こんばんは。
一日、気温が低かったように思います。
今日は昨日より上がると聞いておりましたけれど、そんな感じがしませんでしたね。
もっとも昨日は午後から暖かい建物の中で、ぬくぬくと過ごしていたせいもあるのかもしれません;。
そんな日の朝は、これまた冷えておりました。
綺麗な朝焼けが見えておりましたよ。
皆様の辺りでは如何でしたでしょうか。



このところ、ずっと頭に浮かんできた言葉を長々と綴らせて頂いておりますが、一体どうしてこうなったんだろう?と自分でも思ってしまうのです
けれど、何でじゃろ;?と考えてみてもどうにもよくわかりません;。
書き始めた頃にも、確かそのようなことを申しておったかとは思いますけれど。
ただ、大抵祝詞奏上をした後に、いつしか頭にあれこれと浮かんで来るようになったとしか言いようがなく;。
元々、仕事として大神様(大國主大神です)に何事かを教えて頂きたい、というような時に気持ちを集中して、その声というか言葉を下ろして
来ていたのがあります。
これも以前にも申しましたけれど、主人の母やまた義姉もそのようなタイプの人であり、お互いそれぞれ神様をどのように感じ取っているのかは
わかりませんし、感覚もまた違うかと思います。
それでも、そこの感覚をいわば訓練というのか幾度も練習を重ね、これは神の言葉であるのか、あるいは別の似たようなものであるのか、を傍ら
に居た主人にまずは判断してもらっていたというのがあります。
自分でも最初はわけもわからずしておりましたけれど、いつしか頭に入る言葉、想念が、あこれはそうだな、これは違うなというのがなんとはなし
に分かる、判断出来るようになってきていたのでは、と思います。
そのような事をしていくうちに、あちこちの神社へ参らせて頂いても、そこに坐します神様の声なりを感じ取れるようになって来たようでした。
ある時、下関の赤間神宮へ参った折に、不意に頭の中へ
「ようそろう」
という言葉が響いて来たことがありました。
え、なに?と思い、これもまたそばに居た主人にこんな事を神様にいわれたよと話すと、ようそろう、とは宜しく候(そうろう)のことでは
ないか、と言います。
そういわれてもまだピンとこず一体どういう意味と尚も聞くと、おそらく此処の神宮へ参ったこと、まずはよく来たということを、この言葉
で言われたのだろうとのことでした。
ようそろう、よく船の操舵で使われている言葉ですよね。
赤間神宮自体、壇ノ浦の戦いの折に幼くして入水し亡くなられたという安徳天皇を祀ってある宮となっておられますけれど、何か関係があるので
しょうか。
或いは下関という船の航海の要所にありますお宮ですので、航海になぞらえてこのような言葉が入ってきたのか、それはわかりません。
ともあれ、その折には義姉とその義姉へのご依頼者さん、また自分たち夫婦で何がしかの用件で参拝させて頂きましたけれど、神宮の神主さんが
太鼓と共に奏上される大祓の詞(おおはらえののり)にぴたりと沿うようにして奏上してしまい;かなり危ぶんでおられたのを思い出しました。
主人も義姉もどうにも、このようなことをするのが好きな性質だったようですね;。
このように神様の言葉を降ろしてくることを自分達は「みくじを下ろす」と申しております。
みくじとはいうまでもなく、神社で皆様が引かれます、あのおみくじのことを指します。
紙に書いてあるあの文言を、いわば直に自分の頭でダイレクトに神様から言い伝えて頂くということかと思います。
このようなことをする者が古より、巫女といわれたり、シャーマンという呼び名でいわれていた人達かと思うのですけれど。
今現在でいう、チャネラーという言葉で言う方が分かりやすいでしょうか。
古ではよくトランス状態に入ってそのような言葉を下ろしていたといわれますけれど、そればかりでもなかったのではと思いますよ、多分;。
自分の意識の集中の仕方、そのコツさえ習得すれば、大体の方が出来るようになるのではと思います。
ただし、先にも書きましたように、その降りてくる言葉なりが果たして本当のことなのか、またいわゆる悪しきものではないのか、ということは
ある程度の訓練が必要でもあり、自分の場合ですと傍で監督してくれる主人がついていたからこそ出来たのではないのか、と考えます。
そう思うと、最初はやはり信頼出来るどなたか師となられる方について指導を受けられた方が賢明なのではと思います。
誰でも出来ることとはいえ、そこは幾度も申すように修練が必要ですので、見極めて頂ける方についてご教授頂かれるのが宜しいかと思います。
と自分如きが申すまでもなく、そのようになさっておられるかとも思いますけれど。
今日、頭に入ってきた事柄です。
瞑想をして
大神(大國主大神) その前から御簾(みす)の向こう側へ気配? 妃と共に坐します感じ?
〝 祭に参ること 良し
数多のもの集いし 祭
そなたのもとへも 参るものが(新たに) おる
心して 迎うるべし
参ることにより 大きな力を 授く 〟
他にも色々いわれたけれど どうにも すぐ忘れる・・・;
想念の中で稲佐の浜の上空 多くの存在 羽衣やら 龍やら 群れ集い 賑わっている感じ
〝 そなたの見る 天空を駆ける 白龍
大いなる 存在なり (といわれたかどうか?)
そのたま 磨けよ
己の 御霊を より輝かせよ 〟
紫の玉? 御霊?
数多の神々の顔 定かではないけれど こちらを見ている
こんなに沢山 はじめてだ
〝 国造は 毎回 このような祭の重責を 一身に背負うておる 〟

