退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩、卓球
さて何をしようか

幸福な世界

2015-01-21 06:41:10 | 韓で遊ぶ


緑のリヤカー

父は市場の清掃員です。古いリヤカーひとつに、母と3人の子供、重い荷物を積んで引いて生きてきた父は、市場の散らばったごみを本当に一生懸命片付けました。
いつだったか、とても暑い夏の日、私はごみをいっぱいに積んだリヤカーを引いて汗を流して坂を上っていく父に会いました。私はためらうことなく走り寄り、坂が終わるまでリヤカーを押してやりました。ですが、父は私を初対面の人に対するように言いました。
「ありがとう。これ、、、」
汗のにおいのするお金をいくらか私の手に握らせて父は行きました。父のその姿がどれほど寂しく見えたか、どうしてもその場を離れることができませんでした。
その日の夜、家に帰ってきた父は、私にこのように念を押しました。
「友達に気後れするから、これからは父さんを見かけても知らない振りをしなさい。」
その瞬間「父さん、私は父さんを恥ずかしいとは思いません。」と言わなければならなかったのに、私は何も言うことができませんでした。
何日か後に、疲れた体でごみを片付けていた父が交通事故にあいました。父の分身のような緑のリヤカーが壊れて、父も長い間病院で過ごさなければならなくなりました。
父は入院している間も、一日でも早く起き上がろうとリハビリを一生懸命しました。
「ふ、うちゃ、、、ふ、、」
「父さん、少しだけ、あと少しだけ。」
私は父のそばで励ましました。
そうして一ヶ月が過ぎ、とうとう父は病床を離れ起き上がりました。
病院の門の前には、退院の知らせを聞いた市場の清掃員のおじさんたちが皆来ていました。
いつの間にかちゃんと修理された緑のリヤカーも一緒に。



http://takeabow.tistory.com/entry/%EC%B4%88%EB%A1%9D-%EC%86%90%EC%88%98%EB%A0%88

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幸福な世界

2015-01-20 05:33:38 | 韓で遊ぶ


希望の凧

刑務所の暗い格子の中に一人の男がいました。彼は重罪を犯し終身刑を宣告され、すべてのことをあきらめ、絶望のなかで一日一日を送っていました。彼は何日もの間、一言も話さず、笑うこともありませんでした。そんなある日の朝、運動場で運動をしている時のことでした。
凧がひとつ塀越しに揚がっているのが見えました。
「ちょっとあれを見ろよ。何で凧だ。」
凧は風に乗って空高く揚がって行きました。
「あぁ、凧が俺たちよりもましだ。」
「そうだ。俺もあんな風にゆうゆうと飛んだら、、、」
受刑者たちの気持ちをのせて、凧は刑務所の上をしばらくぐるぐる回って、朝の運動時間が終わると、やることを終えたと言うように姿を消しました。次の日もその次の日も凧は同じところに揚がって刑務所の空をぐるぐる回りました。
「一体誰が凧を揚げているんだ。」
「本当に、、、」
凧の秘密が気になった男は、刑務官にこっそりと尋ねました。
「一体、誰が凧を揚げているのですか。何なのでしょう。」
「知らなかったのか。君の息子だと言うことだが、、、、」
「ええっ!」
自分の息子と言う言葉に彼は気を取り直しました。刑務所に入った時はやっとよちよち歩きしていた子供だったのに、その子がこの間に大きくなって父に向かって何かを言っていたのでした。
「そうか、お前だったのか、お前だった、、、」
その日からその男の生活は変わりました。気力を入れて誰よりも一生懸命仕事をして本当に懺悔をし、減刑までされました。
とうとう、その男が出所した日、刑務所の塀の外には、いつの間にか青年になった息子が凧を飛ばしていました。
「とても大きくなったあ、、、」
「父さん。」
感慨にぬれ目頭が赤くなった父を息子が迎えました。1日が100日のような絶望の中で生きている囚人に、息子の凧は1本のわらのような希望であり、家族の深い愛を伝える無言の伝令だったのでした。
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幸福な世界

