11月30日

2021-11-30 11:51:22 | 日記
 11月が終わろうとしている。月初は寒い日があり今冬は例年にない寒い冬との気象台の発表があったりして早めの冬支度をしたが後半は穏やかな日和で過ぎ去ろうとしている。日記を繰ってみると雨の日は9日と22日の二日だけであとは8日と11日が曇りのほかは全部晴れの過ごしやすい一ヶ月だった。今が日の入りの最も早い頃であとしばらくがその底になる。

勤労感謝の日

2021-11-23 09:20:06 | 日記
 11月23日は勤労感謝の日だ。農家の皆さんにとっては今日の日辺りはほぼ今年の収穫の作業を終えた頃でその労をねぎらうという意味を込めた日として祭日が設けられている。昔は新嘗祭として五穀豊穣を願い今年の収穫に感謝する日とされた。
 今は機械化されて稲の刈り取り作業も一人で一気に刈り取りから脱穀して袋に詰め込む作業もあっという間に出来上がってしまう。まだ機械化されていなかった昭和30年代の刈り取り風景は一家総出で鎌で刈り取り一定の大きさに束ねて行きそれを稲木という稲の束を干す作業があり、数日干した後それを足踏みで回す脱穀機で稲の穂を取り出して俵に詰め込むこの一連の作業があった。しばらくして石油発動機があらわれ足踏みから動力での脱穀に変わったがそれでもほとんどの作業は人の力だった。
 春の田植えと真夏の田んぼの草とりに秋の収穫とこの一連の作業の労たるや大変なものだったに違いない。それでかどうかしらないが 、たぶんそうだろうが腰の曲がった老人をよく見かけたが前かがみの多い稲の農作業は身体に大きな負担をかけたに違いない。畔道には大豆を植えて少しでも収穫を増やそうとした知恵もあった。稲の穂にあるもみ殻を取り除く作業は各家ではできなくて一定の作業場に持ち込んで精米も一緒にやるようだった。私の幼い頃だが一升瓶に玄米を入れて細い木の棒で突いて糠を取った覚えがある。昔の江戸時代の精米の方法はどんなものだったのだろうか。
 今の飽食の時代、何となくごはんをいただいているが食卓に上るまでのコメにこれだけの多くの労力がかかっていることが頭にあるだろうかとふと思う。コメだけではなくて野菜に魚に肉などスーパーの店頭に並ぶまでどれだけの労力がかかっているだろうかと思うと感謝しなければならないことが随分あるのではないだろうか。今日は勤労感謝の日だ。感謝感謝の毎日を送ろうではないだろうか。

