goo blog サービス終了のお知らせ 

退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩、卓球
さて何をしようか

止まってみて、はじめて見えること

2014-06-19 07:21:10 | 韓で遊ぶ

6章

修行の章


「自分の心も自分の意志通りにできないでいながら
どうして他の人を変えることができるだろうか」

ただ眺める練習







「和尚様、心が寂しいです。私はどうしたらいいでしょうか。」

ただ、その気持ちをだまって放っておきなさい。
自分が捕まえておかないでだまって放っておけば、その気持ち
知らないうちに、ひとりでに変ります。

庭にある木を見るように、
川辺に座って流れる水を眺めるように、
自分のものだという考えや執着なく
ただ、ぽんと置いてその感じをただ眺めなさい。
「憂鬱だ」言う言葉の後ろに隠れている言語以前の感じ自体を
2,3分だけ息を殺しながら
静かに観察してみると
微妙にその感情が明らかになっていくのが見えます。

その憂鬱な感じは「自分が作らなければ、、、」と
意図的に作ったものではないから。
因縁によってしばしの間、生じた感じだから、
因縁によってまた、自然に消えてしまいます。

ここで、自らがたびたび「憂鬱だ、憂鬱だ」と
言い続けていたら
感情が明らかになる状態なのに
いつも憂鬱な心に戻って
その感じだけがずっと増幅される結果をもたらします。

だから、その言葉、その考えすべて放っておいて
その感じが湧き上がったことに気づいて
ただ、静かに変る姿を観察しなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする