こんばんは。
今日は殆ど一日雨でした。
強くはなかったのですけれど、雨量としてはそこそこあったかなという感じの雨。
それでも夕方には小降りというか、雨粒を感じなくなるくらいになりましたので、いつものように歩いてきました。
けれど、山に近いというのもあるせいか?途中から霧だか雲だかが出てきて、下界はもやった向こう側という世界になりましたね。
これ、下から見るとそれこそ霧だか雲だかに隠れてしまい、そこへ山があることすらわからなくなる感じです。
夜半には取れてくれると嬉しいですね。
そんな日の朝は、これもどんより曇り空でした。


散歩をするご近所にはまだ結構田んぼがあります、この辺り。
今年の稲刈りの時期はどうしてか雨に見舞われ、刈る頃にその雨が続いてしまい、田んぼがぬかるんで上手く機械が動かせないとご近所さんも
手こずっておられました。
それでも稲刈りの後はその稲をはさ掛け、つまりは干しておられる光景も結構見られ、やはり秋だなぁとその風情を楽しませて頂いておりました。
ですけれど、そういうご近所さんも高齢化の波には抗えないのか、ある日その田んぼの土をごっそりとブルドーザでかき出す工事が始まりました。
日に日に田んぼが田んぼではなくなって行っております。
どうやら、そこはこの後はアパートになる予定のようです。
下界が見渡せるほどの処でもあり案外と見晴らしが利くお気に入りの場所でしたけれど、建物が建つとそんな景色もまた一つ消えてしまうのだ
なぁ、とつい寂しくなる思いがしております。
この辺りかなり標高はあり、それほど便利とはいい難い場所なのですけれど、皆さんそれぞれに車が主な足、移動手段となっておられますので、
いうほど不便は感じておられないのだと思います。
この辺りの別のそのようなアパートも然りでして、住めば都、そういうことかもな、とも感じております。
此処へ越してきたのは数年前、これらアパートもそれほど数が無かったものが急激に増えてきており、年々景色も変わっていくようです。
静かだったこの辺りも人が増えていくのは、これも世の趨勢、そういうことなのかもね、と一人年寄り臭く感じておるこの頃です;。

今朝、いつものように見えてきたことを書いて参ります。
曇った空を行く並列で進む 数多の龍
曇り空の上は青い空が見えている
峨々とした山々 雪が降っている
山肌に白いものがあり 針葉樹が生えている
そこへ 野生の鹿?
ゴリラ??? なんで此処へ?
此方を見つめて なんともいえぬ顔
気候の変動があるということか?(意味はわからない)
両脇が高い絶壁のよう
フィヨルドのようなところを行く 飛んでいく?
空は青い
大神の声
『 (27日神迎祭) 参るのだな
まずはよし
出会いあれば 別れあり
(別れたものにも) 幸ある
次のそなたの道 歩んで参れ
次への(ステップへの)移行である 』
『 水晶 尖っているその先は 精妙
御霊という そのたまは丸い
棘があったり 欠けていたり 曇っていては 光らぬ
丸くなれ そうすることで 内側から 光れ 』

相も変わらず、自分の妄想が渦巻いているような展開となっておりますけれど;。
最初に見えてきたのは、これも毎回の定番のように感じられる龍が空を行く、駆ける姿ですね。
書いておりますように並列で横並びになりながら、空を駆けていく様が見られます。
そのうちに視点が変わり、寒い光景が見えてきます。
霧がかかったようなお天気の切り立ったような山々から次第に下へと目をやると、雪の降っている山肌には針葉樹が見えてきます。
そこへその辺りに生息しておる野性の鹿らしき姿が見てとれます。
と、ここまではどこかで見たことあるような、ごく普通の景色なのですけれど、そこへいきなりゴリラが登場するんですね;。
えっ;???とその景色のギャップに頭の中でも自分自身が戸惑った記憶があります。
ゴリラ自身、なんとも言えぬ、見ようによっては悲しそうとも怒っているとも取れるような複雑な表情をしていたように思いました。
アフリカの森の奥に棲息している生き物ですから、ゴリラ自身その環境へ居たとするならば、大いに困惑して当然ですよね。
現実ではありえない光景ではありますけれど、将来何がしかの異変で地球の環境が激変したとすれば、或いは無い話ではないのかもしれません。
更に視点は変わり、次には北欧のフィヨルドのような光景が見えてき、そこを音も無くかなりのスピードで飛んでいくように感じられます。
果たしてそれが龍であるのか、自分自身がそのように飛んでいる感覚であるのか、これは分かりませんでした。
けれど上空は青く透き通り、清々しさを感じていたように思います。
今日の言葉は、これは大國主大神の言葉であったようです。
出会いと別れについて言われておりますけれど、これには訳があります。
今朝のことですけれど、長年のお付き合いのある信者さんがさる理由から来年からのお祓いは取りやめますとの連絡を頂戴したからでした。
お互いよく存じておる仲ですので、決して仲違い等ではなくご自身方の健康上のことで、これ以上続けていけるかどうか自信がないとおっしゃい
まして、ひとまずこれで、ということにされたようでした。
お引止めするにも此方もなんとも返答のしようもなく、ともあれお元気でお過ごし下さいと互いに話して電話を切りました。
なんとも切ないなぁとも思っておりました後に今朝の祝詞を奏上し、これら一連の言葉が頭に響いてきたというわけでした。
長年、この仕事に携わらせて頂いておりますと、やはりこうしてポツポツとお止めになる方も出てこられます。
理由は様々におありであり致し方ないなぁと思いつつも、片方で寂しいなぁと感じざるを得ません。
そんな気持ちを見透かしたかのような今日の大神様の言葉ではありました。
出会いと別れ、いつどんな時にもあることですし、生きていれば色々な事で遭遇するものでもあります。
そのような、いわば表と裏のような出来事ではありますけれど、これは双方それぞれにまた新しい展開となるはじめなのかもしれない、そうも
感じました。
水晶の話?の後に御霊の話が出ておりますけれど、どうしてこの水晶が出てきたのかは釈然としませんね。
どうやら別の言葉も頭に出てきたようなのですけれど、どうにも思い出せず、その後に御霊の話へと移行したようです。
おそらく水晶というのはその結晶は非常に精巧であり、自分達の御霊もそれに劣ることなくそれ以上に美しいものである、ということを言われた
のではないのかなと感じます。
水晶自体、結晶の先は鋭利でもあり、非常に尖っているともいえなくもありません。
ですけれど、丸く磨かれた水晶の輝きは結晶のそれと比べてまろやかであり、辺り一円にその波動を放出しているとも感じられます。
自分達自身の御霊もこれと同じように丸くなることで、その輝きはより一層内面から光出てくるものであるといわれたのでは、と思います。
今日見えた光景や言われた言葉、いつも以上にてんでバラバラな感じは致しますけれど、いつかそのような点が線となって理解出来る日が来るの
かもしれません。

