こんばんは。
外へ出ると暑く感じるのかもしれませんが、部屋の中ですとなんとなくひんやりと感じます。
連休は気温も上がるようですし体調管理には気をつけないといけませんね。
朝のうちは雲の多いお天気でしたが、昼ころから晴れて気持ちよく青空も広がってきました。
明日からお休みの方もおられるのでしょうね。
このところ、何とはなしにサワサワ、ザワザワと気持ちがするようで何があるのか自分でもよくわかりません。
先にも書いたように季節の変わり目というのがあるのかもしれませんね。
だからこそ、その頃に厄月(やくづき)と称してお祓いに参らせて頂くわけですが;。
この2、3日に大神や他の存在からの言葉を受け取っておりましたので、合わせて揚げさせて頂きたいと思います。
まずは24日の祝詞奏上後の瞑想から
谷間のようなところへ白い雲? 流れ?
その空は鈍色
〝 白き御柱を立てよ
無事を思い この国の無事を祈れ
白い光の柱を立てよ 〟
下から突き上げるエネルギー
そんなことを感じていたようでした。
瞑想をすると両側を急峻な山に囲まれた谷間に白く霧であるのか流れであるのか、そのようなものが見えてきました。
しかしその上空は鈍色の雲が垂れ込めているようでした。
そんな光景が見えながらも頭の上からは白い光が一直線に自分に向かって下りてきているようでもあり、それを感じつつもこれも頭の中に大神の
白い柱を立てよ、という言葉が入ってきたのでした。
白い柱、これは以前にも書かせて頂きましたが、あの震災の後の被災地に向けて想念の中でこのような白い光の柱を立てることをしておりました。
今回は既にそうなってしまった所へではなく、今危ないとされております各地の噴煙活動等が盛んになっている場所等へ向けてそうしなさいという
ことのようです。
いわば何事かが起こる前の「備え」としての白い光の柱なのではとも感じております。
とは言え、実際にそのようなことをして何がしかの役に立つのかどうかは、定かではありません。
しかし思いの中ならば如何様にもすることは可能です。
思いだけでも、想念だけでも飛ばしてみるのは出来ないことではありませんよね。
そんな風に感じておりました。
続いてその夜、夜空の月を眺めておりますとどうやら月読尊がお声を掛けてこられたようでした。
しかしその話の内容はどうもシリウスの存在のようにも感じられ、どちらが話をしてこられたのかは少しわかりません;。
“ これから先 あなたも そうしてこの国も 皆さんも
大きく変わっていきます
その転換期に来て降ります
けれど ここで間違えないで下さい
あなた方の例えによくあるコップの水です
まだ半分ある と思うのか
もう半分しかないと感じるのかで
大きく物事の捉え方は変わっていきます
プラスへ考えるか マイナスへ考えるかで
物事のその後は変わってくるのです
決して悲観しないで下さい ”
話の内容だけ見るとなんとなく不安を覚えないでもありませんが、それこそを思わないでほしいといわれているように感じます。
変わるというのはどのように変わっていくのかは皆目検討が尽きませんが、物事の捉え方一つで如何様にも変わっていくものだということのよう
ですね。
コップの水の例えも、これもよく言われることですけれど、まだあと半分もあるじゃない、やったね、ラッキー!と感じるか、反対にもうあと半分
しかない、困ったどうしようと捉えるかでその後の流れが変わってくるということです。
どうせ変わるのならよい方向へ変わった方が良いに決まってますよね。
また主人の例えで申し訳ありませんが、この人自身、まだあと半分あるじゃないか、な考え方の人でした。
転んで膝っこぞうを擦りむいても、今此処で転んだおかげでその先の角で車にぶつからなくって良かった、助かった、有難い、そんな風に考える人
でした。
どのように不利な状況に陥ろうと、これくらいで済んでよかったと捉え前向きに考えておりました。
要するに大事を小事で済ませられる、ちょっとしたコツのようなものを会得しておったのかもしれません。
いつでも笑いを忘れない、面白いオジサンではありました。(蛇足な話ですけれど;)
続いては25日に感じたアマテラスの言葉です。
‘ そなたから見て我は
日は昇り 日は沈む
だが我は変わらぬ
同じようにずっとあるだけだ
物事の見方 捉え方により
捉えるもの 見えるものは違ってくる
どちらの側面で感じるかでも 違う
物事の見方次第
本質は全く変わらない
そのことに思い致せ ’
この前の存在、シリウス?の言葉とは少しニュアンスが違いますね。
物事の捉え方の話をされておりますけれど、此方は捉えた後のことを話しているのではなく、物事そのものについての話のようです。