宇宙の漆黒 地球の輝き

2021-11-14 09:44:45 | 日記
 12日の朝刊に宇宙飛行士野口聡一の宇宙滞在記が出ていた。宇宙に興味を抱いたきっかけやISSで半年間の滞在経験を豊富に語っている。例えば『青とはどんな青?』ではガガーリンの「地球は青かった」で有名ですが確かに地球は青かったですがそれ以上に『まぶしさ』が印象的でした。太陽の光を反射する地球の圧倒的なまぶしさに驚いたと言っておられます。そして光まばゆい地球と、真っ黒な世界である宇宙のコントラストに衝撃を受けたそうです。
 宇宙のその「黒」とはどんな黒さなのかの質問に「漆黒でしょうか。地上で見る物体の黒はあくまでそれに反射した光の色からの黒です。でも宇宙では、光は永遠に真っ暗な世界に吸い込まれたまま、戻ってきません。だから、漆黒と言っても色とは違う。何もない黒です。同時に地球のまぶしさに目が慣れて宇宙の天体の光がほとんど感知できないための黒でもあります。
 ISSでの感想では「船外活動で地球の『まぶしさ』と宇宙の『闇』を同時に見たとき、生命があふれる地球と完全なる死が満ちている宇宙とが、ごく薄い大気の層を挟んで向かい合っている。船外活動で身ひとつで宇宙空間に出てゆくのは、この世とあの世の間に流れる『三途の川』を渡るような感覚だった。
今回『心底、恐ろしい』と痛感したことは地球の昼の時の45分間、足元でまぶしく光る地球が見えますが頭を向けている宇宙の方は真っ暗なんですよ。ヘッドライトの光を何も反射しないので太陽の光があっても何も見えない空間が目の前にある。昼間の世界なのに暗い。『これはやばい』と思ったそうです。
 地上で最も心が安定するポーズが座禅を無重力状況では難しい。「上・下」や「縦・横」が消える世界で宇宙に人類が進出した将来、『上下関係』という規範も意味をなさなくなるかもしれません。「人に頼らず自分の足で立て」の表現も「将来的には失うかもしれません。『大地に根を下ろす』という言葉も地上ではそうでも宇宙では上下関係がないため光合成を行える場所ならばどこへでも根は伸びる。
 宇宙へ行くとは『引き算の世界』で「宇宙に飛び立つと何かが欠けてゆく。地球の家族友人との物理的な距離、ロケットの燃料が減り重力もなくなる。食べ物も制限される。宇宙は永遠に続く『引き算の世界』で地球は必要なものが全部あるパラダイスであるという意味をよく理解できます。
 以上が宇宙飛行士野口聡一さんのインタビューである。そしてご自身『モルモットからの脱却』を果たし自分自身で宇宙体験を研究したいと思っておられます。
 余談ながら野口聡一さんは1965年4月のお生まれで私のふた回り下の巳年生まれでなにか巳年という同じ干支で親近感を覚えた次第である。



立冬

2021-11-07 13:52:03 | 日記
 24節季のひとつ立冬である。暖かい今日は陽射しに恵まれとても立冬とは言えない。そうだ。半年前の立夏だが丁度この頃から電車内はクーラーが入り始め夏到来を感じさせられたが今年はなぜか涼しい毎日でこの頃季節感がなくなったといわれる所以をひしひし感じたが、昨年に引き続き暖かい立冬でこのままこの冬が温かいもので過ぎて欲しいものだ。

橋下がつき松井がこねし維新餅、見事な仕上げの吉村副代表

2021-11-03 09:27:58 | 日記
 戦国乱世を収束させ天下統一を成就させた戦国3英傑を世間の民は「織田がつき羽柴がこねし天下餅、ただうまうまと食らう家康」と評して言った。昨年11月の大阪都構想の住民投票でまたもや僅差ながらこの構想は否決となったが、もしこれが可決されていたならば私は「橋下がつき松井がこねし大阪都構想、見事な仕上げの吉村知事」と書くつもりであった。これが成らずに内心忸怩たる思いであったが、今回の衆議院総選挙の結果日本維新の会が第3党の躍進して大きな足掛かりをつかむ結果を出した。維新の会はまだ大阪兵庫と言った関西地方の都心部のみの勢力範囲だが着実にその影響範囲を広げつつあることは間違いないようだ。自民党の支持者がまだまだ多く維新の知名度が低く内容がまだ知られていないのが実態で今後これをどうするかが維新の会の大きな宿題であろう。躍進の元は比例票で多数が維新の会の政党名を投じたものと思われるから今後が期待されるものだ。
 自民党の前幹事長甘利明氏は比例復活はしたものの本選での落選で幹事長を辞任した。氏は戦国大名武田信玄の24将の一人甘利虎泰の末裔という。信玄と縁戚関係があり重将No.2の虎泰が我甘利家の先祖だといわれる。戦場で甘利隊前えと声がかかっただけで敵は退散したというくらい猛勇猛将だった。5年前金銭問題もあり今回の選挙では信が得られなかったようでご先祖の虎泰も合戦で戦死したようで甘利前幹事長も復活当選はしたものの副社長が一夜にしてヒラ社員に降格したようで合戦の一寸先は闇で権力とはまことにはかないもののようだと昨日の新聞のコラムにある。