
6章
修行の章
「自分の心も自分の意志通りにできないでいながら
どうして他の人を変えることができるだろうか」
ただ眺める練習
「和尚様、心が寂しいです。私はどうしたらいいでしょうか。」
ただ、その気持ちをだまって放っておきなさい。
自分が捕まえておかないでだまって放っておけば、その気持ち
知らないうちに、ひとりでに変ります。
庭にある木を見るように、
川辺に座って流れる水を眺めるように、
自分のものだという考えや執着なく
ただ、ぽんと置いてその感じをただ眺めなさい。
「憂鬱だ」言う言葉の後ろに隠れている言語以前の感じ自体を
2,3分だけ息を殺しながら
静かに観察してみると
微妙にその感情が明らかになっていくのが見えます。
その憂鬱な感じは「自分が作らなければ、、、」と
意図的に作ったものではないから。
因縁によってしばしの間、生じた感じだから、
因縁によってまた、自然に消えてしまいます。
ここで、自らがたびたび「憂鬱だ、憂鬱だ」と
言い続けていたら
感情が明らかになる状態なのに
いつも憂鬱な心に戻って
その感じだけがずっと増幅される結果をもたらします。
だから、その言葉、その考えすべて放っておいて
その感じが湧き上がったことに気づいて
ただ、静かに変る姿を観察しなさい。