こんばんは。
午前中から降り出すとの予報でしたが、早いうちはそれほどでもなく昼前位から雨が落ち始めたようです。
ところによると雨量の多い場所もあるようで、先だっての地震の被災地、また土砂崩れのあった大分の方など酷くならぬことを願うばかりです。
そんな日の朝は太陽も厚い雲の向こう側へぼんやりと見えておりました。
そんなどっちつかずのお天気に我が家のおネコ様;のご飯、餌が少なくなっているのに気づき買ってこなくてはと考えておりました。
昨日の時点で買って来るつもりだったのですけれどど忘れしており;残りを見るとあらら無いですね、となったのでした。
この餌、実は昨年あたりまではネットで注文して届けてもらっていたのですが、同じ餌を与えておりますと、どうもこのネコという種族;は飽
きるようでして。
仕方なくその後はペットショップに足を運び、あれかこれかと悩みつつ本人ならぬ本ニャンに与えてみるも、気に食わなければ人間からすれば
かなり高価なものでも見向きもしません;。
まさにオーマイガッ;;な気分になるところです。
それ高かったんだから食べてよと伝えたところで一瞥を与えるまでもなく;プイッと横を向き踵を返してしまいます。
じゃあ食べなくていいよと言えば本当に丸一日でも食べずに過ごす我が家のネコ;。
結局は母ちゃんが根負けして、またもや別の物を買ってくるという始末です。
そんなこんなで最近はペットショップの高い餌も馬鹿らしくなりホームセンターへ置いてあるものを買い与えております。
何故かしら此方の方は食べるようでして;。
本当はやはりペットショップや信頼できるメーカーのものを与える方が猫の健康を考えると当然良いのですよ。
しかしそれをしてくれない本ニャンにはほとほと手を焼いております;。
まぁ、明日雨が酷くなければどうででも買ってこようと思っております。
ひと様からすれば、どっちでもいいようなお話では御座います。(苦笑)
今朝、祝詞奏上の後にいつものように静かに目を閉じておりました。
特に何も考えず、です。
祝詞奏上後 特に何も考えず 静かに座る 心地よい
頭頂は もわもわしてる
見えてきたのはいつか見たように 長い長い廊下が延々と続くような場所?
龍のテラ
“ 我と 何処へでも参ろうぞ ”
神殿にいるとこんな感じ?
姿は大きい
白龍 金龍共に 今は列島の地震等で忙しいのか?
上の方で 他の龍達と共に調整しているよう
何かと繋がろうとするのではなく、このところ何となくサワサワしていた風な自分でしたので、しばらくぶりに静かに座る思いで特に何を思う
でもなく静かに座っておりました。
ただ意識は自分の場合、大抵眉間に集中させるようにしております。
これは瞑想する際は若い頃からここへ意識を向けるのが習い性となっておるようでして、自然とそうなるようです。
それでも上ばかりへ意識を向けておるのではなくやはり下から上に上げるようにしないとと感じ、下のチャクラへも意識を向けつつ上へ上げてくる
ようにしております。
瞑想の仕方は、それこそ人それぞれかと思いますし自分の場合は我流もよいところですけれど、これが一番落ち着くのでそれで良いかなと思って
おります。
そんな風にして結局は眉間に意識を集中させておりますと、いつか見たような長い廊下が続いているような光景が見えてきました。
どこまでも続くようなそんな光景、これに何か意味があるのかどうか、それは分かりません。
ただ見えていたというだけの事です。
今後何であるのか、理解出来るかもとも思います。
そんな風にして瞑想をしておりますと、我が家の龍、テラがこのように語りかけてきたのでした。
普段は自分と話をする時はまるっきりの関西弁;?のようですけれど神殿、神様の御前ではこのように何故かしら改まったような言葉遣いとなって
おります。
これとて本人(本龍;?)は意識せずそうなっているのでしょうね。
いずれにしてもこれから先彼が言うように彼方此方へ参らせて頂けるようになればな、と思うところです。
また次元の違うところへ居ると感じております白龍と金龍、この二柱の龍は今現在はこれもまた異なる次元へ赴き、別の多くの龍達と共に何事かを
致しておるように感じます。
此処の部分においては人間の与り知らぬ領域においての事柄のようですし、知る由もありません。
書いておりますように、それが地震等に関することであるのかはたまた違う分野の事であるのか、それも分かりかねます。