2015-01-19 06:43:21 | 韓で遊ぶ


娘のための祈り

出勤時間の混雑が過ぎて少し空いてきた地下鉄での話です。
そこは地下鉄行商人と呼ばれる人たちの営業舞台になったりもします。
その日も、そうでした。
「さあ、宣伝期間に限り、たったの1000ウォンです。超強力、スーパーウルトラ接着剤が1000ウォンです。」
強力接着剤と多用途包丁を売る人がひとしきり熱弁を振るって行った後、一人の男が後に続きました。憔悴したパッとしない顔の男は、しばらくためらいましたが勇気を出すように大きな声で叫びました。
「あの、、、皆さん、私の話をちょっとだけ聞いてください。」
乗客の視線を集めると、その男は一言一言事情を話しました。
「私には4歳の娘が一人います。とてもいい子でかわいい子です。」
ですが、その子が、そのいい子でかわいい娘が不治の病にかかり死にそうだと言うことでした。
そこまで話をした時、乗客は男が物を売るために嘘の話をしているのだと思いました。不愉快になった乗客は顔を背けました。
その時、男が背中に背負ったかばんから本を一冊取り出しました。そして本を売る代わりに、その本を広げて見せて言いました。そのページにはこのように書かれていました。
「祈りが願いをかなえてくれる。」
「たくさんの人々が一緒に祈ってくれたら、願いがかなうと言っています。皆さん、どうか私の娘が助かるように祈ってください。私の娘の名前はスンヒです、、、。お願いします。」
男はお辞儀をして次の車両に行きました。
しばし沈黙が流れました。
次の瞬間、乗客は誰が先と言うこともなく、手を合わせました。そして祈りました。
やっと、4歳!死ぬにはあまりにも幼い子供スンヒのために。祈りを売る父のために、、、
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幸福な世界

2015-01-18 06:11:05 | 韓で遊ぶ


家を出た息子

小さな山間の村に一人の農夫が住んでいました。
家族と言えば、12歳になる息子と牛一匹だけでした。ある日の夜、あることで息子をひどく叱りました。胸が裂けるくらい痛かったのですが、息子のふくらはぎをムチ打ってしまいました。
「あやあ、痛いよ、、、」
「またこんなことがあったら、家を追い出されると思え。」
父は息子を厳しく叱りました。
しかし、息子は訳もかからずに、まず叩く父が憎く耐えることができませんでした。恨む気持ちが収まらず涙ばかりあふれました。
「ううう、、、」
次の日の朝、農夫は日が高くなっても起きてこない息子を起こしに行きビックリしました。
「こいつ何時だと思って、まだ、、、あれ!」
息子の部屋はがらんとしていました。息子はいなくなってしまったのです。
その日から万事を放って四方八方息子を探し、会う人ごとに息子を見なかったかと尋ねました。
「家のトッペを見なかったか。」
「もしや家のトッペを見なかったか。」
父は声を上げて泣きながら息子の名前を呼びました。
「トッペや、、トッペや。」
世の中の何よりも大事な息子を、大したことでもないことで叱った自分が悔やまれました。しかし、後になって後悔しても仕方ありません。いくら探しても息子の行方は五里霧中でした。
何日か後に、父は何かを決心したかのように見えました。そしてしまいに、彼は市内の中心街にある有名商店に行って、その前に大きな看板を立てました。
看板にはこんな文が書かれていました。
「愛するトッペや、家に帰ってきなさい。明日の朝、ここで会おう。」
次の日の朝、彼は震える心で看板を立てた商店の前に行きました。
ところが、、、その看板の前には意外にもトッペという名前の少年が7人も来ていました。皆、家出をした子供たちでした。
その中には、ふくらはぎをムチで打たれたことが悔しくて、父を捨てて家を出た彼の息子のトッペもいました。
「トッペ。」
他の子供たちの間から、どうしても出てくることができずにいたトッペが、ひょっこりと姿を現しました。
「お、お父さん。」
「トッペや、こいつ。」
二人は互いに固く抱き合いました。息子のトッペは失望とうらやましさが混じった他の子供たちの視線を後ろにしたまま、父の胸に抱かれました。
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幸福な世界