先日お知らせ致しましたこの二十七日からの神迎祭、続いての神在祭等、此方へ龍蛇神講という講の講員として参列なさりたいと思われる方が
御座いましたらば、下記よりご連絡下さいませ。
また、ご縁を頂かれたいとお考えの方も「縁結大祭」という、縁を結んで頂く御祈願を致しておりますので、併せて御覧頂ければと存じます。
詳しくは当ブログの三日の「神在祭等について」に詳しくご紹介させて頂いております。
宜しくお願い申し上げます。
メールアドレスは
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
尚、16日のブログの緊急告知の方も合わせてお読みいただけますと幸いに存じます。
まだ、もし考えておられる方が御座いましたら、どうぞ上記のアドレスまでお伝え下さいませ。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は殆ど一日雨でした。
強くはなかったのですけれど、雨量としてはそこそこあったかなという感じの雨。
それでも夕方には小降りというか、雨粒を感じなくなるくらいになりましたので、いつものように歩いてきました。
けれど、山に近いというのもあるせいか?途中から霧だか雲だかが出てきて、下界はもやった向こう側という世界になりましたね。
これ、下から見るとそれこそ霧だか雲だかに隠れてしまい、そこへ山があることすらわからなくなる感じです。
夜半には取れてくれると嬉しいですね。
そんな日の朝は、これもどんより曇り空でした。


散歩をするご近所にはまだ結構田んぼがあります、この辺り。
今年の稲刈りの時期はどうしてか雨に見舞われ、刈る頃にその雨が続いてしまい、田んぼがぬかるんで上手く機械が動かせないとご近所さんも
手こずっておられました。
それでも稲刈りの後はその稲をはさ掛け、つまりは干しておられる光景も結構見られ、やはり秋だなぁとその風情を楽しませて頂いておりました。
ですけれど、そういうご近所さんも高齢化の波には抗えないのか、ある日その田んぼの土をごっそりとブルドーザでかき出す工事が始まりました。
日に日に田んぼが田んぼではなくなって行っております。
どうやら、そこはこの後はアパートになる予定のようです。
下界が見渡せるほどの処でもあり案外と見晴らしが利くお気に入りの場所でしたけれど、建物が建つとそんな景色もまた一つ消えてしまうのだ
なぁ、とつい寂しくなる思いがしております。
この辺りかなり標高はあり、それほど便利とはいい難い場所なのですけれど、皆さんそれぞれに車が主な足、移動手段となっておられますので、
いうほど不便は感じておられないのだと思います。
この辺りの別のそのようなアパートも然りでして、住めば都、そういうことかもな、とも感じております。
此処へ越してきたのは数年前、これらアパートもそれほど数が無かったものが急激に増えてきており、年々景色も変わっていくようです。
静かだったこの辺りも人が増えていくのは、これも世の趨勢、そういうことなのかもね、と一人年寄り臭く感じておるこの頃です;。