目に見えない、感知出来ない処での龍の働き、お任せするより他なさそうですね。
これは一昨日ネットで見かけたバシャールの言葉です。
途中からですけれど、拝見しながら良いなと思った部分を抜粋させて頂きました。
宜しければ参考になさって下さい。
『 どこからどうやって 貴方の望みが叶うかはわからないし 知る必要もないけれど
“ 絶対に大丈夫 ”と認識する事
そうすることで“ 大いなるすべて ”の扉を閉じずに
360度 何処からでも 貴方の望みがやってくるように
設定出来るというわけなのです
要は 心配しないでも大丈夫だという事
をバシャールは 話しています 』
何か自分がこうありたい、あるいはこのような物が欲しいと感じているのなら、ただシンプルに「絶対に大丈夫」と信じておること、それだけだ
ということですね。
途中の過程を考えるのではなく、既に自分がそうある状態、持っている状況を思い描いて、あとは単に信じて待つだけ、そういうことのようです。
その望みの叶い方は自分が思い描いていた方法とは違うかもしれません。
ですけれど結果的には自分の願っていた望みは自分のものになっているということです。
自分では何もせずに手に入れる至極簡単な方法ですね。
ものは試し、してみられては如何でしょうか。
これ、結構効きますよ。(笑)
このところ毎日のように一年前の弊ブログがこうでしたよと、このgooブログさんからお知らせがあります。
自分でもそんな一年前のブログを見返してみると、へぇ、こんなこと書いてたんだみたいな事を書いております。
最初はトイレの神様?と称して書かせて頂いていたり、りんごの見え方と題して物の見方を自分なりに感じたことを書いておったりします。
或いは神道の祝詞の中に出てきます「御恩頼」みたまのふゆ という言葉についても書かせて頂いておりました。
お時間があります方、またどうにも暇でしょうがないと感じておられる方(笑)、そのような方はどうぞそれらの稚拙なブログにもお目通し頂け
れば、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
午前中から降り出すとの予報でしたが、早いうちはそれほどでもなく昼前位から雨が落ち始めたようです。
ところによると雨量の多い場所もあるようで、先だっての地震の被災地、また土砂崩れのあった大分の方など酷くならぬことを願うばかりです。
そんな日の朝は太陽も厚い雲の向こう側へぼんやりと見えておりました。
そんなどっちつかずのお天気に我が家のおネコ様;のご飯、餌が少なくなっているのに気づき買ってこなくてはと考えておりました。
昨日の時点で買って来るつもりだったのですけれどど忘れしており;残りを見るとあらら無いですね、となったのでした。
この餌、実は昨年あたりまではネットで注文して届けてもらっていたのですが、同じ餌を与えておりますと、どうもこのネコという種族;は飽
きるようでして。
仕方なくその後はペットショップに足を運び、あれかこれかと悩みつつ本人ならぬ本ニャンに与えてみるも、気に食わなければ人間からすれば
かなり高価なものでも見向きもしません;。
まさにオーマイガッ;;な気分になるところです。
それ高かったんだから食べてよと伝えたところで一瞥を与えるまでもなく;プイッと横を向き踵を返してしまいます。
じゃあ食べなくていいよと言えば本当に丸一日でも食べずに過ごす我が家のネコ;。
結局は母ちゃんが根負けして、またもや別の物を買ってくるという始末です。
そんなこんなで最近はペットショップの高い餌も馬鹿らしくなりホームセンターへ置いてあるものを買い与えております。
何故かしら此方の方は食べるようでして;。
本当はやはりペットショップや信頼できるメーカーのものを与える方が猫の健康を考えると当然良いのですよ。
しかしそれをしてくれない本ニャンにはほとほと手を焼いております;。
まぁ、明日雨が酷くなければどうででも買ってこようと思っております。
ひと様からすれば、どっちでもいいようなお話では御座います。(苦笑)
今朝、祝詞奏上の後にいつものように静かに目を閉じておりました。
特に何も考えず、です。
祝詞奏上後 特に何も考えず 静かに座る 心地よい
頭頂は もわもわしてる
見えてきたのはいつか見たように 長い長い廊下が延々と続くような場所?
