七年振りに旧友と会った。W大学の「F語研究会」というサークルの仲間だから、35年来の友人達。長いブランクは全く感じさせず、止め処なく話題が湧き出ます。
酒の席では、ツッコミとボケ役が自然に出来上がる。我々は、体も心の裸も見抜いた仲。だれもがツッコミもボケも、どんな役もこなせるので、配役は話題ごとに変わる。
かつて机上の空論に明け暮れ、日本を、世の中を斜に見ていた我々(私だけかも知れないが)の話題の中心は、日本の良さ、自然の大切さ。日本の自然の価値をどうしたら今の人々に認識してもらい、次の世代へ引き継げるか、・・・。若い頃と百八十度違うテーマを熱く語っていたのでした。それは背伸びしているのではなく、ごく自然な流れでした。
皆、一様に海外暮らしの経験者。インド、タイ、香港、シンガポール、アメリカ、カナダ、ブラジル、リビヤ、・・・・。世界を見て、体で感じてきた人間の語る、日本の自然の深さ、価値には説得力がある。
阿弥陀堂の話題になり、『阿弥陀堂だより』の南木佳士(なぎけいし)は、佐久総合病院の院長で、我々と同年代であることを知った。
お医者さんで物書き家と言えば、森鴎外、北杜夫、北山修(フォーククルセダーズ)、渡辺淳一郎、等々。
『ふいに吹く風』は南木氏の最初のエッセイ。人心の底まで下りることが出来て、『死』が現実になっている人々と接している立場の人の表現には「優しさ」がある。76のエッセイ、全てが心に沁みる。
『阿弥陀堂だより』は、生きることの感動を思い起こさせてくれる。第二次大戦後、一度も止まらずに走り続けてきた日本の社会が、全体に息切れをしている。そんな時、自分が“生きている”ことをもう一度考え直すために、奥信濃に帰ってきた夫婦。遠くを見ることを忘れてしまった我々に、もう一度考えるきっかけを与えてくれる。
子供達と明るく集う夕暮れの帰り道。楽しいはずのひと時に、山際は暮れなずむ夕日に悲しいほどの紅色に染まる。思考を煽る加古隆のピアノの旋律。
死者を守る「阿弥陀堂」に生活する老婆、おうめ婆の言葉、
「畑にはなんでも植えてあります。ナス、きゅうり、トマト、かぼちゃ、スイカ・・・・。そのとき体が欲しがる物を好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、それはお金がなかったから出来たのです。貧乏はありがたいことです。」
「春、夏、秋、冬。 はっきりしてきた山と里との境が少しずつ消えてゆき、一年がめぐります。人の一生とおなじなのだと、この歳にしてしみじみ気づきました。お盆になるとなくなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。話をしているうちに、自分がこの世のものなのか、あの世のものなのか分からなくなります。もう少し若かったら頃はこんなことはなかったのです。恐くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。」