2015-01-17 08:31:06 | 韓で遊ぶ


父の背中

結婚式を何日か後に控えたある日のことでした。
家族が皆集まった席で、私はあえて言ってはいけない言葉で、父の心に生涯癒すことのできない傷をつけたのでした。
「どうか、おじさんが私の手をとって入って行く様にしてください。」
言葉がまだ終わらないうちに兄さんに頬を打たれましたが、私はどうしようもありませんでした。そうでなくても家の中が傾いているのに、背中が曲がった父の手を取って式場に入っていくことは本当にいやでした。
「ふむ、心配するな。そうでなくても腰が痛くて、その日は式場にも行けないよ。」
嫁に行く娘の気持ちを傷つけるかと父は嘘までついたのでした。
私はその父の痛む心を知りながらも、結局結婚式場におじさんの手をとって入場するという不孝を犯しました。
しかし、私も子供です。小さな部屋に閉じこもって焼酎の杯を傾けている父を思い浮かべながら、二度とそんなことをしないと心に決めました。
父の心の中の涙のしみを消すこともできないまま歳月は流れ、私は子供ができた時、嫁ぎ先でつわりがあっても、姑にはそぶりにも出すことができず、毎日が苦しい日々でした。
そんなある日、市場から帰ってきた私は、町内の入り口で自分の目を疑わないではいられませんでした。帽子を深くかぶっていましたが、小さい背に曲がった背中、そして歩き方は間違いなく実家の父でした。
「お父さん、、、」
知らず知らず、目をしっかりと閉じて、父ではないとつぶやきながら家に帰って来ました。ところが、その日の夕方、仕事から帰ってきた夫が大きな風呂敷つづみをひとつ持って来ました。
「あの下の、店のおばさんがくれたんだけど、、、」
瞬間、後頭部を殴られたような感じが伝わって来ました。それは父の匂いがついている風呂敷つづみでした。
予感したとおり風呂敷の中には父の手紙が入っていました。
「ひとつは麴醬でもうひとつは浅漬けだ。お腹をすかせないようにおいしく食べなさい。」
嫁ぎ先の人たちの目に付くかと家に来ることができず、父は麴醬の風呂敷つづみを、店の人に渡して帰ったのでした。麴醬には父のしょっぱくて苦い涙が濃くしみていました。
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幸福な世界

2015-01-16 07:04:16 | 韓で遊ぶ


盗み授業

子供の頃、私の家の隣には片腕のない子が住んでいました。
年は12歳ぐらいの子供でした。
私が学校へ行く時間になると、その子はいつも屋上に上がって家の庭を見下ろしたり、子供たちがぺちゃくちゃしゃべりながら登校するのを見ていたりしました。その姿が気の毒で、言葉をかけるとその子はうつむいて走り去ったりしました。
ある日、屋上にいるその子を見つけた私は父に言いました。
「あの子、腕がないんだって。だから学校へも行けず家にだけにいるんだって。」
「それは気の毒だ。」
おそらくその日の夕方だったと思います。父が急に倉庫に放っておいた古い机を持ち出し、壊れた足をくっつけて、庭の真ん中に電線を引いて電灯までつけたのでした。
「さあ、今日からここで勉強しよう。これからお父さんがお前の先生だ。」
私は訳もわからないまま、父が作った庭の教室の学生になりました。
「さあ、今日学校で習った内容を大きな声で読んで見なさい。」
その日から私は雪が降るとか雨が降る日以外は、毎日1時間ずつ教科書を読んで童話の本も読みました。
父がその変わった夜間授業をやめたのは、隣の子供が引っ越して行った日でした。仕事からの帰り、引っ越しの荷物のトラックを見た父が聞きました。
「隣の子引っ越しするのか。」
「ええ、でもどうして。」
「そうか、、他のところへ行っても勉強を続けられるといいけど、、、。」
私は、父がどうしてそのようなことを言うのか、隣の子の引っ越しになぜそのように深い感心を見せるのか気になりましたが、黙っていました。
私が父の深い気持ちを理解したのは月日が流れ20年ぐらいたってからでした。
ある日、家にひとつの小包が配達されました。
知らない名前、知らない住所、父は首をかしげ小包を開きました。その中には童話の本が一冊と手紙が入っていました。
「20余年前、隣に住んでいた片腕の少女を覚えていますか。その時、娘さんに読んで上げていた童話がどんなに面白かったか、毎日屋上で盗み授業をしていました。」
その盗み授業で希望をもらい、引っ越した後、検定試験を受けて大学まで終えた後、少し前に童話作家となったという片腕の少女の手紙でした。
父はその晩、配達された一冊の童話の本を何度も読んで夜を明かしたのでした。

