今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(12)エピローグⅢ 和解拒否。
続きです。
7月7日1回目のワクチン接種が1かかりつけ医で2時10分に接種。
待機することもなく出ました。
飲み屋小路を通ると、食道癌で声帯切除後の
呑んでいた居酒屋がオープンしていた。
覗くと店主が挨拶する。
入店した。
あいつが亡くなって11年が過ぎたねと話した。
「そんなに経ちますか」?
居酒屋放浪記にも取り上げられる名店である。
漁港のある飲み屋小路店の魚介類は新鮮 廉価
チューハイレモン2杯と鰯刺身、煮込みを
早々に胃袋に入れお暇した。
奴は毎夕ここで飲んでいたが
歩行困難となって声も出せなくなってから
私の近くの居酒屋になった。
39年前山岳部同期が24歳滑落死に戻ります
その後
会社を思想的問題あり、破壊者であるとの汚名を被せ追放されて
波乱の濁流にもがいていた。
又も山岳部同期の余命旦夕を知る
再掲
11年前の今日,夫人から、余命旦夕迫る知らせ。
2010-08-15 11:45:30
8月15日(日)前日、ロゴプロジェクターボールペンの検品作業に
息子と嫁さんが手伝いに来てくれ大いにはかどった。
残り800本の検品は今日、私と妻で出来るだろう。
11年前1999年平成11年8月15日
私は知り合いと那須塩原に登山と温泉の旅に出かけることになっていた。
午前7時過ぎに家を出ようとしていた。
電話が鳴った。妻が出た。
山岳部同期の奥さんからの電話だった。
「主人の命は10日間程しかありません。言わなくて申し訳ございません。
脳腫瘍です」
私は返す言葉もなかった。
私が電話で奥さんと会話中、私の携帯電話が鳴り妻が取った。
妻は電話口で今、「富山の友人の奥さんと話ししています」。
私の自宅電話番号が判らず年賀状を調べ別の友人から電話番号を
聞き出し電話したのだ。
何の事か分からずその友人が私の携帯に架けてきた。
8時半に上野駅で同行の人と待ち合わせしていた。
私は携帯電話を持っていたが待ち合わせの人は持っていない。
その日塩原の旅館に宿泊するが心は落ち着かない。
その夜台風接近で山は風と豪雨が襲っていた。
翌朝 知り合いが私の気持ちを察して登山を止めて
帰る事にしましょうと言ってくれた。
17日朝、新幹線、北陸本線を乗り継いで午後2時
28年ぶりに富山駅に降り立った。
直ぐにタクシーで県立病院へ
緊急病室に同期はいた。
やせ細った体、オシメをさせられ眠っていた。
大学入学時、体力測定で約千人近い学生で6番目の
体力度が自慢であった男のヤツレタ姿。
ベッドの傍らでじっと見つめた。
奥さんが眠り続ける同期に呼びかける。
「来てくれたのよ!起きて」
体を揺する、目覚めない。
2時間以上傍らでじっとしていた。
嗚咽にはならなかったが涙がこぼれた。
17時頃病室を出ようとした時、同期は突如目を開けた。
私に右手を差し出そうと挙げたが、力なく下りてしまった。
私は右手を握り締めた。
同期は直ぐに目を閉じたが目蓋と唇が痙攣のごとく動いている。
医師が「来たのを認知しています。だがこれが精一杯の表現なのです」
翌日帰京、先輩から電話がかかってきた。
見舞いに行くから病院を教えろ。
私は見舞いに行くのは遠慮して欲しいと」言ったが
聞き入れない。ついに私は怒鳴り返して電話を切った。
同期の奥さんより、山岳部の方々の見舞いは遠慮してほしいと言われていた。
「此処、富山に来られても私以外は山岳部の方々は存じ上げないし
お持て成しも出来ない」。と遠まわしに告げられていた。
古い土地柄の習俗が残る地に岩手から嫁いできた奥さんにとって
出来る範囲が限定されている。
先輩達4人は意地になって「俺達を馬鹿にしている」とイキマイて
病院へ行ったのだ。励ましの言葉をかけてたと言う。
帰りは宇奈月温泉に泊まり宴会をしたのだ。
自分達の自己満足だけ、富山にいる同期の親族の戸惑いなど
無視した行為に涙した。
それから間もなく「兄は亡くなりました」と弟さんから電話があった。
私は富山に向かった。
斎場で奥さんが劫火に入れようとする
同期の棺にすがりつき「いやだ、いやだ、私も入る」
私は引き離す。
その葬儀には先輩達は参列しなかった。
その翌年夏、北アルプス立山連峰を仰ぎ見る富山平野の
海沿い近く田んぼの畦道を通り、小川に木の渡し板を渡った
先に同期の家の田があり、角に苔むした石柱が立っていた。
同期の父は31歳で亡くなっていた。
同期は52歳と刻まれていた。
奥さんと二人 酒好きであった同期のために 富山の地酒 立山を
石柱に注いだ。立山連峰を仰ぎ見た。
山岳部時代、岩登り、冬の雪煙吹雪く立山合宿が走馬灯のように思い出していた。
25歳の時北アルプス前穂高北尾根で滑落死した同期
今又、一人居なくなってしまったのだ。
古い白黒写真を見た。
昭和46年2月 北アルプス合宿、卒業最後の冬山合宿
常念岳、燕岳 蝶が岳を縦走して上高地に下山した。
私は真ん中にいる 冬の雪に映える陽射しを受け
かんじきを履き ザックに腰掛ける3人
今は左右の二人はいない。
夏の暑い日に
おーい! 3人 俺をおいて先に逝ってしまって!
会社を思想的問題あり、破壊者であるとの汚名を被せ追放されて
波乱の濁流にもがいていた。
又も山岳部同期の余命旦夕を知る
危篤状況の中で混乱する奥さんが
全く面識のない4人に対応できないのだ。
先輩の身勝手な
山岳部OB会と断絶した.