森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

饗宴と雨

2005年06月01日 | 随想・雑文

今シーズンは、F蔵会の仲間にも《の時間》を過ごして頂くことを計画している。F蔵のマスターにも是非参加して頂き、クッキングを充実させたい。マスターは、河岸の仕入れで早起きは慣れっこでしょうから、出来れば5時半頃に私が神楽坂までお出迎えし、その後6時頃に武蔵野線の新座駅で他の方々をピックアップすれば良いでしょう。

午後からゆっくり出かけて、一泊するほうが楽しめるので、参加者の都合次第で一泊もオプションにしましょう。その方が運転手さんも、安心してビールが飲めます。もう一台車があれば、都合に合わせて自由に登場、帰宅されても良いと思う。

饗宴の予定は梅雨明け、7月中旬頃にしましょうか?

もっとも佐久平からあの辺りは、日本で一番降水量が少ないそうで、あまり雨が降らないので、梅雨の影響は小さいと思うので、梅雨にとらわれずに皆さんのご都合で日時をきめたいと思います。

ところでわが国土の降雨量はご存知ですか。

平均年降雨量は約1700ミリ、つまり37万平方㎞の大地の隅々に成人男性の背丈くらいの降水量、6300億トンが降り注いでいることになる。しかし、その内、5000億トン以上の水は、そのまま海に流れてしまう。それは平坦な大地の大陸のように水がゆったりと留まることなく、山岳列島の河川は急で、顕著な四季が秋の台風や冬の豪雪のように季節に偏して降雨を集中させているからです。

水を有効に利用するのには、季節的に平均されて流れていることあ重要です。そのためにわが国では、水力発電も兼ねるダム造りが盛んに行われてきた。しかし、ダムは自然、山村の人々の生活、日本の伝統までも奪い取ってきた。しかも、大都会東京の水源として集中的にダムが建設された利根川源流域でも、年間降水量94億立方㍍に対して、ダムによる有効貯水量は3億立方㍍しかないが、流域の森林が貯える水は43億立方㍍にのぼると計算されたそうだ。

そこで、『ダム』としての森林の働きがきわめて重要になる。

では、何故森林が『ダム』なのだろうか。

奥多摩の山々を歩いていて一番目立つのが水源涵養林という保安林です。

次の機会には、樹冠に降った雨が蒸散・蒸発しながらも、どうやってゆったりと流れ、生物が利用し、海に注ぎ込むかについて触れてみましょう。

キーワードは『団粒構造 』と『浸透能 』。

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