日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

イヤホンで音楽を

2018-03-26 21:17:35 | 日記
こんばんは。
昨日から申しておりますがPM2.5が酷く、我が家から直線距離にして5キロほどのところにあるショッピングモールが霞んで見えるほどでした。
そんなわけでかどうか外へ少し出るだけで途端にくしゃみと鼻水が立て続けに出る有様;。
近くの家庭菜園に知り合いの方が来ておられたようでしたが、とても行く気になれず家の中で大人しくしておりました。
朝の太陽も霞の中でぼんやりと見えていたようでした。





                                   





                                  






                                    




そんな気候のせいにしてはいけないのでしょうけれど、どうにも午前中、祝詞奏上させて頂きましてもその後にまともな瞑想らしきことをする気に
なれず、いつになくグズグズしておりました。
傍らにはいつも変わらず我が家の龍、テラはおります。
その彼が



 “  無理せんでも ええんとちゃうの   ”


と言ってくれるのをよいことに、今日はしばしの瞑想もサボらせて頂き?ました。
とはいえ、祝詞奏上のその最中には頭上にあの金龍、白龍共に昨日よりも更に大きく胴体の太さが見え、とても見える範囲には収まりきらないよう
な大きさとなっていたようでした。
金色というのか黄色というのか、ともあれ鮮やかな色味の金龍、それに白い中にも煌くような光を放つような白龍の身体、その二柱の龍の胴体が
左右から天井を二分するように見えておるのでした。






                                    





                                 
                                    






神殿ではそのように今日は使い物にならない;自分でしたけれど、その後に窓を開けて空を見上げると大きく白い、それこそ白龍のような雲が
見えておりました。 
もっとしっかり撮れればよいのでしょうが、先に申すように霞のかかったような空でもあり、ぼんやりとした風にしか撮ることが出来ません。
それでも、さながら空を翔る白龍のような雲が撮れたのは偶然でもなんでもなく、ちょうどのその時に天が、こうして駆けていく龍がいるんだ
よと示してくれたように感じたのでした。





                                      








昼からは車を借りて息子が戻って来たりし、なんともそれだけで何もせずとも気ぜわしく過ごしていたように感じます。
その息子、夕方には広島在住の大学時代の友人と久しぶりに会うとかでアッシー母ちゃんを仰せつかり;街中まで送って行きました。
おそらくこの後も迎えに行くことになるかと思います;。
明日は出雲ではありますけれど果たして早く起きてくれるのか、帰省すると余計に寝坊を決め込む本人ですのでどうにも心配ではあります。
と、こうして書いておるとまるで子離れ出来ていない;甘々な母ちゃんそのものですね;。
我ながら困ったもんだと思うのですけれど;。(苦笑)





                                              





そんな使いものにならない自分でしたけれど、息子が戻るまでは暇つぶしにパソコンで音楽を聴いておりました。
車ではよくホルストの木星などを掛けていたのですけれど、最近はそのようなことも出来ませんので、そういえばネットでも音楽聴けるよねと
思いユーチューブで検索して聴いてみました。
探せば様々な指揮者のものがあり、それぞれに少しずつ違いがあり聴いていて飽きません。
木星に聞き飽きると、今度はそうだボレロはどうかなと思い、それも聴き比べてみました。
ご存じの方も多いかと思いますが、ボレロという曲、最初は微かと思えるほどの小太鼓の規則的なタン、タタタンッという音から始まります。
それから次第に楽器が加わり、それでも旋律は大きく変わることはなく、ともすれば単調とも思えるメロディですけれど決して飽きることはなく
時間と共に音そのものも大きくなり、それにつれ胸の高まりも増してくるような曲です。
自分ごときが語るなど到底出来ない音楽の話ですけれど、このように好きな曲を好きなだけ聴き比べられるというのは、居ながらにして何とも
贅沢なものだよね、と感じております。
たかが中古のパソコンで聴く音楽ですので大した音でもありませんけれど、それでもイヤホンをして聴くその曲は自分一人で楽しめる即興オーケ
ストラのようなもので十分に迫力もあり奥行きも感じられるものです。
こう考えると良い時代になったものだなぁと、それっていつの時代のことですか;?と呆れられそうですが、自分では感じております。
しばらくはいろんな曲の聴き比べ、一人で悦に入ってみたいものだと思う次第です。












