こんばんは。
昨日は日中、その殆どが雨降りでしたが夜には大分止んでおりました。
今朝はまだ雲が多い状態で明けたようですが、次第に青空が広がってきておりました。
お天気は良いものの、風が冷たく感じられますね。
季節が混ざっているような感じです。
昨日雨で出られず終いでしたので朝から早速ネコの餌を買いに行ってきました。(平和なもんです;)
出掛けからなんとなく胃が気持ち悪いなと感じつつ、それでも歩くうちに収まってきておったのですが買い物を終えて戻る途中くらいから今度は
どうも下腹の方に痛みを覚えてきました。
歩くのには支障がない程でしたのでそのまま家まで戻り、一休みと思いつつお茶を入れて一服し、さて神様を拝ませて頂こうかと思っております
と、先ほどの痛みがだんだんと増してき出しました。
う~ん;と思いつつ、お供え物だけでも換えさせて頂こうと考えるのですが、どうにも痛みが酷くなるばかりで動けません;。
しばらくぐずぐずと過ごしつつ、痛みをやり過ごしておりました。
大体が胃腸が弱い方でして、何かあると、いえ何もなくてもすぐお腹に来たり胃に来たりでした。
実母が胃がんで逝ったこともあり、母親の亡くなった年代、30代辺りは何故か自分もよく胃の痛みを感じることが多く、それでというわけでも
ないのでしょうが、急性胃炎を患ったり等しておりました。
ここ数年は胃に来るような痛みはなくどちらかと言えば下腹ばかりで、それも痛いばかりでしばらくすると収まるような感じですので特に何もして
おりません。
そんなわけで30代には年に一度は必ず検査していた胃カメラも、とんとご無沙汰です;。
胃に来ることが無くなった分?幼い頃もそうであったように下腹へ来るようになったのかもしれません;。
それでもせいぜいが痛みを堪えて先ほどのようにぐずぐずするのがオチな程度です。
そんな感じでなんとか収まった痛みの合間にお昼ご飯を食べられたくらいですので、大丈夫と感じておりました。
けれど食べ終わるとまたもや痛みがぶり返し、どうにも出来ず片付けをした後は神様を拝ませて頂くどころではなく、ひたすら痛みに耐えて目を
閉じておりました。
そうなるといつの間にか眠気も感じしばらく寝てしまっていたようです。
ふと目覚めるとそれでもまた痛みは取れておらず、結局は3時過ぎ頃までウダウダしておりました;。
結局そんなこんなで今日は神様への祝詞奏上はお休みとさせて頂きました;。
これって大いなる言い訳以外の、何ものでもありません;。
もうね、自分をどこまで正当化させるか、の極致ですよね。
本っ当にすみませんです;。
まぁこれも、年に何度かの鬼の霍乱ということで?それに免じてお許し頂ければと思います。
申し訳ございません;。
それでも朝は帰宅して拝見したTomokatsuさんのブログで書かれていたシリウスの存在に繋がってみました。
“ 貴方は 何故 まだなってもいない悪い方の未来を 想像してしまうのでしょうか
貴方の過去や未来の並行世界は 数多く存在しています
けれど 今の貴方は 今此処の貴方だけです
その貴方が思う‘良い方’の過去や未来を選び取ることが出来るのは
今此処の貴方だけなのです
良い方の 未来 過去を選んで下さい
それをすることで 今の貴方も決まってきます
未来や過去の貴方に引っ張られず
今の貴方でいて下さい ”
いつも申すように自分の頭へ言葉が入り、それを文章化して今一度思い出しながら書いていくとどこかしら内容に矛盾したような意味合いの
事が出てくる時があります。
今回自分で最後の方は、これはどうなんだろうと感じておりました。
ただ自分で書いた文章を何度か読み返すうちに、これはこれで筋が通っているのかもしれないとも思えてきました。
此処でいわれているようにごまんと存在する自分の並行世界、その中から何もわざわざ悪い方のそれを選び取るのではなく、良い方の世界を選ぶ
ことで今此処へいる自分もそのようであると定義付けられるのではということです。
そうすることで、自分が感じていた悪い方の過去には光が当たることはなくなり良い方への過去に光が当たるようになります。
いわばこの時点で自分の過去そのものが書き換えられたと同じようなこととなるのだと思います。
それと同様に悪しき未来を想像すればそちらの世界を選択したこととなり、自分の歩む道も自ずと決まってくるようになるのでしょう。
ならば自分の思い描く良い方の未来を選択することで、これもまた其方の道へと歩みを進めるようになるのだと思います。
