こんばんは。
朝からこのところにしては、かなり雲が多くなってきていました。
と言っても降らせるような雲ではなく、青空に白い雲が浮かぶ感じでしたが夕方になるにつれ、その雲もだんだんと灰色を帯びてきたようでした。
歩きに出て帰る頃にはポツポツとかなりの雨が降り始めたようで、久しぶりの雨のにおいがそておりました。
朝はどんよりな空から始まったようで、気温もこのところに比べればぐっと下がったように感じられました。
昨夜はやはり曇っており、月の出も遅いことから見られないかもと思っておりましたら、そんな雲の合間から一瞬顔を覗かせるようにして月が
現れました。
急いで、いつも朝の風景を撮る二階の踊り場から撮ったのが下の写真です。
ぼんやりではありますが、月が写せました。
“ あなたの思いが私を引き寄せました
今宵 私は雲に隠れて 見ることは出来なかったはずです
ほらね ”
と、そんな声が聴こえてきたように感じられました。
本当にわずかのつかの間に見えた月の姿、月読尊の声だったのでしょうか。
少し不思議なひとときでした。
昨日も少し、いやかなり;書いておりましたがどうにも脚のだるさがぬけきらないでおります;。
上半身は自分で肩を回したりして、そこそこ凝りはほぐれるものの脚のだるさは自分で揉んだり叩いたりして、根本的に直らない感じでして;。
やはりこれは一つ、鍼か整体へでも行って来ようと感じておるところですね;。
それにしても、どうしてこんなに続くんだろう、やっぱり歳なんかいなぁ;と考えたりもするのですけれど。
そんなこんなを思いつつ今朝も祝詞奏上後、静かに座っておりました。
祝詞奏上後、瞑想をしようとするとモコ(うちのネコ)が膝に乗ってきて ゴロゴロ喉を鳴らしながら退かない;
神様に伺うと
〝 呉の墓へ行って参れ 〟
そう言われる
脚のだるさはそこからと言われたようにも?
考えてみると母は昨年、父も昨年、それぞれ五十年 それに十年
何にもしていないしな
お墓へ行って手を合わせてこようと思う
書いておりますようにいつものように瞑想をしようとすると、祝詞奏上後ではありましたがうちのネコが膝に上がりゴロゴロと喉を鳴らしながら
おります。
こうなると落ち着いて座っておくことも出来ず、どうしたもんだか;と思っていたのですが此処は一つ、この脚のだるさのことも神様に伺って
みようと今一度心落ち着けて(ネコは下ろして;)お伺いしてみました。
その答えが墓参りへ行け、とのことでした。
墓参り、先日参りましたけれど、最初のはおじのところ、先だっての出雲は自分の嫁ぎ先、いわば主人の方の墓参りでした。
次に参れと言われましたのは、これは自分の実家の方の墓のことです。
呉(くれ)が出身地でもあり、そこへお墓があります。
これまではお彼岸等には忘れず参っておりましたがこの度は行けておりません;。
また実母は自分が八歳になる前であったか小学校三年になる前の春休み、三月二十九日が命日でもあり昨年が数えの五十年に当たる年でした。
また父は平成二十年三月二十六日に他界し、此方も同様に昨年が数えで十年の年に当たります。
その二人のことは昨年、全く何もしておりませんでした。
実家は仏教、臨済宗であり十年という年には何も致しませんけれど母の方はして然りだったかと思っております。
けれど実家も色々とありまして、実母の事を分かっておりますのは今のところ自分だけのような状況です。
いわば自分にとり継母となる人も三年前に他界し、そのような事情も絡み合い、なかなかに複雑ではあります;。
今現在自分自身はこの嫁いできた家で神主をさせて頂いておりますけれど、実際身内のことというのはなかなかに難しいものがあるのが本当のとこ
ろです。
そんな事情はさて置くとして(置いちゃいかんのでしょうけどね;)自分が出来る事といえばお墓へ参り両親に手を合わせてくることだなと感じた
次第です。
今自分が住まう家には仏教でいうところの仏壇にあたります御霊舎(みたまや)があり、此処へは主人側のご先祖はもちろん、自分の方の母や父も