そんなわけ(どんな訳;?)で殆どまともなことを書かせて頂いておりません今日のブログ、お目こぼし頂けますと幸いに存じます;。



明日は一日出掛けておりますので途中経過を伝えられるようでしたら写真だけでも、とも考えております。



このようなブログへのお付き合い、いつも皆様本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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頭の中の光景

2018-03-25 21:00:22 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今朝、いつものように朝日を撮ろうとすると外はかなり霞んでおり、相当なPM2.5の影響を感じました。
昨日まではさほどでもなかったのに一日でこのようになるのは、なんともはやですね。
撮った写真も太陽が朧げに見えておりました。




                                        





                                        





                                         




明後日は久々で大社へ詣でるのでそのお供え物にと日本酒を持参することに致しました。
これまでも大抵参らせて頂く折にはそのようにしておりましたので今回も、と思ったわけです。
それは良いのですけれど、ただ持って参るのではなく当然熨斗をつけてとなりますが、その熨斗書きをせねばなりません。
達筆ならばサラサラとなんの気負いも迷いもなく書いていくところですが、このところ祝詞を書くことも少なくあまり筆を持ってもおりません;。
先だって筆を新調した際に、墨汁ではなく墨を磨った方が当然筆には良いとのことを伺いましたので、久しぶりに墨を磨り、おもむろに墨をつけて
半紙にてまさに習字をしておりました;。
弘法は筆を選ばず、と申しますが下手な自分にはこれまた到底及ばずの諺でありまして;、これまで何本も筆を用いつつもどこかで変な癖がついて
いるのかはたまたやはり書き方が悪いのでしょう、はねやら止めが今ひとつ上手く書けません;。
幾度も何度も同じ繰り返しをしつつ練習し、また墨を磨り、また書いてみて、の繰り返しをしつつなんとか熨斗に書いてみましたけれど、どうにも
納得出来ません。
結局三枚書いてみて、ああ;駄目だこりゃ;と思いつつもそのうちの一枚を貼って持参することと致しました。
以前はどうしていたのか、おそらくパソコンでチャッチャッと書いていたのだと思います;。
今のこのパソコンは字体が明朝体しか出せませんので、否が応でも手書きとなります。
本来は当然手書きで持って参るべきですので下手くそながらも、これで良しと致しましょう。
平生往生;、これからは書道の練習、そう習字を日々の事柄に取り入れようと思い直した出来事でした;。
お恥ずかしい限りで御座います;。





                                        




朝はいつものように祝詞奏上致しました。
その最中からのことです。

 
 頭上には昨日より よりはっきりと金龍 白龍の胴体が見える 太い
 鱗を感じられるほど

 テラはこれもまた大きく太くろいうの一段と逞しくなっているよう

 大神



 〝  そ(そなた)に 見えるは 想念の中でのこと

    本来 より高き処へ 位置しておる

    
    導かれしところへ 何処(いずこ)へでも参れ

    時 満ちたり   〟


 その後 暗闇に一筋の光(白いような青いような)
 見えたのは半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のような仏の像?



 “  どこにでも光はあります

    それを示して下さい   ”


 その他にも言葉を受けたけれど思い出せない
 いずれにしても仏には違いない


 その後眉間に集中すると
 ずっと続く廊下? 神殿?
 奥へと続く道?
 我が家の神殿か 映像として頭に残っていたのかと思うけれど違う
 ずっと長く長く続いていく光景
 世界のどこか?