龍のテラ
“ 我と 何処へでも参ろうぞ ”
神殿にいるとこんな感じ?
姿は大きい
白龍 金龍共に 今は列島の地震等で忙しいのか?
上の方で 他の龍達と共に調整しているよう
何かと繋がろうとするのではなく、このところ何となくサワサワしていた風な自分でしたので、しばらくぶりに静かに座る思いで特に何を思う
でもなく静かに座っておりました。
ただ意識は自分の場合、大抵眉間に集中させるようにしております。
これは瞑想する際は若い頃からここへ意識を向けるのが習い性となっておるようでして、自然とそうなるようです。
それでも上ばかりへ意識を向けておるのではなくやはり下から上に上げるようにしないとと感じ、下のチャクラへも意識を向けつつ上へ上げてくる
ようにしております。
瞑想の仕方は、それこそ人それぞれかと思いますし自分の場合は我流もよいところですけれど、これが一番落ち着くのでそれで良いかなと思って
おります。
そんな風にして結局は眉間に意識を集中させておりますと、いつか見たような長い廊下が続いているような光景が見えてきました。
どこまでも続くようなそんな光景、これに何か意味があるのかどうか、それは分かりません。
ただ見えていたというだけの事です。
今後何であるのか、理解出来るかもとも思います。
そんな風にして瞑想をしておりますと、我が家の龍、テラがこのように語りかけてきたのでした。
普段は自分と話をする時はまるっきりの関西弁;?のようですけれど神殿、神様の御前ではこのように何故かしら改まったような言葉遣いとなって
おります。
これとて本人(本龍;?)は意識せずそうなっているのでしょうね。
いずれにしてもこれから先彼が言うように彼方此方へ参らせて頂けるようになればな、と思うところです。
また次元の違うところへ居ると感じております白龍と金龍、この二柱の龍は今現在はこれもまた異なる次元へ赴き、別の多くの龍達と共に何事かを
致しておるように感じます。
此処の部分においては人間の与り知らぬ領域においての事柄のようですし、知る由もありません。
書いておりますように、それが地震等に関することであるのかはたまた違う分野の事であるのか、それも分かりかねます。
目に見えない、感知出来ない処での龍の働き、お任せするより他なさそうですね。
これは一昨日ネットで見かけたバシャールの言葉です。
途中からですけれど、拝見しながら良いなと思った部分を抜粋させて頂きました。
宜しければ参考になさって下さい。
『 どこからどうやって 貴方の望みが叶うかはわからないし 知る必要もないけれど
“ 絶対に大丈夫 ”と認識する事
そうすることで“ 大いなるすべて ”の扉を閉じずに
360度 何処からでも 貴方の望みがやってくるように
設定出来るというわけなのです
要は 心配しないでも大丈夫だという事
をバシャールは 話しています 』
何か自分がこうありたい、あるいはこのような物が欲しいと感じているのなら、ただシンプルに「絶対に大丈夫」と信じておること、それだけだ
ということですね。
途中の過程を考えるのではなく、既に自分がそうある状態、持っている状況を思い描いて、あとは単に信じて待つだけ、そういうことのようです。
その望みの叶い方は自分が思い描いていた方法とは違うかもしれません。
ですけれど結果的には自分の願っていた望みは自分のものになっているということです。
自分では何もせずに手に入れる至極簡単な方法ですね。
ものは試し、してみられては如何でしょうか。
これ、結構効きますよ。(笑)
このところ毎日のように一年前の弊ブログがこうでしたよと、このgooブログさんからお知らせがあります。
自分でもそんな一年前のブログを見返してみると、へぇ、こんなこと書いてたんだみたいな事を書いております。
最初はトイレの神様?と称して書かせて頂いていたり、りんごの見え方と題して物の見方を自分なりに感じたことを書いておったりします。
或いは神道の祝詞の中に出てきます「御恩頼」みたまのふゆ という言葉についても書かせて頂いておりました。
お時間があります方、またどうにも暇でしょうがないと感じておられる方(笑)、そのような方はどうぞそれらの稚拙なブログにもお目通し頂け
れば、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。