これは以前からかもしれませんけれど、大神が出てこられます時は、その時は頭の中へ相当の情報量が一時に入ってくるように感じられます。
これは何も大神に限らないのですけれどその最中は自分で受け取りながら、なるほどと思いつつも、終わると、ともすれば、あれなんだっけ?
と忘れてしまうことも少なくありません。
今回もまさにそのような感じで、多くの事柄が入力されても表面の意識にまでは出てこない部分があるのかな、と自分で自分に感じたりもして
おります。
その分、受け取った情報そのものは内容がいつにも増して濃いのかも、とも感じております。
今回、祭に参りますことでまた新たな神様であるのか、そこはしかとはわかりませんが、お越し頂けるのかもしれません。
心して参らせて頂きたいと思います。
後は行かせて頂いてから、ですね。
このような祭の重責、確かに国造(こくそう)、いわば普通の神社でいわれますところの宮司に当たる一番の長(おさ)、トップともなれば如何
ほどのものをその肩に感じ取っておるのか、自分共には知る由もございません。
そこをまで、果たして自分も思わせて頂くことが出来ますかどうか、まずは参ってからのこととさせて頂こうと思うばかりです。

どうしたものか、後半部分を書いておりますと、急に疲れを感じております;。
今からこうですと我ながら困りますけれど;。
今夜はこの辺りで終わらせて頂こうと思います。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
一日、気温が低かったように思います。
今日は昨日より上がると聞いておりましたけれど、そんな感じがしませんでしたね。
もっとも昨日は午後から暖かい建物の中で、ぬくぬくと過ごしていたせいもあるのかもしれません;。
そんな日の朝は、これまた冷えておりました。
綺麗な朝焼けが見えておりましたよ。
皆様の辺りでは如何でしたでしょうか。