合わせて祀らせて頂いております。
それはどちらも同じご先祖には違いないという考えから来ております。
此処のところについてはいずれまた詳しく述べるとして、この御霊舎へは神様同様日々手を合わせ拝んでおりますけれど、やはりお墓へ出向くのが
一番良いのではないか、そう感じました。
ましてや節目の年に何もさせて頂けておりませんでしたし;、その意味合いとお詫びを込めて拝んで参らねばとも思うところです。
毎日目の前で拝んでるからいいじゃない;とつい嘯いておりましたけれど(このバチ当たりめ;)やはりそういうわけにはいかないようですね。
母の好きだった和菓子などをお供えものに持って行こうかと思います。
父のお酒は、どうしましょうかね;(笑)
とこんなことを書いておりますと電話が掛かってきました。
八日の日に出雲大社で落ち合おうかと話していた松江の友人からでした。
この度の事を話すと、それは確かに足元をきちんとしとくべきだねぇと言われ、確かにそうよねと話したのでした。
その友人自身もご実家のご両親の事では施設に入って頂いたり、あれこれ考えている最中だとも言っておられました。
自分自身は申すように既に両親は他界しており、主人も何年もの介護の末を看取っておりますのでそのようなこととは無縁ではありますが、もし
存命であるならば、これからが色々とある頃なのだろうなとも感じた次第です。
ところで我が家の龍、テラはことあるごとに
〝 なぁ どっか行かへん?
何処でもついてくさかいに 〟
と話しかけてきます。
そりゃ、何処でも行きたいですけれどね;。(笑)
この度は、まずお墓へ参り、その後に誘われる処へ赴いてみたいと思います。
必ず何処かへ参らせて頂ける、そのような運びになるのではと感じておるところでもあります。
今日の話、スピというカテゴリーは、はてどうだろうか、と思ったのですけれどテラの名に免じて;お許し頂ければと存じます。
そのうち適切なカテゴリーを設け、そこへの分類にしようかと考えております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝からこのところにしては、かなり雲が多くなってきていました。
と言っても降らせるような雲ではなく、青空に白い雲が浮かぶ感じでしたが夕方になるにつれ、その雲もだんだんと灰色を帯びてきたようでした。
歩きに出て帰る頃にはポツポツとかなりの雨が降り始めたようで、久しぶりの雨のにおいがそておりました。
朝はどんよりな空から始まったようで、気温もこのところに比べればぐっと下がったように感じられました。
昨夜はやはり曇っており、月の出も遅いことから見られないかもと思っておりましたら、そんな雲の合間から一瞬顔を覗かせるようにして月が
現れました。
急いで、いつも朝の風景を撮る二階の踊り場から撮ったのが下の写真です。
ぼんやりではありますが、月が写せました。
“ あなたの思いが私を引き寄せました
今宵 私は雲に隠れて 見ることは出来なかったはずです
ほらね ”
と、そんな声が聴こえてきたように感じられました。
本当にわずかのつかの間に見えた月の姿、月読尊の声だったのでしょうか。
少し不思議なひとときでした。
昨日も少し、いやかなり;書いておりましたがどうにも脚のだるさがぬけきらないでおります;。
上半身は自分で肩を回したりして、そこそこ凝りはほぐれるものの脚のだるさは自分で揉んだり叩いたりして、根本的に直らない感じでして;。
やはりこれは一つ、鍼か整体へでも行って来ようと感じておるところですね;。
それにしても、どうしてこんなに続くんだろう、やっぱり歳なんかいなぁ;と考えたりもするのですけれど。
そんなこんなを思いつつ今朝も祝詞奏上後、静かに座っておりました。
祝詞奏上後、瞑想をしようとするとモコ(うちのネコ)が膝に乗ってきて ゴロゴロ喉を鳴らしながら退かない;
神様に伺うと
〝 呉の墓へ行って参れ 〟
そう言われる
脚のだるさはそこからと言われたようにも?