 久々で頭頂のもやもやを感じる

  
                                   

                                        





祝詞を奏上させて頂きながら昨日と同様に神殿の天井には、より大きな金龍と白龍の胴体と思しき部分が大きく見えておるように感じられました。
今日はさながら鱗の一枚までもが確認できるほどの巨大さにも思えました。
あくまでも頭の中で感じたことですので、どこまでがそうであるのかは定かではありませんけれど。
大神はこの二柱の龍は今の此処へ居るのではなく、より次元の高い処へ位置していると話して下さいました。
このことも昨日と同じですね。
そのような映像を感じつつ、自分の傍らにはこれもいつもの如く、我が家の龍、テラが控えております。
神殿で見る彼は段々と身体つきがゴッツく;なっているように思えます。
色味も金色が増えてきておるようですね。
この先まだ変化があるのでしょうが、どうなっていくかは皆目検討もつきません。
また大神の言葉の中で、これもよく言われることですけれど、何処へでも請われれば行って参れということのようです。
これとてやはり昨日同様、タイムラグがあることかと思います。
今すぐにではないでしょうけれど、いずれ時来たりなば、ということなのだと感じております。

続いては暗い中へ一筋の光が射し、その下には書いておりますようにまるで半跏思惟像のような仏の姿が見えました。
これも別の存在からも良く聴く言葉ですけれど、どのような暗闇の中にも光はある、まるで今のこのように一条の光が届くということを示された
ように思えました。
示して下さい といわれておりますけれど、はい、では、と即座に出来るものであるのかどうか、そうであれるよう努めたいと感じる部分ですね。

続いて眉間に意識を集中するようにしておりますと左右が壁なのかどうなのか、いずれにしても前面にもそのような壁があるのか上下左右を囲まれ
たかのような光景が見えてきました。
それが連綿と続く廊下であるのか、また前に見えているところは神殿のような設備があるのか不確かなのですけれど、どこまでも同じような風景が
続いている、そんな感じでした。
これも自分の脳内で見えている光景ですので上手く説明が出来ません;。
いずれにしてもそのような連続した場所が連なる光景でした。

またこのような光景を見ている時には、頭頂がモワモワとする感じを受けておりました。

これらは申すように自分の頭の中の光景、景色であり(龍もそうですけれど;)現実のものではありません。
ただの妄想と言われればそうですね、という答えにしかなりません。
それでも何かを感じ取っているのなら、いずれはこれらが何かであることがわかってくるのかも、とも考えております。





                                   




今日はあちこちで桜の開花の便りがあったようですね。
広島でも多くの桜の木があります平和公園では、気の早い人たちがその下で花見を楽しんでられたようです。
我が家の周りでは、鶯や鳥たちの声は聞こえて春を感じておりますけれど、桜の蕾はまだほころぶまでには至らず、ほんの少しピンク色が覗いて
来ておるくらいです。
それでも今週中には咲き始めるのだろうな、と思っております。
朝晩はまだ冷えますがやがてすぐにもっと暖かくなりそうな予感もしておるこの頃です。





                                  


お天気自体ぼんやりとした一日でしたが、それに連れてか頭の中身もはっきりしない日だったようでもあります;。
しばらくは雨も降らないようですけれど、このPM2.5だけは早めに解消してもらいたいものだと思う日でもありました。
そんなオバサンのブログにお付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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シリウス  平面?の龍  久しぶりのエーヴィン

2018-03-24 20:52:21 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
日中は随分と暖かくなってきましたね。
家の中にいる方が寒く感じられるようです。
と言ってもやはりまだ朝、或いは夜、少しばかりの暖房が必要に思えます。
そんな日の朝は、気持ち良く太陽が昇って来ておりました。




                                
                                   





                                   





                                   




先日、街中へ出た時に一度試してみた化粧品のうちの化粧水だけを購入してみました。
その時にはとても良いと感じて、これなら本製品でもいけそうだと勢い込んで買ってみたのですけれど、2、3回使ううちにどうも顔が痒くなって
きました;。
そんなことはあるまい、と自分で信じ込もうとしていたのですけれど;以前肌の調子が悪かった時のように瞼の上が少し赤くなり痒みも出てきた
ようでした。
これは駄目だなとその時点で諦め、結局は今まで使用していたものに戻しました。
エイジングに効く、と言われると肌の曲がり角など何回そのコーナーを曲がったか知れぬ程の回数を重ねておる自分ですけれど、つい;手がでてし
まいます;。
しかしやはり肌は正直なようでして、合わないものは合わないと教えてくれておるようですね。
面の皮は厚いぞ、と自負しておりますが;、それとこれとはどうやら関係ないようです。(苦笑)
せっかく購入した化粧水、せめて手の甲にでも着けて自分を慰めておこうと思います。(少し悲しいけど;)





