あれから26年の月日が流れた。もうそんなになるのかとつくずくそう思う。真冬の夜明け前の5時46分、強烈な揺れで目を覚まされて何が何だか分からずにとにかく明かりを付けてテレビのスイッチを押した。確かその時点ではまだ電気は通じていたように思う。まだ放送は地震のニュースをしていなかったと記憶している。あの時はまだ地震の速報などは今の様な速報のシステムになっていなかった。出勤があったのでとにかく駅に向かったが通勤電車はやはり動かなかった。途中、駅までの途中のブロック塀が倒れていてこれは尋常ではないとこの辺でこの地震の大きさが次第にわかってきた。電気はしばらくして回復しNHKのテレビでようやく神戸市街の被害の模様が画面に映し出され始めた。テレビ電波は東京から発信されるのがほとんどで東京地方は揺れがなかった為通常通りの放送で関西がとんでもないことになっているなど露知らずのことだった。
被害はご存じの通りで強烈な揺れで神戸市をはじめ阪神間の家屋の多くが倒壊し高速道路が横転、新幹線の土台が崩壊しJRをはじめ私鉄の線路がズタズタに引きちぎれた。揺れの強さは東日本大震災とは違うそれ以上のものだったことがこれらの事象から分かる。東日本大震災での建物倒壊による死者はそんなに多くは無かったし事実倒壊そのものがなかった。二次的な津波被害が損害の程度を多くしたと言える。今日の新聞のコラムには逆境においてこそ、人の強さがわかる。「疾風に勁草を知る」を座右の銘にとある。