馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

再掲 谷津干潟、旅立ち。

2021-07-01 08:53:54 | 日記

再掲 6年目 あいつの命日 36キロ歩き 墓参り。 エピローグ

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/fef14b2ef386711976f37eac09045866

 

逝った翌年 東日本大震災が起きた。

甚大な被害が生じた。

 

そして、令和に入り、コロナウイルス感染拡大が発生。

 

天涯孤独のまま、戦後の大事件を知らず旅立った。

 

私が三途の川を渡るとき、対岸で出迎えるあいつに

語るべき事が増えた。

まもなく、あいつの眠る墓地に桜が花開く。

 

 

 

 

2011年4月5日ブログ 再掲。

 

 

43日(日)午前、南船橋駅付近の液状化を見る。

水分は干し上がり痕跡地は埃が舞上がる。

谷津干潟へ行ってみた。

 

谷津干潟自然観察センター

 

大震災の影響で当面閉鎖となっていた。

旅鳥にとって南から北へ秋から春へ

生きてゆくための安息、子育て、休憩地、

干潟自体は破壊されているようではない。

この干潟が壊滅してしまったら渡り鳥は旅を続けられない。

干潟に春風が吹き渡り、水鳥が干潟の泥に嘴を入れ

蟹、小魚を取っている。

昨年、4月干潟の遊歩道を通って谷津保険病院へ見舞いに行った。

毎日曜日、訪れる毎にやつれ細るあいつを見つめた。

声も出せず、鉛筆を握る力も無くなりメモさえ書けなくなってしまった友

帰りの道すがら、干潟に自由に鳴き飛び交う渡り鳥

そして飛び去ってゆくのを見つめた。

その時 あいつからメールが入ったのだ。

「有明の癌センターには入院できるかな」?

まどろむ意識の中で全ての精神を集中して打ったであろう

生きる事への執念。

余命3ヶ月と知った春の干潟で私は悲しみも寂しさも

いつかは飛び去ってくれるのだろうかと念じた。

今年も変わらない干潟の遊歩道の桜並木は開花して春がきた。

だけれど、大震災があって日本国中が突如暗転して

親を失い、子を失い何ものも無い地平と水平線に思考停止した人々が佇む。

初富共同墓地の桜は咲いただろうか、その下で眠る君に浮世は地獄となり

悲惨な状況であると伝えるには私にはまだ時間が欲しい。

日本が立ち直り、もう大丈夫だと思ったら

花々咲き乱れる黄泉国へ旅立から待っていてくれ。

 


今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(5)やっと墓地に着く。

2021-07-01 07:03:31 | 日記

今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(4)食道癌にまっしぐら!

続きです。
炎天下 木下街道をひたすら歩く。

木下街道
京成鎌ヶ谷駅が街道左の高架が見える。
もうすぐだ。
新京成初富駅が街道右に見える。
駅近くにあったコンビニは閉店した。
更に街道を進む。
コンビニがあった。
線香はあるか訊ねた。
無かった。
ニコチンタールの一番少ない煙草を
レジ台に並べて選んだ。
煙草を吸わなくなって12年が過ぎた。
缶ビールと日本酒パック、乾きもを買う。
共同墓地に向かう。
広大ななだらかな斜面の下部に墓はある。

木下街道(きさがり)を行く3墓参1


木下街道(きさがり)を行くⅣ墓参2
墓には訪れる人がなく朽ちた生花の名残がだけだ。
汗の臭いで蜂が寄って来る。
煙草にライターでで点ける。
ヘビースモーカーでショートホープを
日に40本も吸っていたが
声帯切除して吸えなくななった。
一口吸っては、墓に次々に置く。
缶ビールを墓石のてっぺんから注ぐ。
日本酒も少し注ぐ。


父が亡くなりその3カ月後に母も逝った。
同期だけは戒名無し。



疲れと酔いと煙草を久しぶりに吸い
フラフラする。
足元がおぼつかない。
縁石にこ腰掛け紫煙は風無き斜面伝いに空へと向かう。
卒塔婆はじっと見詰める。


回想する。



再掲

命日。

2012-06-26 15:37:08

6月24日(日)午前九時半頃、谷津干潟の遊歩道を通って谷津保健病院へ行った。

  

二年前6月25日が食道癌で亡くなった友人の命日。

三階の病室前で合掌。廊下のソファで瞑想。

2012年6月24日    2010年3月20日

  

既に二年が過ぎた。

昨年、一周忌には幹事から「お前に苦言を呈す、バカヤロウ」とメールがきて出席を拒否された。

 

悲しかったが、

その後は幹事の自己満足の為だけの付き合いもなく、引っ張り回される事も無いのでホットしている、ストレスも減少した。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/3c310294fc6bf5b29c483ec451807cdf

 

帰り道、谷津バラ園の入口に立つ。現在、40%が開花している。

年々歳歳花相似たり、歳歳年々人同じからず。

毎年、知り合いは旅立つ。

谷津干潟の旅鳥を大双眼鏡で見る方々を眺めた。

   

彼は合気道はしたが、他に熱中する趣味はなかった。

唯一の楽しみは酒を飲むことだった。

 

健康の為にハイキングを誘った。

彼も私とハイキングに行くのを楽しみしていた。

日程も決めた段階で食道癌が発見された。

柏の癌センターで病名を告げられ

昼時、柏駅ビルのレストランで大ジョッキ2杯

チュウハイ3杯飲んだ。

途中の常磐線で江戸川を渡る鉄橋から飛び降り自殺しようかと考えた。

私の日本橋事務所でそのショックを話した。

癌発症により丹沢ハイキングは中止にした。

月日は真っ直ぐ寄り道せずに過ぎていった。

命の炭火の赤い炎がゆっくり静かに小さくなっていた。

病床であいつが眠るのを見ていた。

病室内はあいつの体を蝕む異臭

が漂っていたが、私も疲れで椅子に腰掛けたまま居眠りした

ふと、気配を感じて目を開けた。

彼がメモの紙に書いていた。

 

「お前と行きたかった」。

マーカーペンを握る力もなかった。

私は「丹沢ハイキング」と言った。

目が頷いた。

それから、力なく右手を振り

「帰れ」のシグサをした。

 

25日(月)夜 あいつが毎晩飲んだ居酒屋 あんこうに行った。

店主に今日が三回忌だと告げた。

「そうですか、早いですね」

おかみさん、お客様も皆、彼に優しかった。

 

妹さんが言うように

家族のいなかった彼にとっては私が兄弟のようだった。

三回忌などと儀礼的なことはなくても、故人を偲べる。

苦言を呈されることもない。

 

夜 関西に赴任中の学生時代合気道部同期から

電話があった。

命日の話だ。

昨年 役員を降りるつもりだったが、常務になったため

来年3月まで延びたとのこと。

帰京したら飲まなければ。

続く
酒と泪と男と女 (ライヴ)/ちあきなおみ