                                        





夜、星が見えるようなら外へ出て自分の見知った星座を探すのですけれど、冬の星座の代表のようなオリオン座は、見えるは見えてもかなり早くに
山の向こうへと沈むようになりました。
そのそばにあるシリウスも以前ほどには高い位置へ見られなくなったようで、天空で一番輝く星といわれておりますがなかなかその姿を見つけるの
が難しく感じられるようになってきました。
そんなシリウスですけれど、昨夜は久しぶりで長く話してくれたようでした。




 ‘   こんばんは 私を見つけて下さってありがとうございます

     Tomokatsuさんとも 繋がっているようですね

     彼も貴方も 正確に伝えてくれるので 大変助かっています

     ただし 言葉で伝えることは限りがあります

     細かなニュアンスまでは 伝えきれない部分も 多くあるのです

     そこのところで伝えられれば より正確に あなた方に

     情報をお伝えできるのです   ’



このような言葉を掛けてくれました。
確かに向こうから伝えられる情報を、一度自分の頭の中、脳で自分の分かり易い言葉に変換して受け取ろうとしているように感じます。
上手く説明出来ないのですけれど、伝達される事柄を自分にわかり易く翻訳している感じで、分かっているのに言葉になりにくい部分で自分でも
戸惑うところがあるように感じます。
どうにも、これも上手に伝えられていないのですけれどね;。
よく言う、ツーと言えばカーのような形で伝えられるならお互いにとても楽だろうに、とも思います。
それでも多少なりとも言葉で皆様に伝えられておれば、と思う自分です。
上手くなくて、すみません;。




                                     
                                               





今朝も祝詞奏上の後、感じたことを書かせて頂きますね。


 頭上 うちの龍テラよりも上に平面的だけれど 以前より逞しく太くなったような金龍 白龍共に居る感じ
 とはいえ見えているのはその太い胴体?だけのよう

 テラは?


 “  わては 此処におるよ

    あれらは此処(この次元)へは おらへんさかいに

    見えたとしても 平面に感じるんやで   ”


 分かったようなそうではないような説明

 
 大神


 〝  あの者ら 既に戻ってきておる

    より大きくなり 此処へは入りきらぬ

    よって胴体(と思しき)しか見えぬ


    一つ越えたな

    (経済は)これから 上向く

    心配致すな

    
    そなたの龍は いつもそこへおる

    (金龍 白龍は)より高次元にて 働きを致す

    心配するな     〟
   



                                      





このようなことを祝詞の後、テラと話し、また大神からは言葉を頂いておりました。
書いておりますように自分の頭上、遥か上の辺りへかなり大きな金龍、白龍共にその胴体と思しき部分がまるでのっぺりとした平面に描かれたよう
に見えておりました。
テラもまた大神も、この者らは此方の次元では無い為、このように見えるとのことでしたけれど、もしもより高次元であるならば本来は立体的に感じ
るのではないのかしら、と自分では思えたのですけれど。
そこのところは自分ではどうしてなのか、よくわかりませんね。
先ほどのシリウスの言葉ではありませんけれど、自分の頭で処理出来ない部分については自分自身が理解出来る範囲、範疇の中での情報の処理の
仕方により、そのように感じていたのかもしれません。
それにしてもその胴体と思しき部分、かなり大きくてとても我が家の天井だけでは足りそうもないような大きさでした。

また大神の言われる経済が上向くという言葉、これはある意味タイムラグがあります;。
よく龍が自分についてくれると、即座にでも金銭面でも助けられてくるから大丈夫と言われる方が多いようですけれど、自分に限って言えば決して
そのようなことは無いかと感じております。
すぐに、と言っても神の示す「すぐに」は人間の世界でのすぐとは隔たりがあるようですので、いつとは申せませんがじきにそうなってくると解釈
しておく方がこの場合は安心出来る気がしております。
まぁ、焦らず、とはいえそれほど気長にでもなく、励みつつ待っておろうと思います。
でも、いつになるんじゃろうか;。(笑)





                                    




最後はこのところご無沙汰しておりますイルカのエーヴィンが登場してくれました。
最初に書いた肌のことについてレクチャーしてくれたようでした。



  《 やぁ こんにちは 最近来ないって?

