙華
母が祈った 流れ星
陽は昇り 陽は昇り
別離と出会い 繰り返す
あぁ 夢は老いることなく
悠久のまま
あぁ 夢は老いることなく
悠久のまま
千年の古都


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私の愛唱歌・・・絶唱

2023-03-11 23:10:09 | 音楽

 私の昔からの愛唱歌・・・心の歌

 舟木一夫の絶唱である。

 と再会した時

 池袋のカラオケでこれを唄ったところ

 大うけ

 舟木一夫より上手い・・・だって

 人の好き好きですけれどね。

 てな訳で

 昔から好きな歌なのだけれど

  カラオケで唄っても点数が80点

 もいかずシュン

 ところが

 最近90点以上出たのでびっくり

 より 精密になり表現力も加味されるようになったからかしら・・・?

  点数云々よりも好きでよく口ずさんでいた。

 から来年の学芸発表会にはこれを唄ってとリクエストされた

 さて

 どうしたもんか

 思案ナメクジ・・・?

 随分と映画化などされたみたいである。

ウイキベテアより

 

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坊がつる讃歌・・・青春時代

2022-11-09 04:36:25 | 音楽

先日M子さんに頼まれていた坊がつる讃歌のCDが届いた。

哀調のある曲でテレビで聴いて好きになったそうである。

学生時代北大の歌声サークルに友達と何度か顔をだしていた

時があった。

その時に唄い私も好きだった。

その後ススキノにあった歌声喫茶等で何度か唄ったことがある

懐かしいー。

伊達の童謡の会でも唄った。

 

人みな花に酔うときも

 残雪恋し山に入り

 涙をながす山男

 雪解の水に春を知る

 

ネットより

『坊がつる讃歌』は、大分県竹田市の盆地・湿原「坊ガツル」を題材とした愛唱歌。作詞:神尾明正、補作:松本征夫、作曲:竹山仙史。

NHK「みんなのうた」で1978年6月に初回放送された。歌:芹洋子(せり ようこ/1951-)。同年末のNHK紅白歌合戦において、芹洋子は同曲で初出場を果たしている。

写真:坊ガツル湿原(出典:ツーリズムおおいた 大分県観光情報サイト)

元歌・原曲は、広島高師山岳部の部歌『雲に消えゆく山男』。これを九州大学の学生が「坊ガツル」を題材に替え歌した。

この替え歌はその後、九州の山岳愛好者の間で広まった。1977年には、歌手の芹洋子が野外コンサートで阿蘇山麓を訪れた際、宿舎で若者たちにこの替え歌を教えてもらったという。NHK「みんなのうた」での放送はその翌年のことである。

 

 山男ならぬ山女・・・私の青春

 

 

 

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小椋佳コンサート・・・永遠の少年

2022-10-25 09:21:36 | 音楽

補足あり

今日は小掠佳のコンサート・・・Tの送迎で

行ってきた。

も体調も良く安堵。

78歳にして声の伸びも良くトークも最高

演歌の唄いかたにも辛口の一家言を述べ

なるほどと感心した・・・勉強になった。

帰りは三人で牧家で遅い夕食

とっても美味しゅうございました。

初めて入ったTも

良いお店だと感心しきり。

これからは

和さびも大徳も待ってるよ

白老いのウポポイにも行かなきゃ。

 

 少しも老いていない・・・小椋佳はロマンチストだ

 17歳の少年の唄を聴いてきた

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別れのブルース・・・エピソード

2022-10-18 10:48:55 | 音楽

 ネットより

1999年9月22日淡谷のり子さん逝去。92歳。直後某テレビ局で追悼特番が組まれました。その中で、生前の淡谷さんが「別れのブルース」にまつわる印象的なエピソードを語っていました。


太平洋戦争末期。淡谷さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちの前で別れのブルースを歌っていると、後ろで立って聴いていた若い兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出撃のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けておりましたから『あヽ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。
 しかし「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」。そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。
 「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」
 

残酷な時代だった。

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