田中将大投手、復帰

2021-01-31 13:22:56 | 日記
 米大リーグで活躍した田中将大投手が古巣RAKUTENに復帰することとなった。年俸9億円と球界トップを占める。大リーグで8年間を第一線で活躍して今季フリーエイジェントとなって日本球界を選んだ。活躍を期待したい。一番興味を持っているのがソフトバンクの工藤監督ではなかろうか。
 田中投手といえば駒大苫小牧高で優勝投手となり2年連続夏の甲子園優勝と騒がれた早実との決勝戦で齋藤祐樹投手との投げ合いが印象に残る。惜しくも敗れたが田中投手がどこの出身なのかその段階では知らなかったが、それが兵庫県伊丹市と分かり身近なところにそんな大投手がいるなんてとまさに驚きだった。齋藤投手は早稲田大学に進学し彼はプロに進み東北楽天に入団した。齋藤投手は日ハム球団に入ったが高校時代の成績とは裏腹にプロの成績はパッとしないまま現在に至っているが田中投手は大リーグでかなりの成績を残し今日古巣RAKUTENで球界一の年俸を獲得するに至るのだが二人のこの差はなんだろうか。
 1月が今日で終わる。太陽の光が白みを帯び始め春の気配がしだした。一年の内の暗い11月12月1月が終わって明るい季節がこれからやってくると思うとそれだけでワクワクする。今年の立春は一日早い2月3日である。今年の恵方は南南西とか。家内はもう豆まきのまめを買ってきている。


桂三枝さんの奥様

2021-01-29 09:48:06 | 日記
 桂三枝さん(現在は桂文枝)の奥様がお亡くなりになった。奥様は河村真由美さんで享年67歳とか。少しいや随分若い年齢かと思う。
 三枝さんは池田市五月丘にお住まいだと思う。私達家族は池田市に縁があって公団住宅五月丘団地と緑丘団地に永年お世話になって子供二人の成長時期を過ごした。五月丘団地は池田市の高台にあって団地の中央に大通りが通っている。その中間に団地住民の生活を支えるスーパーがありそのすぐ下に池田市図書館があり更にやや下がった場所に河村邸があった。現在もお住まいと思うがその河村邸が三枝さんのお家である。正面は丸い形で屋根は平面の洋館のようなちょっとした西洋のお城といった感じである。お弟子さんもお住まいだったかと思う。家内はそのスーパーで買い物中に奥さまと出くわしたという。
 67歳という若さでの病死とかだが、経済的な心配はほぼゼロだろうが精神的な幸せ度はどうだったのだろうか。夫のテレビで見る顔と実生活の顔との落差はどうだったのだろうか。推測で判断するのは禁物だがはっきりしているのは病は日々の生活習慣の積み重ねが大きな要因ときく。翌日の25日に実母の治子さんがお亡くなりになった。99歳でこれは納得だ。桂文枝という重責だができるだけ亡き奥様と過ごした池田市の住宅にこれからも足繁く帰ってきて池田市の皆さんに笑いを提供して欲しいものだ。

大阪市の地価下落

2021-01-27 11:59:31 | 日記
 大阪市ミナミの地価路線価が大幅に下方訂正された。理由はコロナ禍によるインバウンドの訪日客の大幅減少によるという。周辺の京都神戸奈良はそれぞれ変更はないようだ。なぜ大阪市だけが下がったのか。果たしてコロナ禍だけが下げ要因なのかだ。思うにこれは都構想否決の結果ではあるまいかと私は思う。公明党の賛成でほぼ都構想達成と見る当局が将来の成長を見越して地下上昇を見込んだのが昨年の地価価格だった。松井市長もそれをたびたび住民投票前に市民に宣伝して土地を売らないようにと言っていた。大阪市を大発展させようと維新の皆さんの並々ならぬ努力が市民51%の方々が(ざっくりではあるが)無にしてしまったのではないだろうか。地価はバブル時代のようなバカ価格に上がってはならないが適度に上昇して活気あふれる街並みに人が集まる場所はやはりそこそこ値上がりしてもいいはずだ。大阪市中央区安土町2-5-6 の表示と大阪府(大阪都)中央区安土町2-5-6 との表示になんの違和感もないはずである。ミナミの繁華街も心斎橋の賑やかな大通りも同じである。そこに住んでいる住民にとってその場所が買い手の無い場所がよいのか、大勢が欲しく欲しくててならない場所がよいのかどうか。私はやっぱり後者を選ぶ。

明智光秀首塚

2021-01-26 13:56:28 | 日記
 25日、所用で京都に出かけた。四条通に河原町通りはそこそこの人出のようだった。ただ、あの外国人が駆け付けた賑わいはなかった。予定より早く片付いたので今「麒麟がくる」の主人公明智光秀の首塚が近くにあるというので寄り道をしてみた。三条通りを東に向かい地下鉄東山駅のすぐ近くにあった。住宅地の中にひっそりとひと坪くらいの祠で光秀公と扁額がかかっていた。79歳代の夫婦とみられる方も来ていた。
 半年前にやはり近くの豊国神社にお参りしてきたが同じ戦国武将の二人だがこうも桁違いの威光の違いに考えさせられ片や中国大返しから謀反人を成敗し天下を手中に収め太閤記として国民のアイドルとなった秀吉と”謀叛人”のレッテルが根深く付きまとう光秀の差を思い知らされた。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回はどういう展開でピリオドを打つのか。
  今日は旧12月14日に当たる。つまり赤穂47士が吉良邸に討ちいった日である。もっとも時刻は15日の早朝だが一般的には14日が討ち入りの日といわれている。当日は雪の降る寒い日とされているが今日の関西地方は4月頃の気温とかで暖かい。

坂本スミ子さん

2021-01-24 08:41:18 | 日記
 坂本スミ子さんがお亡くなりになった。84歳。熊本市内の病院で脳梗塞のため死去とある。最近テレビマスコミから遠のいておられたようだ。坂本スミ子さんとはお逢いしたことがある。在職していた会社の子会社がブテイックを開店したのが始まりで東京原宿の若者の集まる界隈と赤坂のホテルニューオオタニの1階の二か所で特に芸能人や有名企業の役員をターゲットにしての商品展開だった。坂本スミ子さんはよく原宿のお店に顔をお出しになって高級ブランドのワンピースをお買い上げになってくださった。原宿店長は当時京都出身のM氏でお互い関西弁まる出しで「Mさん、今度舞台があるの、何とかええもんあれへん?」とかなんとかで大の得意先のようだった。そのほかもうだいぶん前にお亡くなりになった大原麗子さんもおいでになりお買い上げいただいた。私は大原麗子さんの方が何やら気にいったのかサインを頂いた覚えがある。
 あれは昭和49年(1974)頃で46年前になる。つまり坂本スミ子さんは当時38歳のころである。芸能人とかテレビで活躍されいる皆さんを殿上人のようにあがめていた頃で別世界のひとのように思っていた。まだ東京のどこかで活躍中と思っていたが、熊本市内の保育園の園長さんだったとは初耳である。確か歌手の水前寺清子さんも熊本県で老人ホームの経営をされているとか。