    いや テラさんがいるじゃない? 少し遠慮してたんだよ

    しなくていいって? どうもありがとう

    僕は 元気だよ

    
    肌に合うとか合わないとかって 色々あるみたいだけど 

    ついこの間まで合っていたのに 駄目になった化粧品 

    それ今の君に必要じゃないってことだよ

    ていうか 身体の中で 飽和状態になっちゃったみたいだね

    調子いい時にはいいけど 身体の調子が今ひとつだと 難しいよね

    肌って身体の中の一つのバロメータでもあるからね

    駄目ってなると 途端に拒否しちゃうんだね

    高いとか 安いとかじゃ無いんだよね

    気持ちは こっちを使いたいと思ってても 

    真の身体の方が いやってなると 受け付けなくなっちゃうんだ

    無理しないことだよね

    これって他の事でも当てはまると 思うけどね

    それをすることで体調崩れたりとか 変調をきたすようなら 

    言わなくても分かると思うんだけど

    やっぱり合わないんだよね

    だから無理しないことだよ

    駄目と思えば そこから自分を遠ざけることも必要だよ  》

    
                   


                                        

                    


今更申すまでもないことのようですが、念押しのようにしてエーヴィンが教えてくれたようでした。
ただ彼も話しているように化粧品のこともですけれど、自分で自分に何かを強いているような場合、これはいつまでも自分がそのことを続ける事で
余計に状況が悪くなるということもありますよね。
そんな時には身体の方が拒否するのだから、そこで止めときなさいということのようです。
こんなことは自分が申すまでもなく皆様もよくご存じの事かと思います。
頭ではなんとかなるとか、まだいけるとか考えていたとしても身体は正直に限界を教えてくれているのかもしれません。





                                        



我が家はかなり山の上の方ですので、まだ桜の蕾はかなり固いようです。
それでも山のあちこちに白く咲くこぶしの花なのか、そのような姿をちらほら見かけるようになりました。
それでも下界へ下りれば川沿いの土手に咲く桜を見られるのかもしれません。
来週の出雲行き、どのあたりで桜が見えてくるものか、楽しみにしておきたいと思います。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。  
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龍との会話  宇宙(そら)翔ける白龍

2018-03-23 20:28:56 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は朝から良いお天気に恵まれました。
その分、冷え込みもかなりあったようでお向かいの車にはびっしりと白く霜が下りておりました。
日中も陽射しは春でしたけれど、今ひとつ空気は冷たい感じだったようですね。
申すように眩しいほどの太陽が昇って来ておりました。




                                      





                                      





                                       






昨日というか昨夜、ちょうどこのブログを書いている最中に息子から連絡があり、来週の頭に三連休となったので出雲へ墓参りに行かない?と言って
きました。
え?ついこの間家へ戻り、またその三連休には職場の同僚らと瀬戸大橋を渡って道後温泉へ遊びに行くとその折に話していたけれどな、と思いました
ら、どうやらご一緒するはずだった上司にあたる方が転勤になられたのだとか。
四月一日付けで次の赴任地にはおらればならないとかで、その休みを利用して向こうへ行かれるようです。
月末の小旅行を話していたくらいですので、割と急な話だったようですね。
可愛がって頂いていた方らしく、お別れするのも寂しいようですけれど、こればかりは仕方ないですね。
勤め人の辛いところかと思います。
もうひとつ、これはあまり大きな声ではいえませんけれど(って、此処でバラしてどうすんのよ;;)どうもお付き合いしていた方と上手くいかな
かったようでして;、せっかくなので大社へ参拝して縁結びして貰おうということのようです。
うちでも出来るじゃんよと言うと本人曰く、やはりきちんと玉串料を出して、本家本元;にて御祈願して頂きたいとのことでした。
まぁ、自分の母親にしてもらうのも、なんだかねぇ;ですよね(苦笑)
急に空いた三連休、一人で居ても楽しくないと思ったのでしょう。
帰る理由は、あくまで我が家のネコに会いたいのと、我が家の墓参りということのようです。  






                                       





                                       




今朝も神殿にて祝詞奏上の後に感じたことなどを書かせて頂きます。
今日は龍とも話をしておりました。


 “  我と参ろうぞ    ” 


 こう話した次の会話からはどうしてかまたいつもの関西弁

 大社 こんなに早く行くようにさせたの もしかして?


