
愛、
自分が消える
偉大な経験
愛する人よ、私たち二人の間に
名前のわからない神が存在します。
カルリル チブラン
カルリル チブランの本に接したのは高校2年生の時だった。彼がどんな人なのか、どこの国の人なのかも知らないまま、彼の文章にはまった。愛の経験も、人生の苦い味も知らない年だったが、彼の霊魂の巡礼とも言えるような文章は、思春期だった私を生け捕りにした。今、考えてみると、彼の文章が、自分自身さえも理解できなかった、自分の中の神聖な世界に、幼い私を導いたのではないだろうか。
私は彼の本「預言者」「人の子イエス」を読みながら西洋の宗教に対する理解を広げ、善と悪を分ける堅苦しい教理的な解析ではない宗教が、どれだけ美しく神秘的なことなのかを悟ることができた。私は今、僧侶だが、イエスに対する深い尊敬があることは、もしかすると、幼い頃にカルリン チブランに出会ったせいではないかという思いもする。だから私はまだ、彼に大きく感謝する。
そして、その時の、その年齢の私をよりときめかせるものはカルリン チブランと彼の霊的同伴者であるメリ ヘスカルが交わした愛の手紙でした。まだ、愛を経験することのなかった10代の少年の心を揺さぶったその二人。
私は読書室で、一人で勉強しながら送った多くの長い夜をカルリン チブランの詩で終えた。
目に見える愛は小さい。
その後ろにある
大きな愛に比べると、、
彼の文章に盛り込まれた愛と、霊性の聖なる美しさは、私を知ることのできない深い感動へ押していった。愛というものをしたこともないながら、文章の中に盛り込まれた愛が、すでに自分の愛の経験であるように胸に刻まれた。
愛があなたたちを手招きして呼んだなら、それについていきなさい。
たとえその道が苦しくつらくても。
愛の翼があなたを包んだら、それに身を任せなさい。たとえその翼の中に隠されたナイフがあなたを傷つけても。
いつか自分にも愛が訪れたら、私もやはりカルリン チブランの言葉のように、何の計算や恐れることなくひたすら愛に自分の存在を任せようと心に決めた。その愛の後ろに本当の深い苦しみが存在したとしても、その道を黙々と歩いていこうと自らに言った。
しかし、ご存知の通り愛というものは、そんなに心の中に万全な準備をしたからといってくるものではありませんでした。むしろ、愛というヤツは心を使えば使うほど遠くなる性格を持っていたのでした。
そしてしばらく経ったある日、朝早く目が覚めると、ふとわかりました。私にもあのように恋しかった愛が訪ねてきたという事実を。そしてその愛は自分の意志とは全く関係なく、いや、むしろ意志とは反対に自分勝手に訪れたという事実を。
僧侶が初恋を告白することはとても恥ずかしいことだが、そうだった。その時が私の初恋だった。準備ができていようとできていないだろうと、自分の計画や意志とは全く関係なく、突然に自分の心の門を開けて入ってくる、はじめて見る貴重な客、それが私が定義する初恋です。
その人はアメリカから来た宣教師でした。7歳上の彼女は私と友達に英語を教えてくれて、私たちは彼女が韓国語が上手くなるように手伝った。彼女と私は英語の勉強以外にも共通の関心事が多くて、エンヤの音楽が好きで、ルークペソン監督の映画、レミゼラブルのようなミュージカルが好きだった。だから私は彼女に会う度に、彼女が好きそうな音楽を録音したテープを準備したりもした。そうすると、彼女は、直接焼いたクッキーやパイを私にプレゼントしてくれた。私は彼女に会って、互いの言語を学んで音楽の話、哲学の話をすることが好きだった。二人だけで会う時間がないにもかかわらず、私には、彼女と次に会うことがいつも楽しみだった。そしてその期待感が単純なときめきではなく愛だったということにすぐに悟らされた。
しかし、この愛が成就することはありうるのか。はじめから片思いになるしかない運命だった。彼女の目には、私は幼い子供に過ぎなかった。そして、彼女は宣教師として活動をし、半年後アメリカに戻るという予定であり、アメリカには彼女の長い間付き合っている恋人がいた。このように明白な状況であり、あぁ、、さて、これが私の思いのままになることではないではないか。
