to Heart

~その時がくるまでのひとりごと

ダイアナの選択

2009-04-04 01:28:27 | the cinema (タ行)
原題 THE LIFE BEFORE HER EYES
製作年度 2008年
上映時間 90分 映倫 PG-12
原作 ローラ・カジシュキー 『春に葬られた光』(ソニーマガジンズ刊)
脚本 エミール・スターン
監督 ヴァディム・パールマン
音楽 ジェームズ・ホーナー  
出演 ユマ・サーマン/エヴァン・レイチェル・ウッド/エヴァ・アムリ/オスカー・アイザック/ガブリエル・ブレナン

ローラ・カジシュキー原作の小説「春に葬られた光」を『砂と霧の家』のヴァディム・パールマン監督が映画化した心理劇。
高校生のダイアナ(エヴァン・レイチェル・ウッド)は登校後、いつものように親友のモーリーン(エヴァ・アムリ)とトイレでおしゃべりに興じていた。そんなとき、突如銃声と叫び声が聞こえ、しばらくすると銃を手にしたクラスメートが乱入して来る。いきなり彼女たちは目の前に銃口を突きつけられ、死ぬのは二人のうちどちらかだと言われ……。(シネマトゥデイ)

一度だけ予告を観た以外、そしてお付き合いのあるブロガーさんたちの"よかった"以外
ほとんど情報を持たないで見に行きました。
おかげで一時も集中を切らさずこの作品の中に引き込まれ、満足できる内容でした

地元の高校に通う17歳のダイアナ(エヴァン・レイチェル・ウッド)は、コネチカット州郊外のスモール・タウン、ブライアー・ヒルの退屈な日々にうんざりしていた。
学校でももてあまし気味の不良少女だったが、彼女に心を許せる親友が出来る。
親友の名はモーリーン(エヴァ・アムーリ)。
毎週日曜日の礼拝を欠かさない品行方正な純粋な女の子。
性格も生き方も正反対の二人だったけど、
シングルマザーの家庭で育ったこと以外には共通点がなくてもなぜか気が合い、
ちいさなケンカをしても互いに歩み寄りいつも一緒だった。。。
かけがえのない存在として支え合っていた―事件の時も・・・。

授業前のトイレで、ダイアナはロクでもない男にあろうことか振られ、自虐的にその話をし、
モーリーンは片想いの男の子に誘われていたことを打ち明けていたその時、
17歳の二人は、この世で想像だにできない究極の、残酷な選択を強いられる。
ここで私は、日本のあるドラマのあるシーンが、頭に浮かぶ。そのことには後で触れようと思う。

なぜそのような事件が起きたのかには全く触れられない。
しかし、事件から15年後。
ダイアナ(ユマ・サーマン)は、その時のトラウマに悩まされつつも、幸せな家庭を持っていた。
誇れる夫に、昔の自分にそっくりな生意気盛りの娘エマ。そして、生徒に囲まれ美術を教え、
昔の自分の母のように、娘の学校に呼び出され・・・
そしてまた何度もフラッシュバックする、あの日、あの時。
なぜか反抗していた自分の高校時代、いつも一緒だったモーリーン・・・・・・


今でも記憶に鮮明なコロンバイン高校乱射事件や、その後いくつか続いた学校における銃撃事件。
全くテレビのニュース映像でみたシーンと同じような衝撃的シーンが冒頭にあるが、
その惨劇にもう一つの残酷な運命を決める出来事が二人の少女の身に起きていたこと、
その選択が何を与え、何を奪うのか―。それを知る物語。

深く、濃い内容のテーマを持った、見応えのある作品でした。



何時もと同じように始まったかに見えるある朝、突然生か死かの選択を強いられる、何事にもやる気のない17歳の女子高生―ということで、
「神様、もう少しだけ」で、真生が医師にHIVであることを告げられるシーンを思い出しました。
勿論、その後のヒロインの人生には共通点はない。あるのは、
輝ける青春の日を、目的もなく無為に過ごして、自分を粗末にして過ごしてきた過去
ドラマ、「神様~」の真生はその宣告の時から、無駄に過ごす「時」が無いのを知る。
神の手で刻まれていく時の音を聞き、そこから「生きる」をスタートし、前向きになっていくのだ
が、
この作品のダイアナの過ごし方にも、取り返せない青春時代、
まさにあの時、彼女は真に生きることに目覚め、神の巻く時計の音を聞いたのではないかと考える。

良心の痛み―、を見つめながら、
あのドラマで真生が全校生徒に言う「今なら間に合う」というセリフを思い出していました。
退屈で、全てが無駄に思える学校生活から逃げ出したくても、「今なら間に合う」。
多くの10代のダイアナや真生のような高校生に見て欲しい、作品でした