未来や過去の貴方に引っ張られず、というのは、そんな悪しき方の世界へ自分を置くのではなく在りたい自分でいて下さいという事なのではと
感じました。
なかなか説明が難しい話ですけれど、お分かり頂けると嬉しいですね。
その後に今度はまた別の声?が頭に響いてきました。
〝 身体 それにこの世界も色々な事が変わってきている最中 端境期なのです
こんな時は どうにも不調になりがちです
天気も荒れることが 多くなるでしょう
身体に関しては 自愛なさい 労りなさい
無理をしないことです
無理をしなければ出来ないと それ以上を行うから
どこかへ歪が来るのです
そういう時は休んで下さい
無理をしてはいけません 〟
何処のどなたかはわかりませんでした;。
言われることはもっともな事とわかるのですけれど、そうは言っても休んでいられないことの方が多いのも事実ですよね。
それでも無理をしていれば、どこかへ歪みが出ますよとも言われます。
正に然り、です。
歪みという言葉で思い出したのが、先日の島根県の地震です。
今回のこの地震は断層の横ずれが起こったため、そこに歪みが生じて地震が起こったと聞きました。
無理をすれば生じるものが歪み、ということなのでしょうか。
身体も自然もどちらも無理をせず歪みを生じさせないようにすることが大事なのかもしれませんが、どちらも溜まっていくもののようにも思えます。
ならば、少しずつ小出しに出来ていればその歪みも小さく済むのかもしれませんけれど、これもやはり難しい課題ですね。
どちらもあまり溜め込まないようにするのが大事なのかもしれません。
それにしてもお腹の痛み、未だに収まらず;です。
同じような写真を何枚も揚げさせて頂きましたが、空を行く大きな龍の胴体のようにも感じておりました。
波々に見える部分はさながら鱗でしょうか。
雲を通してみえる太陽の周りには虹色に見える時もあり、とても綺麗でした。
どうにもお腹痛いと力が入らず文章を綴っておりましても、我ながらいつにも増して今ひとつ説得力に欠けるものになったようですね;。
申し訳ございません;。
そんなグダグダブログ、今日も変わらずお付き合い頂きまして真に有難うございます。
感謝申し上げます。
昨日は日中、その殆どが雨降りでしたが夜には大分止んでおりました。
今朝はまだ雲が多い状態で明けたようですが、次第に青空が広がってきておりました。
お天気は良いものの、風が冷たく感じられますね。
季節が混ざっているような感じです。
昨日雨で出られず終いでしたので朝から早速ネコの餌を買いに行ってきました。(平和なもんです;)
出掛けからなんとなく胃が気持ち悪いなと感じつつ、それでも歩くうちに収まってきておったのですが買い物を終えて戻る途中くらいから今度は
どうも下腹の方に痛みを覚えてきました。
歩くのには支障がない程でしたのでそのまま家まで戻り、一休みと思いつつお茶を入れて一服し、さて神様を拝ませて頂こうかと思っております
と、先ほどの痛みがだんだんと増してき出しました。
う~ん;と思いつつ、お供え物だけでも換えさせて頂こうと考えるのですが、どうにも痛みが酷くなるばかりで動けません;。
しばらくぐずぐずと過ごしつつ、痛みをやり過ごしておりました。
大体が胃腸が弱い方でして、何かあると、いえ何もなくてもすぐお腹に来たり胃に来たりでした。
実母が胃がんで逝ったこともあり、母親の亡くなった年代、30代辺りは何故か自分もよく胃の痛みを感じることが多く、それでというわけでも
ないのでしょうが、急性胃炎を患ったり等しておりました。
ここ数年は胃に来るような痛みはなくどちらかと言えば下腹ばかりで、それも痛いばかりでしばらくすると収まるような感じですので特に何もして
おりません。
そんなわけで30代には年に一度は必ず検査していた胃カメラも、とんとご無沙汰です;。
胃に来ることが無くなった分?幼い頃もそうであったように下腹へ来るようになったのかもしれません;。
それでもせいぜいが痛みを堪えて先ほどのようにぐずぐずするのがオチな程度です。
そんな感じでなんとか収まった痛みの合間にお昼ご飯を食べられたくらいですので、大丈夫と感じておりました。
けれど食べ終わるとまたもや痛みがぶり返し、どうにも出来ず片付けをした後は神様を拝ませて頂くどころではなく、ひたすら痛みに耐えて目を
閉じておりました。
そうなるといつの間にか眠気も感じしばらく寝てしまっていたようです。
