異常事態の日本

2020-02-28 10:10:31 | 日記
 とうとう全国の小中高の全校が休校になる事態にまで発展した今度の新型コロナウイルス事件だ。ここまで悪化するとは予想もしなかった。安倍総理が全国の小中学校の休校を要請する前に大阪では松井市長が府下の学校に同様の指示をいち早く発表している。自民党の対応が遅いと批判されそうな気配もする。
 確定申告の申告期限も4月16日迄と一か月延長するとの記事が新聞に出ている。納税者への配慮と税務署職員への両方の配慮がそれであろう。私はすでに終えて税務署から受付印を押印した控えを受領している。
 この新型ウイルスは人の口から出る飛沫感染が拡大する要因といわれ、人の集まる場所には極力避けるようにと要請されている。従ってその代表的な学校が挙げられまた通勤の満員電車がそれで時差通勤などの対策が採られている。電車のつり革など不特定多数の人の触れる物体には要注意で外出先から帰った時には手洗いにウガイの励行は必須の対策だろう。私の住む住宅地の自治会でも何々会の会合の中止の回覧が回ってきた。感染予防の措置が採られている。これでは近くのスーパーの売り上げも大きく落ち込むことが予想される。日経平均も大きく落ち込んでいて景気が悪化することはほぼ間違いなさそうで消費税増税と相まって相当な下振れになるだろう。
 安倍政権はアベノミクスなる言葉で景気回復が声高に叫ばれてきたがそれはたまたま団塊世代の世代交代による人手不足によるもので3本の矢なるものもほとんど不発に終わった。物価高がなかった為多くの年金受給者の高齢者の消費に支えられて何とか現在が維持されている。安倍政権もまもなく終わる。末期は何時の時代も哀れが付きまとうのは何故だろう。まもなく東京五輪とパラリンピックが待っている。開催は大丈夫だろうか。気になるのは私一人ではないに違いない。

春先の天候

2020-02-27 09:04:32 | 日記
 毎日目まぐるしく変わる天候にやや落ち着かない日々だ。おとといは全くの青空だったが、昨日は曇り空で今朝は陽射しがあるがどうも雲行きが怪しい。春先の天候は不安定なようだ。今世界中で新型コロナウイルスで話題が持ち切りである。気になって体温計を取り出して測ってみた。36.2度とみえた。なにせ古い水銀柱のあの体温計である。勢いよく振りかざしてゼロ以下にしてわきの下に差し込んでの計測である。医療機関に行くと最初に渡されるのがこの体温計で同様にして測ると時間が来てピピーと時間ですよと教えてくれて数字で表示してくれる。血圧計は毎日お世話になっているが体温計はついぞ頭の中にはなかった。
 そういえば発熱のことだが最近この発熱とは疎遠になっている。昔、サラリーマン時代は風邪気味で身体がだるくて関節が痛み目に見えるものが黄色になったときには必ず体温が37.5度以上になっていた記憶が多々ある。原因は過労である。性格上、仕事にのめりこむ体質で中途半端が嫌でついつい自分の体力以上にエネルギーを費やす結果だった。医者に過労ですよといわれてブドウ糖の注射をしてもらってみるみる元気の湧いてくる自分がよくわかり有難く思った経験を記憶している。水分の欠乏が風邪引きの要因とかだが、そういえば医者からもらった薬を服用するときコップ1杯の水で服用してくださいとあるのはそれなりの意味があるのだと分かった。有難いことだがここ10年かそれ以上か発熱の覚えがない。コロナウイルスには油断せずに外出先から帰った時には、必ず手洗いとうがいの励行に努めようと思う。

