わたしは・・・・彼らの・・・まだ知らない道に導き・・・・・。イザヤ四二16
人生という曲がりくねった小道で、次の角を曲がると何があるのかわたしにはわかりません。
ただ、なにがあろうとも進んでいってそれに直面するとき、わたしの手は共におられるお方の手の内に握られているということだけは、わかつています。
もし心が騒ぐようなことがあれば、指先でその方のてのひらにある傷跡を探しなさい。
そうすれば人生という曲がりくねった小道で、どのような角を曲がろうとも、
わたしの罪のために十字架上で傷つけられたイエス・キリストがわたしを一人にされるようなことがないということがわかるでしょう。
W・B・ヒンソン
カウマン夫人著 「慰めの泉」より