退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界

2015-01-14 06:56:26 | 韓で遊ぶ


父の白い運動靴

父は松葉杖に頼って一生、生きる人です。
そんな父が辛い歩く練習を始めたのは、長女である私が結婚の話を切り出した頃でした。一歩一歩がどれほど危なっかしく見えたか、私は父を見るたびに心が痛みました。
今の夫が初めて挨拶に来た日、私は彼に父の松葉杖を見られるのがとても嫌でした。ですが彼が帰った後、父の歩く練習はより頻繁になり、父のしわの多い顔は汗まみれになりました。
無理しないでといくらとめても、父の答えはいつも同じでした。
「お前の結婚式の日、手をとって入って行こうと思ったら歩けないとなるまい。」
私はおじさんがそれを代わりにしてくれることを内々願いました。
義足をはめてふらつきながら歩く父の姿を、嫁ぎ先の家族に見せたくなかったからです。しかし、父はどこから持ってきたのか白い運動靴まで履いて一生懸命歩く練習を続けました。
そうしているうちに結婚式の日が一日一日と近づいてきました。私は父の気持ちを理解することができるものの、少しずつ怖くなっていきました。
そんなことをして本当に式場で転びでもしたらどうしようという焦る気持ちに、祝賀客がひそひそとささやくのではないかと心配になりました。
ため息の中で一日が過ぎ、二日が過ぎ、とうとう結婚式の日になりました。
世の中すべてが祝福してくれる幸福な新婦の姿で立っていた私は、足を引きずりながら新婦待機室に入ってきた父を見た瞬間、胸がどきんとしました。
父はきれいな背広の下に白い運動靴を履いていたのでした。
「一体誰が運動靴を履けといったのかしら。」
私は誰ともわからない人への恨みで、頬がかっかと火照らせて結婚式の間中、その白い運動靴ばかり頭に浮かんで、頭を上げることも笑うこともできませんでした。
それから何年かが過ぎました。
父が危篤だという知らせを聞いて病院に駆けつけた時、私は初めて結婚式の日のその運動靴の事情を知ることになりました。
「お前が夫に良くしてやりなさい。実は私はお前の手をとって式場に入っていく自信がなかった。だけど、お前の夫が毎日訪ねてきて勇気をくれて転ばないようにと運動靴まで買ってくれた。」
私はただ、のどが詰まって涙が出てきて何も話すことができませんでした。
今は古くなってしまた白い運動靴を父は二度と履くことができないで目を閉じました。

http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=jbkn0604&logNo=100134596749
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