http://blog.daum.net/livecafe/15640332
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幸福な世界

2015-01-15 07:17:41 | 韓で遊ぶ


世の中で一番おいしいラーメン
彼は一人で7歳になった息子を育てる父親です。
子供が友達と遊んでいて怪我をして帰って来る様な日には、死んだ妻の存在がどんなに大きいか、、、ピューと胸に風が吹き抜ける人。
彼が子供を置いて遠くへ出張に行かなければならなかった日のことです。
彼は汽車時間に追われ、子供の朝ごはんも準備して食べさせることができずに、あたふたと家を出ました。
ご飯は食べたのだろうか、泣いていないだろうか、汽車に乗っている間もずっと気がかりでした。彼は出張先からも、何回も電話をかけ、息子はその度に大丈夫だと心配しないでと、なかなかしっかりしたことを言いました。
ですが、いずれにしても不安で、仕事をしたようなしないような、急いで終わらせ家に帰った時、息子は居間のソファーでぐっすりと寝ていました。
「ほー、こいつ誰かが背負って連れて行ってもわからないね。」
眠っていた子供を自分の部屋に寝かせた後、安堵感と疲労が一緒になって押し寄せ、緊張が解けた彼はベッドに横になろうとしてびっくりしました。
ベッドの上にはふやけたカップラーメンが掛け布団の下においてあったのです。
「まったく、あいつは。」
彼は怒って息子の部屋に行き、いきなり寝ている息子の尻を叩きました。
「お前は何でお父さんをがっかりさせるんだ。あんないたずらをして布団は誰が洗うんだ。」
妻が死んでから子供をぶったのは初めてでした。
まさにその時、つっけんどんに子供が言いました。
「いたずらをしたんじゃない。こ、これはお父さんの夕飯なんだ。」
父が帰ってくる時にあわせてカップラーメンを2つ作り、ひとつは食べて、お父さんの分は冷めるかと布団の下に置いたのでした。
彼は、ただ言葉を失い、泣いている子供をぐっと抱きしめました。
汁はすっかりこぼれて、
半分残ったふやけたラーメン。
それは世の中で一番おいしいラーメンでした。

http://www.supil.com/b-story/b-story06.htm
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幸福な世界