どのように捉えたとしても、それは見ている或いは見えている側面が違うだけであり物そのものは全く変わらないのだということのようです。
以前にも申しましたが、自分が感じ取るアマテラスは女神のような女性性ではなく太陽神のような男性性として感じ取っております。
そこからこのような言葉で頭へ入ってきております。
力強い感じです。
また次の日の26日に頭へ入ってきた言葉です。
“ あなたはあなた そのままでいいのです
他人(ひと)からどう見られようと
どの側面から見ても あなたには違いありません
全てがあなたなのですから
ですから 私はこうであると 確信してください
自信を持って下さい
その自信を持ったあなたを 皆が見てくれるのです ”
この言葉は誰からかはわかりませんでした。
けれど、おそらくいつか自分に対して「私はあなた」と言ったあの存在のような気がします。
それって、つまりは自分のこと;?みたいですけれどね。
普通はよく自分自身の上の方の存在とされている、あの自分かも?しれませんけれど、そうであるかどうかはわかりません。
ただ言われるように自分は自分でいいんだと言われたことは、とても嬉しく感じます。
このところ自分でもどこか自信が無く、どうなんだろうと感じていた矢先でした。
このように書くと自分で自分を慰めているような感じですけれど、自信を持てといわれるのはやはりそれだけで自信が持てる思いがします。
胸を張って自分は自分でいいんだ、そう感じられた言葉でした。
さて一番最後は今朝の祝詞の最中から感じていた事ですね。
祝詞を上げようとすると多くの龍が テラ以外 頭上のもっと上あたりから見下ろしている
なんで?
他にもより多くの龍が日本の危ないと感じられる処へ一堂に会して何事かをしている
〝 あの者ら これより この国で起こる事を
未然に防ごうとしておる
よしんば 起こったとしても 最小限にと 〟
一周回ってワン!ではないですけれど、どうも最初の光の柱に通ずるようなものを感じます。(その例えはどうよ、ですけれど;)
けれどそのように本当になるのかと問われれば、そこのところは自分には分かりかねるところです。
しかし、事が起こるかどうかは定かではありませんが、さて祝詞を奏上させて頂こうと思った矢先、ふと頭上にかなりの数の龍が舞うようにして
その処へ居たのは感じられました。
何故、このように多くの龍達がこうして居るのか。
どうにも分からず、龍を感じつつもそのまま祝詞奏上させて頂きました。
何度も申すように実際に言われておるようなことになるかどうかは自分には預かり知らぬ次元のことです。
そこのところで動きを見せるのが、此等の龍達ということなのでしょう。
数多の龍の働きは、いずれ今後に分かってくるのかもしれません。
先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。
kimikimiblue13@gmail.com
ご参列の程、お待ち申し上げております。
一度に大神や多くの存在からの言葉を揚げましたので少々こんがらがっておりますけれど;。
この中で多少なりともご自身に響くもの、感じられるものがあれば幸いに存じます。
尚、申しておりました「高野山」についてのお話はどうももうしばらく後になるかもしれません;。
いずれ折をみて揚げさせて頂きたいと思いますので、もうしばらくお待ち頂ければと思います。
高速は既に渋滞が始まっているところもあるようですね。
帰省される方、お出かけの方、或いは変わらずお仕事の方、どうぞどなた様におかれましてもどこへお越しになるにしましてもお気をつけてお越し
下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
外へ出ると暑く感じるのかもしれませんが、部屋の中ですとなんとなくひんやりと感じます。
連休は気温も上がるようですし体調管理には気をつけないといけませんね。
朝のうちは雲の多いお天気でしたが、昼ころから晴れて気持ちよく青空も広がってきました。
明日からお休みの方もおられるのでしょうね。
このところ、何とはなしにサワサワ、ザワザワと気持ちがするようで何があるのか自分でもよくわかりません。
先にも書いたように季節の変わり目というのがあるのかもしれませんね。
だからこそ、その頃に厄月(やくづき)と称してお祓いに参らせて頂くわけですが;。
この2、3日に大神や他の存在からの言葉を受け取っておりましたので、合わせて揚げさせて頂きたいと思います。
まずは24日の祝詞奏上後の瞑想から
谷間のようなところへ白い雲? 流れ?
