「うちの子供には学校給食を食べるときに、『いただきます』と言わせないで下さい。給食代はちゃんと払ってますので。」
と言ってきた母親がいる、という学校の先生の投書がラジオで紹介されていた。翌週もその番組では、他の先生達からも同じ話がいくつか届いたということを話題にしていた。土曜日の朝、「森の時間」にいるときは、この番組を聴きながら作業している。
「いただきます。」って、恵んでもらう、お金払わないでご馳走になるときにだけ言うのでしたっけ? そういうお母さんは、中国人もびっくりの、お金が全ての“拝金主義”者なのでしょうね。哀れな資本主義牧場の家畜。多分、そんなことをいう若い親は団塊ジュニアとよばれる世代ではないかと思う。その親世代が、敗戦の荒廃から今日の豊かな日本を造り上げる復興の中心となった世代、「団塊の世代」。子供達には同じ苦労をさせたくない、自分も豊かになりたい一心で、物欲・食欲・性欲の満足のためにがむしゃらに働き、遮二無二突き進んできた。日本の古き良き風習・伝統、心、慈愛、感謝の気持ちは軽視されていた。
高度成長の兵士団、沈黙の羊の群集。この団塊の世代には自立できない気の毒な人たちが多い。全てがお上や会社任せで、社会の常識も身につけないままに歳をとっている。その世代が「社畜」から開放され始め、巷間に無礼、無教養な中高年が目につくようになった。数年すると、ニートと化した自分勝手な不良中高年が、都会に留まらず田園にも拡大し、日本中を闊歩するようになるに違いない。
人が口にする食物全てに命が宿る。野菜であっても、魚、肉であってもみな命を有していた。だから大切な命を「イタダキマス」。命あるものを食べること、命の大切さ、あり難さ、命の循環、について考えるくらいの最低の教養は持ちたい。
太陽と自然の恵み、生き物に、全ての命に感謝。お米を育ててくれた人に、お味噌を作ってくれた人に、お茶碗を作ってくれた人にも、お箸を作ってくれた人にも、そして、「いただきます!」