日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

お墓参りに行きました

2018-04-16 21:54:06 | お出かけ
こんばんは。
日中はそうでもありませんでしたが、朝晩また風が冷たく感じるほどになっておるようです。
5月の声を聞こうかという頃ですが、何とも読めない気候のようです。
道行く人の何かにはこの季節らしくな半袖で歩かれる方もおられますが、まだまだ厚着の方もいらっしゃるようで着る物に本当に困ります。
花粉症に加え、風邪引きの方も多いのではないでしょうか。
そんな迷走気味の日の朝はこれもまたぼんやりと霞のかかった空に太陽が出てきておりました。

                                  




                                   



                                   


                                   




今日、ようやっとで自分の実家の方のお墓参りへ行って参りました。
もう少し早くに参るつもりでしたが、呉に住んでおります弟と共に参ろうと考え彼の休みに合わせようと今日になりました。
なかなかいつ休みが取れるかわからない仕事をしておるため、向こうの都合に極力合わせるようにして参った次第です。
(ちなみにその弟、独り者です、悪しからず)
いつものようにレンタカーを借りてブーンと走って行こうかとも考えたのですけれど、弟が車を持っておりますので自分は電車で呉まで行く事と
致しました。
久しぶりの電車での移動です。
時たま乗ることはありますが、それも年に一度あるかないかの頻度です;。
そんなわけで、この前乗ったのはいつであったか;うろ覚えなほどですね。
毎日電車通勤、通学の方はそれこそ車中では寝て過ごしたい程の移動なのでしょうけれど、滅多に乗らない自分にしてみればまさにお出かけ気分な
わけです;。
とは言え自分自身も学生時代は呉から広島まで毎日電車に揺られ通っておりましたよ。
当時は今ほどの電車の本数も無く、また到着時間も結構掛かっていたように思います。
最近は少しでも短縮するようにされているのでしょうね、また快速も本数が増え、今日はその快速に乗りますと呉まで30分ちょっとで到着して
おりました。
電車自体も2、3年前に新しい車両が導入され、尚の事快適でした。

下の写真はよくお参りさせて頂く三篠神社さんのケヤキ?を車窓から撮ったものです。
確かに神社の近くのホームからは此方が良く見えていたといわれる所以ですね。




                                
                                    




そんな風にして呉に着き駅前で待ってくれていた弟の車に乗り込み、お墓へと向かいました。
今日は実母の里の方の墓へも足を運んできました。
実母の母、祖母と祖父等が眠る墓です。
墓所ということもあり、結構辺鄙な場所にあります。
一人で電車で行っただけですと、駅から下りて歩いてではとてもではありませんが、参れる場所ではありません。
車で行ってやっとな場所です。
そんなところへ今日は弟に連れて行ってもらう形で参ってきました。
お彼岸もとうに過ぎ、訪れる方のない墓所です。
弟と二人、水を汲んでお墓へ行き、までは良かったのですが肝心のお花を買い忘れており;;(ご先祖様、申し訳ございませんです;;)水だけ
お墓へ掛けてそのまま手を合わせて参りました。
本当にばち当たりものです;;。
これまではよく一緒に参っておりました母の妹、叔母がお花は用意してくれておりましたので、ついと言ってはいけないのですけれどこれまた忘却
の彼方でありました;。(大いなる言い訳ですね、毎度の如く、おぉ;)
いえ一応用意はしておったのですが、その方は実家の墓用にと考えておりましたので、此方へはお供えせず終いでした;。
つくづく罰当たりな子々孫々で御座います;。
それでもしばらくぶり、しかも最近は足を運べていなかったという弟と二人で参られた事は良かったと感じました。

                                  



                                 





その後に実家の墓へ赴きました。
此方の墓所もやはりバス停等からはかなりあり、しかもこれまた相当な坂道です。
若い頃はそれでもそんな坂道を歩いて登っておりましたがさすがにしんどく、これまた車でないとという場所です。
彼岸やお盆など墓参の車で渋滞し狭い道をどちらかが譲らねば通れぬ程の狭い道ですが、当然今日などお墓参りする方もおられぬようで、すんなり
と登って行けました。
此処でも水汲み場でバケツに水を入れ、お墓へ参りました。
このお墓、父方の祖父からが入っておる所です。

以前も申しましたように、祖父の代で宮島から呉へ出てきたとの事ですのでそれ以前のお墓というのは宮島の対岸、大野町というところへ設けて
あります。
少し話が脱線致しますが、宮島では昔から神の島ということもあり、今はどうであるのかは存じませんが以前は葬儀も島内ではしてはならず全て
対岸で執り行っていたと聞いております。
葬儀ですらそうですのでお墓はこれも当たり前に島の中には建立出来ません。
全て対岸の大野という所へ墓所があります。
そこからは宮島が望め、故郷を海を挟んで偲んでおられたご先祖様もおられたかもしれませんね。

大野のご先祖のお墓のことはまたいずれ話すと致しまして、実家のお墓、此方へは申したように祖父をはじめ祖母、自分達の両親、また継母と
入っております。
不思議とどなた(という言い方もおかしいですけれど)も三、四、五月のいずれかの月で他界しており、互いに何かあるの?という思いが致し
ました。
また数えの年ではありませんが、母がちょうど五十年、父が十年、祖母が三十年、本当にジャスト、亡くなってから此等の年数が経っておりました。
また継母は数えの三年でした。(祖父は既に五十年以上でした)
何とはなしに、互いのこの年数も何か自分達を呼ぶようなものがあったのかしら、とも感じた思いでした。
墓に彫られたそれらの文字を眺めながら、そんなことも思っておりました。
花をお供えし、二人して手を合わせて参りました。
穏やかな日和で何よりと感じた次第です。





                                       





お墓参りを終えるとちょうどお昼頃でもあり、二人して呉の街中へ行き、そこで食事をしその後に辺りを少しぶらつきましたが、月曜日の昼下がり
人通りもさほど多くも無く、どうにも寂れた感の否めない故郷の町になんともいえものを感じました。
今の呉の街はこんなもんよ、と弟は言っておりましたけれど、自分の若い頃は確かにもっと活気があったよなぁとも思えました。
今日来る電車の中では、おそらく関西方面から遊びに来たと思われる女の子や遠方から出張で来られていたスーツ姿のビジネスマンさんらの姿も
ありましたけれど、この街中の姿はあまりお見せできないかもなぁ、とも感じた次第です。
今日の地方都市の姿なのかもしれませんけれど、哀しい現実とも言えるのでしょうね。
そんなことを思った呉の街中でした。





                                       

               


弟と二人して参りました墓参り、果たして両親など喜んでくれたでしょうか。
口の悪かった父などは
「おまえ、わしにお供えする酒は持って来んかったんか」
と墓の裏側から声を掛けていたのかもしれませんけれど;。
お酒は毎日、我が家の御霊舎でお供えしておりますので、良しと致しましょう。(笑)

気になっておりましたお墓参りが出来ましたことが何よりと感じた今日でした。





                                       



道中、テラとは話しておりましたけれど、いつもの他愛ない話ばかりでございました。
神様も今日は出て参りません今日のブログでした。

そのようなブログでしたけれど、変わらずお付き合い頂きました皆様に感謝申し上げます。
有難うございました。
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