 “  そうやで   ”


 え でも八日に行くんだよ


 “  そら 行ってもええねんけども やっぱりこの月のうちに行って 

    お力もろうて来た方がええから 思うてね  ”

 
 仕事 早いねぇ


 “  そらそうや 厳島神社でもって ぎょうさんお力もろたんやさかい

    次は 大社でっせ  ”

  
 なら その勢いで京都はどうよ?

  
 “  行こう思うたら なんぼでも行けまっせ

    あんたさん次第やで  ”


  え 私?

 
 “  そうや その気持ち 心意気だけやで  ”


 という会話
 そういえば八日は 8だねぇ 龍だよね  行くか もう一度大社へ・・・




                                         
                   
 




そんな会話を自分の脳内でしておりました。
これとて後にすぐ書き出しておりましたので今回も覚えておりましたけれど、ともすれば忘れてしまうような事柄です。
昨日などは案外と覚えておりましたが、あのようなことは自分にしてみるとごくまれのようでして、記録しておかねば大抵は右から左へと抜けて
いくだけです;。
言ってしまえば、それほど他愛ないことを会話しているということですね;。
龍、テラが申すように厳島神社でお力を賜り、元気溢れておるのかもしれません。
その有り余るほどの元気で、何故かしら今一度息子まで短期間に呼び戻し、一緒に大社参拝と墓参りをセット;でさせようということのようです。
テラ自身

 “ どっか 行きたいわぁ    ”

がこのところの口癖のようでして;三次元的にこの宿主(おいおい;)であります私自身を動かそうとするならば、龍にしてみればこれ位の芸当?
朝飯前みたいなものなのでしょう。 
お膳立てしてもらったようなものですし、此処は一つ喜んで行って参りたいと思います。

龍との会話の後も、まだしばし頭の中では別の映像を見ておりました。




                      
                                        





 白龍 


 〝   我が名(あがな)は 白龍                    

     あまねく 国土を 回っておる   〟
  
 かと思うと 太陽を浴びて眩しい光の中 宇宙空間を行く姿
 月も見える
 優しい顔立ち



 変わらず下から赤いエネルギーが突き上がり頭頂より抜けていく感じ




                                        
                                     





此処で話す白龍は、自分についてくれておりましたあの龍ではなく、ともすれば宇宙を翔るあの龍かと思います。
いつも出てくるわけではなく、またどうしたら現れるのかも自分自身わからないのですが時たまこうして雄大な姿を垣間見せてくれます。
今回は自らがこうのように名乗り、日本の国土の上を行っていると伝えてくれました。
けれど次の瞬間にはその身体は既に宇宙空間にあり、真っ向から太陽の光を浴びながら悠々とでもいう風にして地球や月の間を翔けて行っておる
ようでした。
身体の大きさ自体も変幻自在に操れるということでしょうか。
顔立ちはこの度は優しげで、どこかたおやかさを感じられる姿でした。

そのような白龍の姿を感じながら座っておりますと、これも毎回のことですが下から上に突き抜けていくエネルギーのような感覚を覚えます。
今回は特に赤いエネルギーのそれが突き抜けていくようでした。





                                         





実はTomokatsuさんが今日龍のアーロンの言葉を載せておられましたので、そちらにも繋がってみました。
その折の言葉も聴いたのですけれど、これは果たして本当なのかどうか今ひとつ確信を持てませんので、確かめてからにしたいと思います。

此処でまた思い出しました。
どうもキリスト?と思しき方も今日は出てこられたようでしたが、これこそ龍の言葉ばかりに気を取られ書き留めておくのを忘れておりました。
Oh-、ジーザス;。(ふざけてはいけませんね;)
もしどこかで思い出したらば、また改めて書かせて頂こうと思います。




