退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界

2015-01-09 06:22:23 | 韓で遊ぶ


卵泥棒
父が田舎の中学校で子供たちを教えている時のことです。母は暇つぶしに鶏を飼うことにし、卵を集めるという楽しみがついてきました。おかげで私たち三兄弟は、いつでも卵のおかずを食べることができて、この上なくうれしいことでした。
卵は一つ、二つ集めては私たち三兄弟の学用品になり、新しい靴になったりもしました。ですが、ある日の夕方、父は全家族を集めて重大発表をしました。
「わかったか。兄さんの卒業式まで卵のおかずは無い。」
代表として優秀賞をいただくことになった私にいい服を買ってくれるためと言うのが理由でした。
「え、ひどいよ。」
「そうだ。ひどいよ。」
弟たちは口を尖らせて不満を言いました。弟たちにはすまないことでしたが、両親が決めたことだからどうすることもできませんでした。
1週間後、小さな騒動が始まりました。
おかしなことに卵が毎日2個ずつ影も形もなく消えるのです。
「僕じゃないよ、食べてないよ。」
「ぼ、僕も。」
「僕でもないよ、、、」
疑う思う母の前で、私たちは互いをにらみながら、訳がわからないと言いました。
卵を産む鶏は15羽なのですが卵は13個しかありませんでした。
一体どうなっているのか。
母は鶏小屋に鍵をかけ、鶏小屋の前に立って見張ったりもしましたが、泥棒を捕まえることはできませんでした。
卒業式の日が近づいてきて、母はその間に集めた卵を頭に載せて市場に行き、青いジャケットとチェックのシャツ買って来ました。
「さあ、ズボンは今まではいていたのをはかないとならないわね。」
母は残念そうでしたが、私はそれだけでも十分でした。
卵泥棒は卒業式の日に明らかになりました。ぶるぶる震えてもたもたと末の弟が母の前に差し出したものは、白いゴム靴一足でした。
「これ、母さんのゴム靴、、卵2個、、、」
末の弟は、言葉を続けることができませんでした。その時になって、私の目に、母の赤くなった目頭と古い色あせたゴムの靴が入って来ました。
「そうだったの、やさしい子だね、、、」
母は大切に思う心で末の子を見て微笑みました。
その頃の私たちに卵はただのおかずではなかったのです。
コメント
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