人が社会を形成するのはその方が生きやすいからです。実は孤独では生きることは容易ではありません。ところが現代人は現実を誤解しています。
日本は戦後社会福祉が進んでいる国を模範とし、社会福祉体制を構築してきました。年金制度、医療保険制度です。私は60歳で、これまで掛け金を払ってきた、当然の権利だと思って社会福祉制度を享受してきました。自分の人生論は変えず、一生懸命生きながら、社会福祉制度をフルに利用しました。
夢のような人生が実現しました。自由自主の度合が高まったと感じました。政府がいう老人になって若い頃やりたいと思っていたことを自由にできるようになりました。情報システムの発展は、私の人生を一段と豊かにしました。便利な社会システムのおかげです。自分の企画を実行するために情報を集めることができる、資本を集めることができる、物をそろえることができる、組織をつくることができるという便利社会が実現しています。
今84歳、老病に苦しみながら、現代治療を受けながら、体の動きが悪いなと思いながら、自分がやりたいことに注力し、現代社会システムをフルに利用し、気持元気で、組織までつくり、十分な成就感、満足感、幸福感を味わっており、80代は自分にとって人生最高のときと想っています。
痛い、食欲がない、気持が悪いなどの症状がでると、気持ち元気を失うと思いますが、不思議なことに気持ち元気を失わない状態です。
便利な社会システムのおかげでもありますが、神的存在が私が生きることを助けているという信仰が私を気持ち元気にしていることは確実です。
私は神的存在は私に内在していると信じています。精神構造は、自分で活動を認識できる自我と、認識が容易ではない、しかし活動を感じることができる精神本体からなると信じています。わかりやすく言うと、たとえばキリスト教が教える「聖霊」は、実は外なる神から、信仰することで自分に下るのではなく、母の胎内に私が存在を始めた時から私の中で活動しており、私を生かしているということだと思います。
その上、社会システムが便利ですから人生は幸福です。
ところが、アメリカ、中国、ロシア、そして日本などの国は、国威、国権、国益と言って、同盟したり、対立したりして人々の自由自主を邪魔し、混乱に陥れ、戦争への道に誘導します。原因は権力者政治家の権力欲の追求です。国という社会システムを悪用しています。
国主義の限界がわかるのではないでしょうか。人主義を考えないと幸福にはならないのではないでしょうか。人主義はガウタマ・シッダールタの生き方が参考になります。国を捨て、1人の人として世界をよく観察し、不安の原因を知り、悟り、戦乱の現実の中にあって平安に生き生きと生きました。
老人になって信者が親切で出した食事にあたって亡くなったそうですが、そんな死も動揺することなく、信者を非難することもなく、受け入れ、人生を終えたそうです。彼は自分を不幸と思わなかったでしょう。
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