                                         





今日は龍が主体、主人公?のブログとなったようです。
と言っても話題はあちこち、纏まりませんでしたけれど;。
それでもいつに変わらずお付き合い頂きました皆様、真に有難うございました。
感謝申し上げます。


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龍の言葉   水へのありがとう

2018-03-22 21:31:20 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日もなんとなく肌寒い一日だったように思います。
このあたりではありませんでしたけれど、全国的に見れば雪も降ったところもあるようですしね。
外出にさすがにダウンは着ませんでしたけれど、上に羽織るものをかなり考えたような日でした。
明日以降はしかし春の陽気となるようですし、体調に気をつけねばいけませんね。
そんな朝は、まだはっきりしないお天気から始まりました。




                                   





                                   






                                   




昨日、右肩辺りが痛いと話しておりましたが、今日は一晩寝ると大分治っておりました。
当たり前といえば当たり前ですけれど;。
どうも脇というのか袖の付け根部分が若干きつい感じがしていたようで、それでかなぁなどと、どうでも良いことを考えておったのですけれどね;。
ほんのわずかのことですが、着るものでこんなに違うというのは初めてでしたので良い経験にはなった思いです。
アンダーシャツ、下着ではなく上に着る、羽織るものですので少しでも試着出来るのなら次からは試して購入したいと思いました。

痩せているので見た目がSでいけるよ、といわれるのですがいかり肩というのか案外と肩幅は普通にある感じですので、着るとちょっと窮屈という
ことも何にしもあらずでして;。
そう考えると既製服はある意味、万人に向けてのサイズを展開しているわけで(これも当然ですが;)それで合わないなら自分用に作るしかあり
ませんよね。
今の時代、服に自分を合わせているようなものなのかも、とも感じました。
ま、どうでもいいお話です;。





                                     





今朝も祝詞奏上し、その際に感じたのは日々我が家の龍、テラも変化していっているということですね。
いつも自分の傍らにおりながらもその姿は、神殿では逞しく且つ身体の色も変わっていっております。
同じようなことを毎回申しておりますけれど、見るたびにそのように感じられるのでいきなり変わりましたと報告するよりは良いかな、と;。
とは言え、それは神殿でおります時に限るようでそれ以外は本当にいつも関西弁で、どうでもいい雑談ばかりを交わしているように思います。
何を話しているのかと言っても、他愛ない話が大半を占めますので、それこそ書いておかなければいけないほどの内容でもありませんし、忘れて
しまっております。
けれど飄々とした中にも核心をつくような言葉をポロッと言ってくれるので案外油断がなりません;。
どんなこと?と言われそうですが、それこそ書き留めておりませんので難しいのですけれど;。
次からは気づいた時には、いちいちにでもメモしておこうと思います。

そうそう、今日外出した折のこと、思い出しました。
書店に立ち寄り毎度お馴染み;スピ関係の本棚辺りでおりますと、多くの方が龍に関する本を著しておられます。
見るともなく背表紙を眺めておりますと、




 “  皆さん おんなじように龍を感じてても その感じ方は皆 違うんやよ
    
    あんたさんもそうやけど 誰が正解で 誰が違うてるとか ないねんよ

    ある人の見方は こうやけど こっちの人の見方は こうとかな

    せやから 自分はこの人の龍の感じ方 見方が性に合うてると思う人の感じ方を

    見習えば ええねん

    世の中 みんな なんでも そうやろ?

    自分に合う 合わんで 決めてったら ええんやで   ”


そんなことを話してくれておりました。

また何度もしつこく自分から龍にあれこれと話しかけても彼、テラは怒るということがありません。
その度に

  
  “  なんや~?  ”


と楽しそうに返事をしてくれます。
大丈夫なのかな、と心配になっても


  “  なんで怒らなあかんの?