その空は鈍色
〝 白き御柱を立てよ
無事を思い この国の無事を祈れ
白い光の柱を立てよ 〟
下から突き上げるエネルギー
そんなことを感じていたようでした。
瞑想をすると両側を急峻な山に囲まれた谷間に白く霧であるのか流れであるのか、そのようなものが見えてきました。
しかしその上空は鈍色の雲が垂れ込めているようでした。
そんな光景が見えながらも頭の上からは白い光が一直線に自分に向かって下りてきているようでもあり、それを感じつつもこれも頭の中に大神の
白い柱を立てよ、という言葉が入ってきたのでした。
白い柱、これは以前にも書かせて頂きましたが、あの震災の後の被災地に向けて想念の中でこのような白い光の柱を立てることをしておりました。
今回は既にそうなってしまった所へではなく、今危ないとされております各地の噴煙活動等が盛んになっている場所等へ向けてそうしなさいという
ことのようです。
いわば何事かが起こる前の「備え」としての白い光の柱なのではとも感じております。
とは言え、実際にそのようなことをして何がしかの役に立つのかどうかは、定かではありません。
しかし思いの中ならば如何様にもすることは可能です。
思いだけでも、想念だけでも飛ばしてみるのは出来ないことではありませんよね。
そんな風に感じておりました。
続いてその夜、夜空の月を眺めておりますとどうやら月読尊がお声を掛けてこられたようでした。
しかしその話の内容はどうもシリウスの存在のようにも感じられ、どちらが話をしてこられたのかは少しわかりません;。
“ これから先 あなたも そうしてこの国も 皆さんも
大きく変わっていきます
その転換期に来て降ります
けれど ここで間違えないで下さい
あなた方の例えによくあるコップの水です
まだ半分ある と思うのか
もう半分しかないと感じるのかで
大きく物事の捉え方は変わっていきます
プラスへ考えるか マイナスへ考えるかで
物事のその後は変わってくるのです
決して悲観しないで下さい ”
話の内容だけ見るとなんとなく不安を覚えないでもありませんが、それこそを思わないでほしいといわれているように感じます。
変わるというのはどのように変わっていくのかは皆目検討が尽きませんが、物事の捉え方一つで如何様にも変わっていくものだということのよう
ですね。
コップの水の例えも、これもよく言われることですけれど、まだあと半分もあるじゃない、やったね、ラッキー!と感じるか、反対にもうあと半分
しかない、困ったどうしようと捉えるかでその後の流れが変わってくるということです。
どうせ変わるのならよい方向へ変わった方が良いに決まってますよね。
また主人の例えで申し訳ありませんが、この人自身、まだあと半分あるじゃないか、な考え方の人でした。
転んで膝っこぞうを擦りむいても、今此処で転んだおかげでその先の角で車にぶつからなくって良かった、助かった、有難い、そんな風に考える人
でした。
どのように不利な状況に陥ろうと、これくらいで済んでよかったと捉え前向きに考えておりました。
要するに大事を小事で済ませられる、ちょっとしたコツのようなものを会得しておったのかもしれません。
いつでも笑いを忘れない、面白いオジサンではありました。(蛇足な話ですけれど;)
続いては25日に感じたアマテラスの言葉です。
‘ そなたから見て我は
日は昇り 日は沈む
だが我は変わらぬ
同じようにずっとあるだけだ
物事の見方 捉え方により
捉えるもの 見えるものは違ってくる
どちらの側面で感じるかでも 違う
物事の見方次第
本質は全く変わらない
そのことに思い致せ ’
この前の存在、シリウス?の言葉とは少しニュアンスが違いますね。
物事の捉え方の話をされておりますけれど、此方は捉えた後のことを話しているのではなく、物事そのものについての話のようです。
