人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

神の少数派。

2016年04月15日 | お気に入りの言葉

「そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。」士師七・六
 ギデオンは、たった三百人で巨大なミデアン人の陣営を攻め、自分たちの国イスラエルを解放する!
たった三百人というものの、神は常に少数派とともに働いてこられたというのが本当ではないだろうか。
民主主義は多数を必要とする。しかし、神は少数派で満足しておられる!
だから、たとい少数派の一人となっても落胆することはやめよう。
そして、ギデオンの三百人を思い出すことにしよう。主イエスの十二弟子のことも思い起こそう。
また、ヨナタンと道具持ちの若者のことも覚えておくことにしよう。
ヨナタンは、道具持ちを励まして言った。「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところへ渡って行こう。
たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、
小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」(1サムエル一四・六)。
こうしてギデオンの三百人はミデアン人の陣営を破り、ヨナタンと道具持ちの若者はペリシテ人を打ち、
主イエス・キリストの十二弟子は当時の世界をひっくり返したのである。
 私たちも少数派ではあっても、神が共にいてくださるなら、たとい一人でも多数派なのである。

ジョージ・B・ダンカン著 「日ごとの恵み」より


夕べの祈り。

2016年04月14日 | お気に入りの言葉

 光の父、とこしえの神よ。きょう、みことばの光をわれらに与え、われらの上に輝かせてくださつことを感謝いたします。日も暮れ、はや夕べとなりました。どうぞ、われらと共にとどまつてください。こよい、暗黒の中にあっても、われらの魂の光となり、おそれることもさまようこともないようにしてください。あなたのみ手に、われらの愛する者も、われらの家族も、われらの国も、すべてゆだねます。平安をめぐみ、あらゆる悩める者、病める者、悲しめる者、その他試みに会っている者を慰めてください。われらを守ってください。特にわれらの子どもたちを、霊的な危険から、誘惑と罪の恥辱からお守りください。そして、みことばの祝福が、み恵みによって、とこしえの命の光を見るその時にいたるまで、われらにつき添ってあることができますように。(オットー・ディーツ)

ドバースタイン編 山内六郎訳 「絶えず祈れ」より

 


あわれみの神。

2016年04月13日 | お気に入りの言葉

主はあわれみに富み、恵みふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。 詩篇一〇三・八

 神は決してめぐみふかい神ではない、と言う人が大ぜいいます。

 もし神が恵みの神であるならば、今この世界の人々を苦難や欠乏の中におかれるはずはない。妻は、酔いどれの主人のために日夜どんなに苦労していることだろうか。また大酒飲みや、犯罪者を父に持った子供たちのことを考えてみるがよい。性の邪道に迷いこむ子供たちの事や世界大戦がもたらした数えきれないほどの悲劇を考えてみるがよい。

 もし神が大能であり、そしてこのような悲惨なことを引き起こさせながら、それを平気でながめているのならば、神は恵みの神ではない、と言う人たちがあるのです。

 そのとおりです。神のあわれみに対して疑問をいだかせるためには、何もわざわざ世界大戦を引き合いに出す必要はありません。

 神はあなたから健康を奪いました。あなたの金も、妻も子も取り去ったのです。あなたの手から幸福のすべてを取って、あなたの目の前でそれを踏みつぶしてしまいました。    

無慈悲ではありませんか。

しかし、他方には、神はあわれみ深く、恵みに富んでおられるという人がいます。彼らは、どうして神をそのように見ることができるのでしょうか。

私たちはどうしたら神の恵みとあわれみを知ることができるでしょうか。この問いに答えうるような経験をもつことは、私たち自身の魂のためにも、また他の人たちのためにも有益なことだと思います。

イエスがあわれみ深いおかたであられたので、神もあわれみの神であることがわかります。イエスよりもあわれみのある人を思い出すことができますか。イエスほどあわれみに富む父とか母は絶対にありえないのです。あるいはまた、イエス以上に病める人間の魂のために、愛情を惜しみなく注いだ人もありません。

