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私たちの心が世の中に向う時は
忙しい世の中に簡単に流されてしまうが、
その心が内面に向っているならば
どんなに世の中がうるさくても
中心を失わないで平安を見つけることができる。
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心を空にしようとしたら、どうしなければならないか、と聞いてくる人が多い。
「心を空にしなければ、、。」と言って心を決めて心を空にしようとしたら
むしろ、より心が混乱します。
なぜならば「空にしないと、、、」と言うことも実は
空にしなければと言う考えだからです。
そうならばどうやって考えを休んで心を空にすることができますか。
正解は、上がってくるその考えをだまって見守ればいいです。
見守る瞬間、考えは休んでいます。
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人の意識は普通外部に向っています。
だから自分でないほかの人、あるいは
外で起こったことに対して主に話をするでしょう。
反対に修行者はその意識を心の中に回して
生涯、他人の話をする癖を直して
自分の心の姿を見て、その心に気づくようにします。
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一度探ってみてください。
私たちが毎日吐き出す言葉の中に
どれぐらいが本当の自分の言葉で
どれぐらいが他人が言った言葉を寄せ集めて
自分の言葉として変えた言葉か。
自分は本当に自分だけの言葉を、どれぐらいしていますか。
本当の自分の言葉というものがあるのでしょうか。
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私たちの中には
外部で起こることを静かに眺める者がいます。
外のことは随時変っても
「眺めるもの」の意識はそのことに関係なく
ただ完全に現在にあります。
人生の苦痛の原因は、自分の中の「眺める者」を忘れ
外部の事件と対象に心を奪われたままついていくからです。
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あまり考えないで生きて生きたいならば
実はとても簡単です。
心を現在においておけばいいのです。
考えや心配は、すべて過去や未来の領域に属しています。
現在を考えることができますか。
今まさにこの瞬間、現在を考えることができますか。
やってみてください。どうですか。不可能でしょう。
心を現在に持ってくると考えは簡単になります。
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心の中に上がってくる感情を
考えで捕まえなければ
時間が過ぎながらひとりでにその感情が変りながら消滅します。
自分が心を捕まえて考えで捕まえさえしなかったら
心の中に上がってくる居心地の悪い感情は
自分が努力しなくても
自らそれから解放させてくれます。
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つらいならばそれを捕まえていながら
しょちゅう「つらい、つらい。」人に話をしながら、嚙み締めないでください。
つらさから開放されたければ
そのつらさを直視しなさい。
そいつの正体を見ていたら、その模様がしょっちゅう変ります。
だから、つらさ、そいつも虚妄なものです。
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前に無かったものが今あるとしても
時間が経てばそれはまた全部なくなります。
言葉を聞いて深い霊魂の響きがあったとしても
釈迦や他の聖人が自分の前に現れたとしても、
このすべてのことは、実はみな心の戯れです。
修行者が見つけるものは
すっと前からあったことを見つけるのであり、
なかったのに新しく生じたものを見つけるのではありません。
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心と言うのものは一度に二つのことを同時に考えることができません。
二つのことを同時に考えることができるかできないか、よく見てください。
どうですか。できますか。