どのように捉えたとしても、それは見ている或いは見えている側面が違うだけであり物そのものは全く変わらないのだということのようです。
以前にも申しましたが、自分が感じ取るアマテラスは女神のような女性性ではなく太陽神のような男性性として感じ取っております。
そこからこのような言葉で頭へ入ってきております。
力強い感じです。
また次の日の26日に頭へ入ってきた言葉です。
“ あなたはあなた そのままでいいのです
他人(ひと)からどう見られようと
どの側面から見ても あなたには違いありません
全てがあなたなのですから
ですから 私はこうであると 確信してください
自信を持って下さい
その自信を持ったあなたを 皆が見てくれるのです ”
この言葉は誰からかはわかりませんでした。
けれど、おそらくいつか自分に対して「私はあなた」と言ったあの存在のような気がします。
それって、つまりは自分のこと;?みたいですけれどね。
普通はよく自分自身の上の方の存在とされている、あの自分かも?しれませんけれど、そうであるかどうかはわかりません。
ただ言われるように自分は自分でいいんだと言われたことは、とても嬉しく感じます。
このところ自分でもどこか自信が無く、どうなんだろうと感じていた矢先でした。
このように書くと自分で自分を慰めているような感じですけれど、自信を持てといわれるのはやはりそれだけで自信が持てる思いがします。
胸を張って自分は自分でいいんだ、そう感じられた言葉でした。
さて一番最後は今朝の祝詞の最中から感じていた事ですね。
祝詞を上げようとすると多くの龍が テラ以外 頭上のもっと上あたりから見下ろしている
なんで?
他にもより多くの龍が日本の危ないと感じられる処へ一堂に会して何事かをしている
〝 あの者ら これより この国で起こる事を
未然に防ごうとしておる
よしんば 起こったとしても 最小限にと 〟
一周回ってワン!ではないですけれど、どうも最初の光の柱に通ずるようなものを感じます。(その例えはどうよ、ですけれど;)
けれどそのように本当になるのかと問われれば、そこのところは自分には分かりかねるところです。
しかし、事が起こるかどうかは定かではありませんが、さて祝詞を奏上させて頂こうと思った矢先、ふと頭上にかなりの数の龍が舞うようにして
その処へ居たのは感じられました。
何故、このように多くの龍達がこうして居るのか。
どうにも分からず、龍を感じつつもそのまま祝詞奏上させて頂きました。
何度も申すように実際に言われておるようなことになるかどうかは自分には預かり知らぬ次元のことです。
そこのところで動きを見せるのが、此等の龍達ということなのでしょう。
数多の龍の働きは、いずれ今後に分かってくるのかもしれません。
先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。
kimikimiblue13@gmail.com
ご参列の程、お待ち申し上げております。
一度に大神や多くの存在からの言葉を揚げましたので少々こんがらがっておりますけれど;。
この中で多少なりともご自身に響くもの、感じられるものがあれば幸いに存じます。
尚、申しておりました「高野山」についてのお話はどうももうしばらく後になるかもしれません;。
いずれ折をみて揚げさせて頂きたいと思いますので、もうしばらくお待ち頂ければと思います。
高速は既に渋滞が始まっているところもあるようですね。
帰省される方、お出かけの方、或いは変わらずお仕事の方、どうぞどなた様におかれましてもどこへお越しになるにしましてもお気をつけてお越し
下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。