2015-01-14 06:56:26 | 韓で遊ぶ


父の白い運動靴

父は松葉杖に頼って一生、生きる人です。
そんな父が辛い歩く練習を始めたのは、長女である私が結婚の話を切り出した頃でした。一歩一歩がどれほど危なっかしく見えたか、私は父を見るたびに心が痛みました。
今の夫が初めて挨拶に来た日、私は彼に父の松葉杖を見られるのがとても嫌でした。ですが彼が帰った後、父の歩く練習はより頻繁になり、父のしわの多い顔は汗まみれになりました。
無理しないでといくらとめても、父の答えはいつも同じでした。
「お前の結婚式の日、手をとって入って行こうと思ったら歩けないとなるまい。」
私はおじさんがそれを代わりにしてくれることを内々願いました。
義足をはめてふらつきながら歩く父の姿を、嫁ぎ先の家族に見せたくなかったからです。しかし、父はどこから持ってきたのか白い運動靴まで履いて一生懸命歩く練習を続けました。
そうしているうちに結婚式の日が一日一日と近づいてきました。私は父の気持ちを理解することができるものの、少しずつ怖くなっていきました。
そんなことをして本当に式場で転びでもしたらどうしようという焦る気持ちに、祝賀客がひそひそとささやくのではないかと心配になりました。
ため息の中で一日が過ぎ、二日が過ぎ、とうとう結婚式の日になりました。
世の中すべてが祝福してくれる幸福な新婦の姿で立っていた私は、足を引きずりながら新婦待機室に入ってきた父を見た瞬間、胸がどきんとしました。
父はきれいな背広の下に白い運動靴を履いていたのでした。
「一体誰が運動靴を履けといったのかしら。」
私は誰ともわからない人への恨みで、頬がかっかと火照らせて結婚式の間中、その白い運動靴ばかり頭に浮かんで、頭を上げることも笑うこともできませんでした。
それから何年かが過ぎました。
父が危篤だという知らせを聞いて病院に駆けつけた時、私は初めて結婚式の日のその運動靴の事情を知ることになりました。
「お前が夫に良くしてやりなさい。実は私はお前の手をとって式場に入っていく自信がなかった。だけど、お前の夫が毎日訪ねてきて勇気をくれて転ばないようにと運動靴まで買ってくれた。」
私はただ、のどが詰まって涙が出てきて何も話すことができませんでした。
今は古くなってしまた白い運動靴を父は二度と履くことができないで目を閉じました。

http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=jbkn0604&logNo=100134596749
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幸福な世界

2015-01-13 07:27:02 | 韓で遊ぶ


バカみたいな愛

一人の男と一人の女がいました。二人は互いを命のように愛していました。
そんなある日、男が戦地に行くことになりました。男はどんなことがあっても、生きて帰って来ると誓い、女はいつまでも待っていると約束しました。
戦争は熾烈でした。いつも死の恐怖と戦いながら、男はひたすら愛する人のところに帰るという一念で、数多くの戦闘を切り抜けました。しかし、皮肉なことに運命は男を放っては置きませんでした。
降り注ぐ銃弾を突き抜け敵陣に進撃中に、膝に爆弾の破片を受けたのです。
「うあああ。」
男は悲鳴を上げ、気を失いました。
気がついた時、彼の体は、以前とは違っていました。片方の足だけで一生、生きていかなければならないと言うのが、彼の現実でした。
戦地で障害者となった男は、こんな姿で愛した人の前に出るくらいなら、いっそこの世にいない人になってしまおうと決心しました。
一方、愛する人が帰って来ることだけを指折り数えていた女は、ある日男の戦友から、彼が戦死したと言う手紙を受け取り、悲しみに打ち勝つことができず、そのまま病床に伏してしまいました。
無情な歳月が、1ヶ月、2ヶ月、1年、2年と水のように流れていきました。戦地から帰って来て、もしや彼女に見られたらと隠れて暮らしていた男に、彼女の結婚のうわさが伝わりました。男は胸がひりひりと痛かったのですが、彼女が幸福になるならば耐えなければならないと思いました。そして遠くから最後に顔だけでも一目見ようと、女を訪ねていきました。
ところが、静かな住宅街の低い塀の向こうには、男があのように愛した女が、両足を使えない男性と一緒にいました。片足だけを失っても女の前に現れることができなかった男は息が止まりました。
「はぁ!バカみたいだ、バカみたいだ、、、。」
女は愛した男を忘れることができず、戦争で負傷した他の人の手足となって生きていたということです。
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サクラと小雪

2015-01-13 07:11:49 | 犬の話

最近の2匹です
雪も好きですが、家の中にいる時はストーブの前を奪い合います。本当は寒がりなのだろうか
サクラもうじき13才耳血腫を繰り返して耳にパーマをかけたようになっています寝ている時間が多くなりましたが、時々思い立ったように小雪に挑みます
小雪は6歳になりましたあごの辺りが白くなって着ましたまだまだ元気です
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