     色々と面白いやんか   ”


と全く意に介さぬ風に先にも申しましたように飄々としております。
頼もしい限りです。
自分も彼を見習い、もう少し気長になりたい、そう感じておるところです;。


  
                            

                                   





そんな我が家の龍、テラですが神殿でも言葉を掛けてきておりました。


 祝詞奏上し終わり ふと ありがとう この言葉 全てに有難う
 ふーっと力が抜ける感じ


  “  一つ 悟ったな   ” 

 龍の声 
 全てに感謝することで 変わってくる
 反発でははく 感謝することで波動が柔らかくなる感じ
 とげとげしい あるいは普通の (と感じていた)水も 物もふわっとする (感じ)




                                   
                                    



祝詞奏上の後、いつも奉幣を振りながら大抵は何事かを祈念するのですが、そのようなことがない場合はごく普通に「有難うございます」という
言葉を心の中でつぶやくようにしながら致しております。
誰に聞かすわけでもなく、居りますのは神様と自分のみ、もっと言えば龍との三者のみです。
ですので当たり前のようにして有難うございますを申しておるのですけれど、そうすると今日は何故かしらほーっとするような感覚があり力が抜け
たようでした。
その時、龍に 『一つ 悟ったな』 という声を掛けられたのでした。

ありがとう この言葉は誰でもが知っており、ごく普通に使う言葉です。
取り立てて特別ということでもないとも思います。
ですけれど、自分の本当の気持ちをその言葉に乗せて対 人なり 物なりに使う時、それはとても大きな力を持っておるように感じます。
心の篭っていないありがとうを相手や物に伝えても、心には響かない、反響しない、そう思います。
自分が本当に有難いなぁ、嬉しいなぁ、気持ちよいなぁ、そのようなことを感じ取りながら、対する人や物にこの言葉を伝えたとき、それはとても
心地よい響きとなるのでは、と感じます。
そんなことを思っている時に龍がこのように話してきたのでした。

水のことにも触れておりますけれど、実はあることをお風呂に入ったときにしております。
今のところ、しているのは殆どそれだけ;なのですが;。
以前にも書かせて頂きましたけれど、湯船に浸かりお風呂から出る際、何杯か最後に掛け湯をして出ますけれど、その際に最初は湯船の湯より少し
だけ温いお湯を、続いてより温い湯を、最後には冷たい水を桶に一杯入れます。
その最後のお水に向かい

 「水波能売神(みづはのめのかみ)、水の神様、火産霊神(ほむすびのかみ)、火の神様、雷神(いかづちのかみ)、電気の神様、全ての神様
  ありがとうございます この一杯のお水、掛けさせて頂きます どうぞ下水へ流れた後には、また清らかな水となりまして雨として大地へ降り
  注いでいただけますように  有難うございます」

そう自分で水に申し述べて後にこの水を被ります。
最初はヒヤッとしますが、じきに身体がかえって火照ってくるように感じられ気持ちよく思えます。
こう書いたからといって自分がエライとかそういうことを言いたいわけでは決してありません。
たった桶一杯の水ですけれど、このように使わせて頂けることが有難いと感じ、それに素直に感謝しておる、それだけのことです。
書くほどのことでは全くありません。
ならば何故、わざわざこのようのことを書いているのか、それは水一杯にありがとうを申すことが自分自身が気持ちよいから、それを伝えたいから
それだけです。
水を被ること、被らせて頂ける有難さ、そのことを素直にありがとうと伝えることで不思議と風邪を引きにくくなっているようにも感じます。
何事にもありがとうの感謝の念を持つことで、結果的には自分自身も元気にして頂けるのだはないのか、そう思います。

皆様自身がしてください、ということではありません。
してみた結果がそうですよ、ということです。
後はご自分がどう捉えるか、そういうことかと思います。
生意気に聞こえましたらば、申し訳ございません。




                                      
                                              




                                      





街中へ所用で出掛けましたけれど、帰りは風が殊のほか強く感じられました。
それでも広島市内、標準木となる桜が開花したとか。
平年よりも五日早い開花宣言のようです。
今週末辺り、お花見でお出かけになる方が増えるかもしれませんね。
皆様の辺りでは如何でしょうか。




                                        
                                     




                                       




帰りのバスから外を走る車のナンバーを見るともなく見ていると、やたらと88のゾロ目が目に付きました。


 “  わたいとおるからやよ~   ”


そんなことをついて来ていた我が家の龍、テラが申しておったようです;。
ほんまかいな;。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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