2・26事件から84年

2020-02-26 20:51:47 | 日記
 1936年(昭和11年)陸軍青年将校ら1,483名の下士官兵が起こしたクーデター未遂事件(グーグルより)から84年が経過した。当時の日本は軍国主義で戦争へに道へまっしぐら。日本は強い国どこにも負けない神の国と子供たちに教え込み教え込んだ親たちも米英何するものぞとの思い込みが強くしみ込んでいた。何も知らずに間違った方向に進んだ結果があの負け戦だった。その負け方も一方的にたたき壊されての負けだった。
 令和の今の世の中であのクーデターを起こした青年将校たちにあったあの意気込みがほんの少しでもあれば日本経済はもう少し活気ずくのではとちょっと考えてしまった。意気込みとは経済的なことで決してクーデターといった政治的なものではない。

天皇誕生日

2020-02-23 08:23:01 | 日記
 令和新天皇の最初の天皇誕生日である。天気もよさそうでなによりのことでお祝い申し上げます。令和元年は5月1日からであるのでその年の2月23日はまだ平成の御代だった。
 新天皇は今年60歳だ。そこでふと自分の60歳を思い出してもいいのではと思う。今から19年前である。19年前といえばそう日本経済と日本そのものの生き方体質が大きく変貌しようとする時期だった。サラリーマンは終身雇用というもので守られて定年まで自分で辞めない限り生きて行ける時代だった。それほど成果を上げなくても会社におられた。サラリーマンは気楽な稼業というもんだという歌さえあった時代が戦後の昭和に時代だったが、バブル崩壊が始まりサラリーマンも定年まで気楽に勤められる時代ではなくなって来始めたのが19年前のあの荒んだ時代だった。護送船団という仕組みで守られてきた金融機関で潰れる心配はないという神話だった金融機関が潰れ始めた。北海道拓殖銀行に山一証券の倒産である。
 個人も自分の資産を自分で守らなくてはならない時代がやってきた。銀行には1千万円の上限が設けられてそれ以上の預金は銀行が保証しないというものだ。所謂ペイオフというものである。
 私は60歳の定年を待たずに会社から退職を言い渡された。ショックだった。退職半年前には役職を外されその気配を感じながらの会社勤めだった。会社からはいち応再就職斡旋を受けて様々な小企業に勤めたがほぼ半年で辞めていた。幸い当時の失業保険はそれなりにありまた会社の企業年金があって何とか凌げたが年金受給までの4年間は相当の苦労話の連続であった。
 会社の従業員解雇が始まって最初が私だったように思う。なぜ私がと会社に不信感が大いに漂い悩んだ。がそれから2年3年経過すると他の従業員にもそれが始まった。よく言われるリストラの始まりであった。それが原因かどうか知らないが私より若くて元気なやつが急死する事態が3人4人もありノイローゼになるものもいた。定年まで在職を許されたものも結構いたがその人たちも毎年行われるOB会には出てこないのが多い。昔羽振りの良かったあの人はどうしたのかしらなのである。平成31年間は大地震が2回もあり風水害は毎年のごとく日本列島を襲い長崎雲仙では未曽有の火山噴火がありなどなどまさに災害の平成時代でありさらに加わるといえば私たちの生き方働き方を根本的に変化を要求される時代だったのではないだろうか。平成は昭和の残滓の清算の時代だったといえる。

日の入りが1時間伸びた。

2020-02-21 09:32:45 | 日記
 朝から快晴の良い天気、まさに春本番を思わせる。今日の関西地方の日の出は6時38分で日の入りが17時48分である。12月の上旬頃の日の入りが16時48分だから丁度1時間日の入りが遅くなった。夕方が明るく1日の時間が延びたような何となく得をした気持ちになる。
 そろそろ春一番という温かい南風が吹く頃だが今年はどうか。昨年は2月23日であった。23日は新天皇誕生日だ。暖冬だった今年は春一番という言葉がピンと来ないかもしれない。新天皇を祝う皇居一般参賀が新型コロナウイルスの蔓延を防ぐ意味からも中止になった。さぞかし新天皇新皇后ご夫妻にとって残念であろう。今日の新聞には催し中止・延期次々と大見出しのニュースである。東京オリンピックパラリンピックの開催にとってもこの予期せぬ病原菌の世界的蔓延に黄色のランプ点灯にならないように早期の終息に向かて欲しいものである。