考えてみると母は昨年、父も昨年、それぞれ五十年 それに十年
何にもしていないしな
お墓へ行って手を合わせてこようと思う
書いておりますようにいつものように瞑想をしようとすると、祝詞奏上後ではありましたがうちのネコが膝に上がりゴロゴロと喉を鳴らしながら
おります。
こうなると落ち着いて座っておくことも出来ず、どうしたもんだか;と思っていたのですが此処は一つ、この脚のだるさのことも神様に伺って
みようと今一度心落ち着けて(ネコは下ろして;)お伺いしてみました。
その答えが墓参りへ行け、とのことでした。
墓参り、先日参りましたけれど、最初のはおじのところ、先だっての出雲は自分の嫁ぎ先、いわば主人の方の墓参りでした。
次に参れと言われましたのは、これは自分の実家の方の墓のことです。
呉(くれ)が出身地でもあり、そこへお墓があります。
これまではお彼岸等には忘れず参っておりましたがこの度は行けておりません;。
また実母は自分が八歳になる前であったか小学校三年になる前の春休み、三月二十九日が命日でもあり昨年が数えの五十年に当たる年でした。
また父は平成二十年三月二十六日に他界し、此方も同様に昨年が数えで十年の年に当たります。
その二人のことは昨年、全く何もしておりませんでした。
実家は仏教、臨済宗であり十年という年には何も致しませんけれど母の方はして然りだったかと思っております。
けれど実家も色々とありまして、実母の事を分かっておりますのは今のところ自分だけのような状況です。
いわば自分にとり継母となる人も三年前に他界し、そのような事情も絡み合い、なかなかに複雑ではあります;。
今現在自分自身はこの嫁いできた家で神主をさせて頂いておりますけれど、実際身内のことというのはなかなかに難しいものがあるのが本当のとこ
ろです。
そんな事情はさて置くとして(置いちゃいかんのでしょうけどね;)自分が出来る事といえばお墓へ参り両親に手を合わせてくることだなと感じた
次第です。
今自分が住まう家には仏教でいうところの仏壇にあたります御霊舎(みたまや)があり、此処へは主人側のご先祖はもちろん、自分の方の母や父も
合わせて祀らせて頂いております。
それはどちらも同じご先祖には違いないという考えから来ております。
此処のところについてはいずれまた詳しく述べるとして、この御霊舎へは神様同様日々手を合わせ拝んでおりますけれど、やはりお墓へ出向くのが
一番良いのではないか、そう感じました。
ましてや節目の年に何もさせて頂けておりませんでしたし;、その意味合いとお詫びを込めて拝んで参らねばとも思うところです。
毎日目の前で拝んでるからいいじゃない;とつい嘯いておりましたけれど(このバチ当たりめ;)やはりそういうわけにはいかないようですね。
母の好きだった和菓子などをお供えものに持って行こうかと思います。
父のお酒は、どうしましょうかね;(笑)
とこんなことを書いておりますと電話が掛かってきました。
八日の日に出雲大社で落ち合おうかと話していた松江の友人からでした。
この度の事を話すと、それは確かに足元をきちんとしとくべきだねぇと言われ、確かにそうよねと話したのでした。
その友人自身もご実家のご両親の事では施設に入って頂いたり、あれこれ考えている最中だとも言っておられました。
自分自身は申すように既に両親は他界しており、主人も何年もの介護の末を看取っておりますのでそのようなこととは無縁ではありますが、もし
存命であるならば、これからが色々とある頃なのだろうなとも感じた次第です。
ところで我が家の龍、テラはことあるごとに
〝 なぁ どっか行かへん?
何処でもついてくさかいに 〟
と話しかけてきます。
そりゃ、何処でも行きたいですけれどね;。(笑)
この度は、まずお墓へ参り、その後に誘われる処へ赴いてみたいと思います。
必ず何処かへ参らせて頂ける、そのような運びになるのではと感じておるところでもあります。
今日の話、スピというカテゴリーは、はてどうだろうか、と思ったのですけれどテラの名に免じて;お許し頂ければと存じます。
そのうち適切なカテゴリーを設け、そこへの分類にしようかと考えております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。