40歳過ぎて、小学校旧クラス会に出席した。
私の所在を求めて県と市に問い合わせたが判明せず
みんなが、手分けして電話帳を捲り
片っ端から電話して私の居所を探し当てのだ。
みんな和気あいあいと会話は弾んだ。
突然 一人男子クラスメイトが、私に向かって言った。
「お前が小さいのは、俺が滑り台から突き落としたからだ」
私は一瞬何のことか理解できなかった。
確かに山岳部時代 滑落で左脚にザイルが絡まり痛めた。
保育園に通っていた時、滑り台のてっぺんから
落ちて左脚を骨折。
戦後直ぐの時代には整形外科などなく
柔道場に併設している、所謂骨接ぎ屋と呼ばれる
柔道師に治療を受けた。
お袋は私を負ぶって接骨院に通ったが
疲れて、下されビッコを引きながら歩いた。
そうすると、子供達が寄ってきて何やら囃したてた。
お袋は怒った。
付近にいた母親らしき人も制した。
昭和20年代 貧しい時代の一コマである。
しかしまともな治療もなく
左脚太股と下肢は曲がって捩れたままについた。
なので、左脚は柔軟性が損なわれて現在に至る。
ずっと保育園で、踏み外して地面に落ちたもの思っていたのだ。
まさか 40歳過ぎて、骨折原因が小学校低学年の時
故意に突き落とされた記憶は抜け落ちていた。
ずっと、自分がミスで落下したと思い込んでいたのだ。
だから、教師母親にも言わなかったのだ。
この男はクラス会の席上で、自慢気に
勝ち誇った表情で喋った。
周囲は沈黙、初恋の彼女はじっと下に向いていた。
この男は、後ろから突き落とした事を自ら
時効だと言わんばかりに笑いながら暴露したのだ。
子供は無知で残酷なことをする。
成長すると、餓鬼大将は、体力と剥き出しの荒い脳は
誰もが等しくなり、己の立ち位置を自覚し始める。
ガキ大将は、目立たない少しばかりお勉強の苦手な生徒と化す。
この男も4人の男兄弟の次男で私同様に貧しい家庭であった。
勉強出来ない二人は教室で居残り漢字書き取りをした。
つまり、小学生の頃は精神遅滞者であった。
小山田圭吾も中高時代の虐待に指示はしたが
直接に手を下してはいないと言う。
悪知恵が働き陰湿になるのだ。
当時、公になれば少年院送り
私への突き落としも犯罪です。
歪んだ少年犯罪です。
自慢男は 私が怪我ではなく、ビッコになったことを知らない。
今は、少年の虐め発覚は世間に公開されるが
当時は、全てが闇に埋もれる。
突き落とし男は、小山田事件報道を見て
どう思っているか?
「他人事であり過去のくだらない出来事だった」
気にもしない。
クラス会に呼ばれて嬉しかったのは
恩師の女性教諭が、当初 私を憶えていなく
不思議そうな顔をしていたが。
突然 「ああああ 思い出した
とても可愛い子で卒業と同時に引っ越した子」
先生が仕切りに私に話しかけるのを横にいる初恋女性は
不機嫌な表情で。
小学生だったので、思春期には到達していなかった。
意外に「 俺ってモテモテだったのか」?
よぎった。
下の写真は 私を居所を探し当てた末
クラス会を開いている写真を送ってくれたのだ。
90歳で死去した先生の隣にいる彼女。
なかなか、装いは当時洗練されていた。
ゴンドラの唄 テノール榛葉樹人 ピアノ南雲彩
下記は参考ブログです。
「恩を仇で返す」
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