このところ、ずっと頭に浮かんできた言葉を長々と綴らせて頂いておりますが、一体どうしてこうなったんだろう?と自分でも思ってしまうのです
けれど、何でじゃろ;?と考えてみてもどうにもよくわかりません;。
書き始めた頃にも、確かそのようなことを申しておったかとは思いますけれど。
ただ、大抵祝詞奏上をした後に、いつしか頭にあれこれと浮かんで来るようになったとしか言いようがなく;。
元々、仕事として大神様(大國主大神です)に何事かを教えて頂きたい、というような時に気持ちを集中して、その声というか言葉を下ろして
来ていたのがあります。
これも以前にも申しましたけれど、主人の母やまた義姉もそのようなタイプの人であり、お互いそれぞれ神様をどのように感じ取っているのかは
わかりませんし、感覚もまた違うかと思います。
それでも、そこの感覚をいわば訓練というのか幾度も練習を重ね、これは神の言葉であるのか、あるいは別の似たようなものであるのか、を傍ら
に居た主人にまずは判断してもらっていたというのがあります。
自分でも最初はわけもわからずしておりましたけれど、いつしか頭に入る言葉、想念が、あこれはそうだな、これは違うなというのがなんとはなし
に分かる、判断出来るようになってきていたのでは、と思います。
そのような事をしていくうちに、あちこちの神社へ参らせて頂いても、そこに坐します神様の声なりを感じ取れるようになって来たようでした。
ある時、下関の赤間神宮へ参った折に、不意に頭の中へ
「ようそろう」
という言葉が響いて来たことがありました。
え、なに?と思い、これもまたそばに居た主人にこんな事を神様にいわれたよと話すと、ようそろう、とは宜しく候(そうろう)のことでは
ないか、と言います。
そういわれてもまだピンとこず一体どういう意味と尚も聞くと、おそらく此処の神宮へ参ったこと、まずはよく来たということを、この言葉
で言われたのだろうとのことでした。
ようそろう、よく船の操舵で使われている言葉ですよね。
赤間神宮自体、壇ノ浦の戦いの折に幼くして入水し亡くなられたという安徳天皇を祀ってある宮となっておられますけれど、何か関係があるので
しょうか。
或いは下関という船の航海の要所にありますお宮ですので、航海になぞらえてこのような言葉が入ってきたのか、それはわかりません。
ともあれ、その折には義姉とその義姉へのご依頼者さん、また自分たち夫婦で何がしかの用件で参拝させて頂きましたけれど、神宮の神主さんが
太鼓と共に奏上される大祓の詞(おおはらえののり)にぴたりと沿うようにして奏上してしまい;かなり危ぶんでおられたのを思い出しました。
主人も義姉もどうにも、このようなことをするのが好きな性質だったようですね;。
このように神様の言葉を降ろしてくることを自分達は「みくじを下ろす」と申しております。
みくじとはいうまでもなく、神社で皆様が引かれます、あのおみくじのことを指します。
紙に書いてあるあの文言を、いわば直に自分の頭でダイレクトに神様から言い伝えて頂くということかと思います。
このようなことをする者が古より、巫女といわれたり、シャーマンという呼び名でいわれていた人達かと思うのですけれど。
今現在でいう、チャネラーという言葉で言う方が分かりやすいでしょうか。
古ではよくトランス状態に入ってそのような言葉を下ろしていたといわれますけれど、そればかりでもなかったのではと思いますよ、多分;。
自分の意識の集中の仕方、そのコツさえ習得すれば、大体の方が出来るようになるのではと思います。
ただし、先にも書きましたように、その降りてくる言葉なりが果たして本当のことなのか、またいわゆる悪しきものではないのか、ということは
ある程度の訓練が必要でもあり、自分の場合ですと傍で監督してくれる主人がついていたからこそ出来たのではないのか、と考えます。
そう思うと、最初はやはり信頼出来るどなたか師となられる方について指導を受けられた方が賢明なのではと思います。
誰でも出来ることとはいえ、そこは幾度も申すように修練が必要ですので、見極めて頂ける方についてご教授頂かれるのが宜しいかと思います。
と自分如きが申すまでもなく、そのようになさっておられるかとも思いますけれど。

今日、頭に入ってきた事柄です。
瞑想をして
大神(大國主大神) その前から御簾(みす)の向こう側へ気配? 妃と共に坐します感じ?
〝 祭に参ること 良し
数多のもの集いし 祭
そなたのもとへも 参るものが(新たに) おる
心して 迎うるべし
参ることにより 大きな力を 授く 〟
他にも色々いわれたけれど どうにも すぐ忘れる・・・;
想念の中で稲佐の浜の上空 多くの存在 羽衣やら 龍やら 群れ集い 賑わっている感じ
〝 そなたの見る 天空を駆ける 白龍
大いなる 存在なり (といわれたかどうか?)
そのたま 磨けよ
己の 御霊を より輝かせよ 〟
紫の玉? 御霊?
数多の神々の顔 定かではないけれど こちらを見ている
こんなに沢山 はじめてだ
〝 国造は 毎回 このような祭の重責を 一身に背負うておる 〟

これは以前からかもしれませんけれど、大神が出てこられます時は、その時は頭の中へ相当の情報量が一時に入ってくるように感じられます。
これは何も大神に限らないのですけれどその最中は自分で受け取りながら、なるほどと思いつつも、終わると、ともすれば、あれなんだっけ?
と忘れてしまうことも少なくありません。
今回もまさにそのような感じで、多くの事柄が入力されても表面の意識にまでは出てこない部分があるのかな、と自分で自分に感じたりもして
おります。
その分、受け取った情報そのものは内容がいつにも増して濃いのかも、とも感じております。
今回、祭に参りますことでまた新たな神様であるのか、そこはしかとはわかりませんが、お越し頂けるのかもしれません。
心して参らせて頂きたいと思います。
後は行かせて頂いてから、ですね。
このような祭の重責、確かに国造(こくそう)、いわば普通の神社でいわれますところの宮司に当たる一番の長(おさ)、トップともなれば如何
ほどのものをその肩に感じ取っておるのか、自分共には知る由もございません。
そこをまで、果たして自分も思わせて頂くことが出来ますかどうか、まずは参ってからのこととさせて頂こうと思うばかりです。

どうしたものか、後半部分を書いておりますと、急に疲れを感じております;。
今からこうですと我ながら困りますけれど;。
今夜はこの辺りで終わらせて頂こうと思います。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。