人々は自分が信じる宗教を真実と思っています。これが宗教争いの原因です。
仏教の教祖はガウタマ・シッダールタです。それなのに現在仏教宗派は無数です。誰でも無数の宗派の核心は同じであることを理解できます。各宗派が自分が正しいと主張するのは、脱皮成長を経験していない人が、我を主張するのに等しいと思います。キリスト教も同じですね。
日本の神道は多神教で、日本の宗教学者は歴史的には原始宗教(アニミズム)の範疇とみなし、教えがないなどと批判的ですが、アメリカ・ヨーロッパの宗教論に影響された曲論で、真剣な宗教研究の成果ではありません。
日本では神道は決してすたれていません。外来宗教で消せない心の宗教になり、現代も神道は主流です。仏教は神道に並ぶ信者数をもっていますが、神道を圧倒する力がありません。神道とやっと共存している状態です。キリスト教に至っては日本ではマイナーです。アメリカ・ヨーロッパの宗教なのに不思議です。日本人の心にはいる隙間がないからです。
神道に教えがないのではなく、教えは文章化されなくても日本人の心に書かれているというのが事実と思います。近世、文章化する努力がなされ、教えのある神道系新宗教が数多く存在します。
現代宗教学は、比較論から、各宗教の枝葉をとって根幹に迫る宗教核心追求論に転じるべきです。
神道の八百万(やおよろず)の神々(精霊)がとんちんかんかよく考えてみてください。反対に日本の人々の感性の鋭さを感じます。神々の中から「人の神」を取り出し、人の精霊をよく考えてみてください。仏教信者が仏を感じる感性、キリスト教信者が聖霊を感じる感性に近似していることがわかるでしょう。
神道については神社神道、皇室神道の研究にとどまらず、原始神道に迫るべきです。日本の人々の心に書かれている神道はむしろ原始神道です。日本という風土の中で先祖は数十万年生きてきました。神社神道が誕生したのは1500年前ぐらいのことでしょう。皇室神道もそうでしょう。1500年程度の神道が、数十万年の神道を消せる訳がありません。
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