イエスは、神があわれみの神であることを、私たちに示して下さったのであります。人間のみじめさをごらんになった時、神は、天国だけに閉じこもっていることができなくなりました。神は馬小屋の中に、人との形をとって生まれ、十字架につけられて死ぬために、天上から人間の困窮の世界にまで下られたのであります。神は、神にそむく者たちがみ子イエスを十字架にかけることをこばまれなかったのです。なぜなら、神が人間をお救いになる道は、これ以外には無かったからであります。

ああ、慈悲深い神よ。わたしたは、あなたを今より永遠までもほめたたえます。

 O・ハレスビー著 「みこさばの糧 ・365日の黙想」より


あなたのみを拝することを得させてください。

2016年04月12日 | お気に入りの言葉

 わたしは、・・・・・わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、・・・・・それは、わたしがキリストを得るためである。(ピリピ三・八)

 私の知っている最も愛する偶像、それがなんであっても、あなたのすわるべき御座から引き裂くことができるように、主よ、私を助けて下さい。そして、拝することを得させてください、ただあなたのみを。 ウィリアム・クーパー

L・B・カウマン著 「山頂をめざして」より


静まることが必要。

2016年04月09日 | お気に入りの言葉

 静まって、わたしこそ神であることを知れ。 詩篇四六10

 クリスチャンの生活には、静まることが必要です。ただ心の中の静けさのみを、神は知られます。誰がイエスの足元に喜び憩うのでしょうか。イエスの子供すべてです。今や主のみがそのすべてのみ業、御旨、ご計画のすべてを支配されます。小さな礼拝堂と化した心の宮殿に、静けさの王冠を持つ王としてイエスは君臨されます。

 クリスチャンの生活には、静まることが必要です。一粒の麦は、地に落ちて死ななければなりません。もし死んだならば、死から命が、祝福に満ち満ちた命があふれます。それは言葉では表現できない奥義です。しかしそれは、静けさの中にある者のみ知らされます。神のなさることには、理解できないこともあります。しかしすべてはわたしのためになされ、わたしは神の最善を受けるでしょう。

 すべてを静かに、神にお任せしなさい。失敗も、恐れも、仇も、未来も。

 

カウマン夫人著 「谷間の泉」より

 

 

 


てのひらにある傷跡を探しなさい。

2016年04月08日 | お気に入りの言葉

わたしは・・・・彼らの・・・まだ知らない道に導き・・・・・。イザヤ四二16

 人生という曲がりくねった小道で、次の角を曲がると何があるのかわたしにはわかりません。
ただ、なにがあろうとも進んでいってそれに直面するとき、わたしの手は共におられるお方の手の内に握られているということだけは、わかつています。
もし心が騒ぐようなことがあれば、指先でその方のてのひらにある傷跡を探しなさい。
そうすれば人生という曲がりくねった小道で、どのような角を曲がろうとも、
わたしの罪のために十字架上で傷つけられたイエス・キリストがわたしを一人にされるようなことがないということがわかるでしょう。
W・B・ヒンソン
カウマン夫人著 「慰めの泉」より


まだ私にはこんなにすてきなものがたくさん残っている。

2016年04月07日 | お気に入りの言葉

 

  「あれもなくした」「これももうできなくなった」と失ったものの数ばかり数えて落ち込むのではなく、「まだ私にはこんなにすてきなものがたくさん残っていると」と、いまの自分をプラスの方向から見るように努めることも人には必要なのです。同じあなたであっても、見る角度によって、不幸なあなたにもなれば、しあわせなあなたにもなれるでしょう。

 

