名月

2023-09-30 08:59:51 | 日記
 中秋の名月の昨晩は雲ひとつない快晴の夜空に煌々と輝く15夜の満月が見られた。ススキとお団子を飾って夜空を眺めるといった風情は最近ではしなくなってもっぱら自分の趣味や読書に時間をかけるような生活パターンになってしまったが、それだけトシをとった証左かもしれない。
 昨晩は司馬遼太郎生誕100年の記念講演番組を見たかったのだがそれはビデオ録画にしておき1970年の大阪万博で記録した8ミリ映画を約1時間かけてみた。カラーとモノクロを織り交ぜての記録で長男が1歳8か月のものであの頃の様子を改めて思い出していた。
 長い間映していないフィルムだが意外と色合いや汚れはなくて綺麗な映像で息子たちにも見てもらえるかと安心している。当方は映写機はあるのだが、肝心のランプが切れてしまっていて使おうにも使えない状態が長く続いていたが、息子がインターネットで購入できるかもと言ってくいれて中古だがなんとか動く機械を調達してくれた。もうこの記録8ミリ映像は再現できないのかとあきらめていたがやはり辛抱はしてみるものだ、いつか日の目を見る時が来るに違いないとの確信は生きていた。30~40分もののリールがまだ他にもあるので時間をかけて見てみたい。DVD化はかなりの経費が掛かるものとおもわれるのでなんとかそらは避けてみたい。
 中秋の名月、夜空の満月

 まるで日本国旗のようだ。

日中は猛暑

2023-09-29 13:21:41 | 日記
 9月も終わろうとしているのに今日の関西地方の日中は33度の猛暑である。寒いのが苦手な当方だがこんな9月末は初めての経験で稲の実りにも影響が出そうなことではないかと心配だ。台風の発生が9月に1個もないのもこれ初めてではないだろうか。このままこの状態がすんなりと行って平穏な秋であってほしいと願うばかりである。

ダークダックス最後の生き残り

2023-09-25 18:01:07 | 日記
 男性コーラスの先駆けとして活躍したダークダックスの最後の生き残りのバス担当の遠山一さん(本名金井哲夫)が22日お亡くなりになった。93歳。ロシア民謡を主として各地を回り人気を博した。その後デウークエイセスやボニージャクスが後追いでデビューして歌謡番組を大いに沸かした。そして演歌ジャンルにまでコーラスグループが進出したのがロスインデイオスや殿様キングス、東京ロマンチカに和田弘とマヒナスターズなどなどがさらに面白味を加えて昭和のいち時代を築いた。そのインデオスのリーダー棚橋静雄さんが19日85歳でお亡くなりになった。
 昭和という時代がまた消えてゆくようで寂しい気持ちにさせてくれる。ダークはこれで全員が鬼籍入りとなったし、ロスインデイオスの女性コーラスのシルビアさんは(本名松田理恵子)2010年52歳の若さで他界されている。

秋分の日

2023-09-23 09:52:13 | 日記
 秋のお彼岸を迎えた。今年の9月は異常な高温の連続で7月8月に続いて史上最も暑い9月になること間違いなしである。昨夜は久しぶりに夜中に寒さを感じて薄手の夏用の着布団をまとって又眠りについた。
 今年は今のところ台風は発生しておらないでこのまま無事に経過してもらいたいが9月は台風の季節であるから油断はできない。異常季節のこの頃だから台風が10月にずれ込む怖れは十分にあると思っていいのではないか。
 昭和3大台風を列挙しておくと

 室戸台風は昭和9年(1934)9月21日
 枕崎台風は昭和20年(1945)9月17日
 伊勢湾台風は昭和34年(1959)9月26日
にそれぞれやってきている。私は伊勢湾台風の被害を経験しているので台風の怖さを身に染みて思い出す。我が家は少し高台にあったにも関わらず床上浸水で近所の皆さんは我が家の2階へ避難された。当然、避難された近所の方の家屋は水浸しになった。上流から流されてきた遺体を見たのを思い出す。初めて溺死体をみたのを思いだす。頭骨の一部がむき出して頭蓋骨は半分無くなっていた。

オリックス3連覇

2023-09-21 09:51:30 | 日記
 プロ野球パ・リーグはオリックスバッファローズが3連覇した。最近は見るものが沢山あってプロ野球はあまり関心事ではなくほー、オリックスがそんなに強いのかと後になって気が付く有様である。3連覇といえばあの阪急ブレーブスの上田監督時代を思い出す。剛腕山口投手を擁してあれよあれよという間に優勝を搔っ攫ってしまい多くのファンを魅了しがが、投手以外にも野手にもピカリと光る選手が多くいた。トップバッターはまさに切り込み隊長の福本選手で塁に出ると俊足をいかしてすぐさま2塁へ盗を決め得点に繋げた。このパターンは巨人の9連覇時代のトップ柴田選手に似ていた。私は巨人の9連覇なるものが果たして本当の実力だったのか疑問を持つひとりだがそんな巨人時代を打ち破る上田阪急が頼もしく思ったものだった。
 4連覇をかけた神宮球場のヤクルト戦で大杉選手の大きなレフト観覧席に飛び込むホームランでこれはファールではないかと上田監督が抗議したが通らず勝負は負けで上田監督は阪急監督を辞任した。今ならビデオ判定だが当時はまだ審判の目は偉大で判定は覆らずである。
 この試合はたまたま会社の同僚数人と釣りに出かけて帰路のクルマの中でのラジオ放送を聞いていたのが思い出である。