
自分の心と
親しくなりなさい。
人々との疎通のためツイッターをはじめた後、多くの若い人たちが私に質問してきた。上手くいかない恋愛問題、人々との関係で生じる問題、家族の不和、かなわない夢に対する未練、就職問題など。そして、その中でも一番よくある質問は、怒ったり、嫌気が差したり、悲しかったり、する心の不安定な感情が押し寄せてきた時、どうすれば心が動揺しないで平常を維持し、なだめることができるかと言うことだ。
実はこの質問を受ける度に感じることは、その人がこのように質問するということ自体が、わかってみると半分は成功したということなのだ。なぜならば、自らそんな感情が上がってくる時、その感情の螺旋にはまって苦しんでいる自身の心の状態に気づいているからだ。だから、その不安定な感情からどうやって抜け出すことができるのか、ツイッターを一生懸命やっているある僧に聞いているのだ。
ところが問題は、多くの人がそんな感情が上がってきた時、その心を自分がなだめなければならない対象としてだけ考えているというところにある。その心を理解が必要な対象として考えないということだ。もう一度言うと、何か不安定な感情が自分の心の中に生じた時、その感情からどのようであろうと早く抜け出したいという考えだけするだろうし、その否定的な心の状態を理解したり、その心と親しくなろうとしない。だから、おそらく人々は「マインドコントロール」あるいは「心をなだめること」のような表現をよく使用しながらも、「心を知っていくこと」あるいは「心と親しくなること」のような表現は上手くないようだ。
どころが、押し寄せてくる怒り、嫌気、不安、憎しみの感情を変えようと努力してみる人ならば知っているだろうが、これは決して簡単なことではない。まさに、憤怒、憎しみのような否定的な心の状態が「泥」だと言うならば、心と言う水の中に泥がいっぱいに解けていって泥だらけになったのに、どうすればその泥を早く和らげることができるのか聞くことと同じだからだ。
早く泥を和らげようと、すなわち否定的な心をちらして平常を維持しようと、心の水の中に手を入れて泥を下に下に押さえつけて和らげてみよう。結果はどうだ。例をあげると、誰かに強く嫉妬して憎む気持ちが上がってきた時、その心をなくすため他のよい考えをしようと努力すれば努力するほど、その憎む心が再びこじ開けて上がってこないか。だから、否定的な心の状態を変えようと心の中に入っていって何かをしようとすれば、根本的な問題は解決されず、否定的な心の状態だけをもう一度ほじくり返す結果だけもってくることがありうる。
ならば私たちはどうすればいいのだろうか。どうやって自らが泥水のような否定的な心を理解してまた、その状態から脱出できるだろうか。実は答えは簡単だ。
その上がってくる心をまるで映画やドラマを見るように第三者的な立場で一歩離れて静かに観察すればいい。私たちが普段よく知らない対象を理解しようとする時、既存に知っていた考えを置いておいて、静かにその対象を観察すればよくはなかったか。すなわち、泥水のような心の器の中に自分が入っていって何とかしようとするのではなく、心の器から出て黙ってその感情を映画やドラマを見るようにじっと見守るということだ。
この時、重要なことは熟視するものが怒り、嫌気、嫉妬のような言葉に執着せず、その言葉が指している怒りのエネルギー、嫌気のエネルギー、不安のエネルギーを静かに見守ることだ。まるで、鏡が何かは映すが何かは映さないと選ばないように、自分もやはり上がってくる感情のエネルギーを選ばないで、静かにじっと眺めることだ。鏡が自分が映す対象に対してあれだこれだと評価しないように、自分もやはり分別したり言葉をつけないでいるそのままの感情をただ眺めることだ。
そのようにして観照する者の立場で自分の心を眺めると、自分の意識が少し後ろに下がっていくような感じ、頭の後ろで自分の心を眺めるような感じを受けることができる。そして、そうやって眺めていると、いくらもしないうちに、不安な心の状態がひとりでにゆっくり他の状態に変りながら消えていく姿を、本当に見ることができる。
もう一度言う、自分がその感情を心の器の中に入っていって直接変化させようと努力しなくても、その器の外で静かに観照していれば、いくらも経たない内に、ひとりでに感情のエネルギーの形態が変ることを見ることができる。自分が不安な感情を、心の器の中に入って行って直接なだめようとすれば、むしろその感情をよりほじくり返す結果だけをおくことになることとは対照されることだ。
ある人はこのように聞いてくることもある。「そうやっていつも見ていたら何がいいですか。」「現実回避ではないですか。」
いいえ。むしろこの過程は現実回避ではなく現実直視だ。あるがままに眺める、現実直視。現在繰り広げられている自分の心の状況を直視する練習をしてみると、ある瞬間、悟らされる。心の中から起こる感情は固定された実態がないということを、心というものは虚空のような空間に自分の意図とは関係なくちょっと起こって、自分の意図とは関係なく消えていく雲のようだということを。この悟りがあると、怒り、嫌気、不安、憎しみの感情が起こっても、大きく引きずられなくなる。それが自分のものだとしがみつかなくなる。なぜならば、自分の心の空間にしばし留まって行ってしまう雲のような客だから。
心をなだめようとするな。ただ、この心と親しくなってその心を静かに見守りなさい。