日野原重明著 死を越えて「生きかた上手」の言葉150より


戦争に生まれあわせたこと。

2016年04月06日 | お気に入りの言葉

戦争  金子光晴

千度も僕は考えこんだ。 一億とよばれる抵抗のなかで 「なにが戦争なのだろう?」

戦争とは、たえまなく血がながれでることだ。 そのながれでた血が、むなしく 地にすいこまれてしまうことだ。 僕のしらないあいだに、僕の血のつづきが。

敵も、味方もおなじように、 「かたなければ」と必死になることだ。 鉄びんや、橋のらんかんもつぶして 大砲や、軍艦に鋳直されることだ。

反省したり、味わったりするのは止めて 瓦を作るように型にはめて、人間を戦力としておくりだすことだ。 十九の子供も。五十の父親も。

十九の子供も 五十の父親も 一つの命令に服従して、 左をむき 右をむき 一つの標的にひき金をひく。

敵の父親や 敵の子どもについては 考える必要は毛頭ない。 それは、敵なのだから。

そして、戦争が考えるところによると、 戦争よりこの世にりっぱなことはないのだ。 戦争より健全な行動はなく、 軍隊よりあかるい生活はなく、 また戦死より名誉なことはない。 子供よ。まことにうれしいじゃないか。 互いにこの戦争に生まれあわせたことは。

 十九の子供も 五十の父親も おなじおしきせをきて おなじ軍歌をうたって。

水内喜久雄編著 「おぼえておきたい日本の名詩100」より

 


あなたの霊をわたしの中に満たして下さい。

2016年04月05日 | お気に入りの言葉

 もろもろの国民の中に言え、「主は王となられた」。 詩篇九六10

 イエスよ、あなたは命の糧です。死という粉砕機で挽かれ、あなたによってしもべの飢えを満たして下さい。

 イエスよ、あなたは選び抜かれたぶどうの木、十字架の苦しみの中に釘打たれ、あなたの霊をわたしの中に満たして下さい。

 来たるべき日の力を、あなたのからだは与えて下さいます。わたしの心の罪汚れを、あなたの血が洗い聖めて下さいます。

 わたしの心が冷えきってしまわないように、また不信仰に陥らないように、わたしの手には愛の聖餐が与えているのだと、信仰によって確信させて下さい。

 イエスよ、お客のように一時的ではなく、いつまでも留まって下さい。長い間待ちこがれていたわたしの胸に来て下さい。主よ、永遠に留まって下さい。  R・F・ペチュー

カウマン夫人著 「谷間の泉」より


高く飛ぶほうが安全です。

2016年04月02日 | お気に入りの言葉

(神は)わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたし に逆らって起りたつ者の上にわたしをあげ・・・・・。(詩篇一八・四八)

あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。(コロサイ三・二)

高度

「高く飛ぶほうが安全です」と操縦士は言った。私たちは千フィートばかり更に上昇した。高く上がれば上がるほどよりすばらしい非常着陸用の飛行場が前方はるかの眼下に見えるのだ。

「高く飛ぶほうが安全です」。次のような場合にもこの言葉はこだまする。良心が注意を促し、卑しい肉的なものに心を奪われ、罪が極彩色の衣をまとって姿を現すときにも。

空の道は、勝利者のための公道、少数者の仲間になって、生きようとする人たちの道だ。人生でも、空の旅と同じように地上を離れれば離れるほど視界は広くなってゆく。

困難の丘は、もはやなく、絶望の山も、平らかになる。高所からあなたの問題を眺めるとき、深い暗黒の谷も、みぞのように見える。

広々とした日光の照る場所にあなたが生き、高所から、あなたの輝いた道を見るとき、いかなる霧も、境界線を曇らせない。邪悪の暗黒をあいまいな灰色に見せることはできない。

「高く飛ぶほうが安全です」と使徒は言う。この世は眼下にあり、神の青空は上にある。覚えておきなさい、キリストは天に坐しておられ、あなたはそこで、彼とともになる。ああ、これが愛のクライマックス。

あなたが高所に住んで、賢明に正しく、価値判断ができるようになるとき、この世はなんと価値なきものとなることか、この世の輝きはなんと鈍くなることか。それなのに、どうしてあなたは・・きょう高所に住もうとしないのか。

ウィル・H・ホートン博士

L・B・カウマン著 「山頂めざして」より