今朝、いつものように見えてきたことを書いて参ります。
曇った空を行く並列で進む 数多の龍
曇り空の上は青い空が見えている
峨々とした山々 雪が降っている
山肌に白いものがあり 針葉樹が生えている
そこへ 野生の鹿?
ゴリラ??? なんで此処へ?
此方を見つめて なんともいえぬ顔
気候の変動があるということか?(意味はわからない)
両脇が高い絶壁のよう
フィヨルドのようなところを行く 飛んでいく?
空は青い
大神の声
『 (27日神迎祭) 参るのだな
まずはよし
出会いあれば 別れあり
(別れたものにも) 幸ある
次のそなたの道 歩んで参れ
次への(ステップへの)移行である 』
『 水晶 尖っているその先は 精妙
御霊という そのたまは丸い
棘があったり 欠けていたり 曇っていては 光らぬ
丸くなれ そうすることで 内側から 光れ 』

相も変わらず、自分の妄想が渦巻いているような展開となっておりますけれど;。
最初に見えてきたのは、これも毎回の定番のように感じられる龍が空を行く、駆ける姿ですね。
書いておりますように並列で横並びになりながら、空を駆けていく様が見られます。
そのうちに視点が変わり、寒い光景が見えてきます。
霧がかかったようなお天気の切り立ったような山々から次第に下へと目をやると、雪の降っている山肌には針葉樹が見えてきます。
そこへその辺りに生息しておる野性の鹿らしき姿が見てとれます。
と、ここまではどこかで見たことあるような、ごく普通の景色なのですけれど、そこへいきなりゴリラが登場するんですね;。
えっ;???とその景色のギャップに頭の中でも自分自身が戸惑った記憶があります。
ゴリラ自身、なんとも言えぬ、見ようによっては悲しそうとも怒っているとも取れるような複雑な表情をしていたように思いました。
アフリカの森の奥に棲息している生き物ですから、ゴリラ自身その環境へ居たとするならば、大いに困惑して当然ですよね。
現実ではありえない光景ではありますけれど、将来何がしかの異変で地球の環境が激変したとすれば、或いは無い話ではないのかもしれません。
更に視点は変わり、次には北欧のフィヨルドのような光景が見えてき、そこを音も無くかなりのスピードで飛んでいくように感じられます。
果たしてそれが龍であるのか、自分自身がそのように飛んでいる感覚であるのか、これは分かりませんでした。
けれど上空は青く透き通り、清々しさを感じていたように思います。
今日の言葉は、これは大國主大神の言葉であったようです。
出会いと別れについて言われておりますけれど、これには訳があります。
今朝のことですけれど、長年のお付き合いのある信者さんがさる理由から来年からのお祓いは取りやめますとの連絡を頂戴したからでした。
お互いよく存じておる仲ですので、決して仲違い等ではなくご自身方の健康上のことで、これ以上続けていけるかどうか自信がないとおっしゃい
まして、ひとまずこれで、ということにされたようでした。
お引止めするにも此方もなんとも返答のしようもなく、ともあれお元気でお過ごし下さいと互いに話して電話を切りました。
なんとも切ないなぁとも思っておりました後に今朝の祝詞を奏上し、これら一連の言葉が頭に響いてきたというわけでした。
長年、この仕事に携わらせて頂いておりますと、やはりこうしてポツポツとお止めになる方も出てこられます。
理由は様々におありであり致し方ないなぁと思いつつも、片方で寂しいなぁと感じざるを得ません。
そんな気持ちを見透かしたかのような今日の大神様の言葉ではありました。
出会いと別れ、いつどんな時にもあることですし、生きていれば色々な事で遭遇するものでもあります。
そのような、いわば表と裏のような出来事ではありますけれど、これは双方それぞれにまた新しい展開となるはじめなのかもしれない、そうも
感じました。
水晶の話?の後に御霊の話が出ておりますけれど、どうしてこの水晶が出てきたのかは釈然としませんね。
どうやら別の言葉も頭に出てきたようなのですけれど、どうにも思い出せず、その後に御霊の話へと移行したようです。
おそらく水晶というのはその結晶は非常に精巧であり、自分達の御霊もそれに劣ることなくそれ以上に美しいものである、ということを言われた
のではないのかなと感じます。
水晶自体、結晶の先は鋭利でもあり、非常に尖っているともいえなくもありません。
ですけれど、丸く磨かれた水晶の輝きは結晶のそれと比べてまろやかであり、辺り一円にその波動を放出しているとも感じられます。
自分達自身の御霊もこれと同じように丸くなることで、その輝きはより一層内面から光出てくるものであるといわれたのでは、と思います。
今日見えた光景や言われた言葉、いつも以上にてんでバラバラな感じは致しますけれど、いつかそのような点が線となって理解出来る日が来るの
かもしれません。

先日お知らせ致しましたこの二十七日からの神迎祭、続いての神在祭等、此方へ龍蛇神講という講の講員として参列なさりたいと思われる方が
御座いましたらば、下記よりご連絡下さいませ。
また、ご縁を頂かれたいとお考えの方も「縁結大祭」という、縁を結んで頂く御祈願を致しておりますので、併せて御覧頂ければと存じます。
詳しくは当ブログの三日の「神在祭等について」に詳しくご紹介させて頂いております。
宜しくお願い申し上げます。
メールアドレスは
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
尚、16日のブログの緊急告知の方も合わせてお読みいただけますと幸いに存じます。
まだ、もし考えておられる方が御座いましたら、どうぞ上記のアドレスまでお伝え下さいませ。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。