愛がくると愛は自分の人生の一部ではなく自分の人生全部になる。ただ愛ひとつを残しておいて他のすべてのものは2次的であり重要でない存在となってしまう。考えはいつも彼女の周囲をくるくる回って、私の自我の壁は愛の前にひとつずつ倒れ完全な無防備状態になる。
彼女を思うと世の中で最も高いところへ上がって暖かい日に当たっているような幸福感を感じ、彼女がアメリカに帰るという時間が近づくにつれて私の霊魂の根が根こそぎゆすぶられるような感じを経験した。本当に幸福でありながらあまりにもつらかった。
彼女が帰国する日が15日後になると、私の利己心は徐々になくなり、自分が完全になくなってしまうような気分になった。私は人に話をしたりする。「ただ、簡単に好きだという感情を愛だと呼ぶことのできない理由は、その心の出発が、その人でなく自分が好きだということから始まるからだ。」と。その時、私はまるで自分の中に彼女だけが存在するような経験をした。私の好きなことではない、彼女の存在から世の中のすべてのものが始まるような感情。
あ!だから、カルリン チブランは愛する人と自分の間に、名前のわからない神が存在すると言ったのだなぁ!その時になってやっと理解できた。すでにわかっていて、理解していると思っていた、そのすべての言葉は自分に新しい意味を与えてくれたのだった。その後、私は自らがたくさん成就した気分になり、世の中を眺める目もまたすごく変ったことを感じることができた。
彼女が韓国を去って3年後、私は彼女から一通の手紙をもらった。彼女の結婚の知らせの手紙。長い間付き合っていた恋人とついに結婚式を挙げることになったということだった。当時、アメリカで大学生活をしていた私は彼女の結婚を祝うために飛行機に乗って南部に向いたかったが、そうできなかった。そうするお金も、時間もなかった。しかしそれよりも私を止めたものは、結婚した彼女を見て自分自身がつらくなるのではないかという恐れだった。小さな贈り物を準備して送ることでお祝いに代えるしかなかった。
そして、彼女に再び会ったのはその後2年が経っていた。大学の友達と共に卒業を記念して自動車で大陸横断旅行をした時、彼女が暮らす地域に立ち寄り会ったのだ。彼女と共に会ってくれた彼女の夫は彼女のように優しくいい人だった。
大学卒業後、私はボストン近くのケンブリッジに暮らしながら修士の勉強をすることになった。19世紀末、カルリン チブランの家族がレバノンから始めてアメリカに移民に来て定着したところが、まさにボストンのサウスエンドという町だった。その当時といってもサウスエンドは、大西洋を渡ってきたレバノンの移民が集まって暮らすボストンの代表的なスラム街だったという。しかし、今は典型的なニューイングランド風の美しい赤い壁の建物が並ぶ美しい町だ。カルリン チブランはここに暮らしながら、移民者の子供が通う学校ではじめて英語を勉強し、彼の絵の実力を見抜いた先生の援助で画家として認められるようになった。1904年、初めて開いた個展で、10歳年上のメリ ヘスケルは、彼の芸術的と天才性に魅了され、生涯彼を後援した。そしてカルリン チブランはメリ ヘスケルに根気強く愛と人生の省察を書いた手紙を送って、まさにその手紙が私の10代、そして今までも私の心情に深く入って残っているのだ。
愛があなたにささやいたらそれを信じなさい。
たとえ愛の声があなたの夢を
全部、壊すとしても
愛はあなたの成熟のため存在しますが
あなたを苦しめるためにも存在します。
カルリン チブランの愛情のにじんだ手紙を受け取ったメリ ヘスケルは、ボストンを離れアメリカ南部へ引越し、3年後カルリン チブランに結婚を知らせた。年上の彼女たち、アメリカ南部に行って3年後の結婚の知らせを送った彼女たち、カルリン チブラン愛と私の幼い恋の共通点を発見して私は心の中で自分の愛をより大きくして包んだようにも思う。
今、思うとこのように何でもないのに、あの時はどんなに胸が痛かったか、、、切ない心は消えたが、そこには彼女に対する感謝で満たした。愛を経験させてくれて、自分が消える経験をさせてくれて、私の中に私自身ではない他人でいっぱいになる経験をさせてくれて、その偉大で新鮮な経験を教えてくれて、、、