ふと目覚めるとそれでもまた痛みは取れておらず、結局は3時過ぎ頃までウダウダしておりました;。
結局そんなこんなで今日は神様への祝詞奏上はお休みとさせて頂きました;。
これって大いなる言い訳以外の、何ものでもありません;。
もうね、自分をどこまで正当化させるか、の極致ですよね。
本っ当にすみませんです;。
まぁこれも、年に何度かの鬼の霍乱ということで?それに免じてお許し頂ければと思います。
申し訳ございません;。
それでも朝は帰宅して拝見したTomokatsuさんのブログで書かれていたシリウスの存在に繋がってみました。
“ 貴方は 何故 まだなってもいない悪い方の未来を 想像してしまうのでしょうか
貴方の過去や未来の並行世界は 数多く存在しています
けれど 今の貴方は 今此処の貴方だけです
その貴方が思う‘良い方’の過去や未来を選び取ることが出来るのは
今此処の貴方だけなのです
良い方の 未来 過去を選んで下さい
それをすることで 今の貴方も決まってきます
未来や過去の貴方に引っ張られず
今の貴方でいて下さい ”
いつも申すように自分の頭へ言葉が入り、それを文章化して今一度思い出しながら書いていくとどこかしら内容に矛盾したような意味合いの
事が出てくる時があります。
今回自分で最後の方は、これはどうなんだろうと感じておりました。
ただ自分で書いた文章を何度か読み返すうちに、これはこれで筋が通っているのかもしれないとも思えてきました。
此処でいわれているようにごまんと存在する自分の並行世界、その中から何もわざわざ悪い方のそれを選び取るのではなく、良い方の世界を選ぶ
ことで今此処へいる自分もそのようであると定義付けられるのではということです。
そうすることで、自分が感じていた悪い方の過去には光が当たることはなくなり良い方への過去に光が当たるようになります。
いわばこの時点で自分の過去そのものが書き換えられたと同じようなこととなるのだと思います。
それと同様に悪しき未来を想像すればそちらの世界を選択したこととなり、自分の歩む道も自ずと決まってくるようになるのでしょう。
ならば自分の思い描く良い方の未来を選択することで、これもまた其方の道へと歩みを進めるようになるのだと思います。
未来や過去の貴方に引っ張られず、というのは、そんな悪しき方の世界へ自分を置くのではなく在りたい自分でいて下さいという事なのではと
感じました。
なかなか説明が難しい話ですけれど、お分かり頂けると嬉しいですね。
その後に今度はまた別の声?が頭に響いてきました。
〝 身体 それにこの世界も色々な事が変わってきている最中 端境期なのです
こんな時は どうにも不調になりがちです
天気も荒れることが 多くなるでしょう
身体に関しては 自愛なさい 労りなさい
無理をしないことです
無理をしなければ出来ないと それ以上を行うから
どこかへ歪が来るのです
そういう時は休んで下さい
無理をしてはいけません 〟
何処のどなたかはわかりませんでした;。
言われることはもっともな事とわかるのですけれど、そうは言っても休んでいられないことの方が多いのも事実ですよね。
それでも無理をしていれば、どこかへ歪みが出ますよとも言われます。
正に然り、です。
歪みという言葉で思い出したのが、先日の島根県の地震です。
今回のこの地震は断層の横ずれが起こったため、そこに歪みが生じて地震が起こったと聞きました。
無理をすれば生じるものが歪み、ということなのでしょうか。
身体も自然もどちらも無理をせず歪みを生じさせないようにすることが大事なのかもしれませんが、どちらも溜まっていくもののようにも思えます。
ならば、少しずつ小出しに出来ていればその歪みも小さく済むのかもしれませんけれど、これもやはり難しい課題ですね。
どちらもあまり溜め込まないようにするのが大事なのかもしれません。
それにしてもお腹の痛み、未だに収まらず;です。
同じような写真を何枚も揚げさせて頂きましたが、空を行く大きな龍の胴体のようにも感じておりました。
波々に見える部分はさながら鱗でしょうか。
雲を通してみえる太陽の周りには虹色に見える時もあり、とても綺麗でした。
どうにもお腹痛いと力が入らず文章を綴っておりましても、我ながらいつにも増して今ひとつ説得力に欠けるものになったようですね;。
申し訳ございません;。
そんなグダグダブログ、今日も変わらずお付き合い頂きまして真に有難うございます。
感謝申し上げます。