呼び求めるわたしに答え
あなたは魂に力を与え 詩篇138篇3節
神はたんに天におられる方ではありません。
「呼び求めるわたしに答え」てくださる神であります。
神を呼び神に答えていただく、
その呼吸関係において人の魂には力が与えられるのです。
瞑想して力を得るのではありません。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
呼び求めるわたしに答え
あなたは魂に力を与え 詩篇138篇3節
神はたんに天におられる方ではありません。
「呼び求めるわたしに答え」てくださる神であります。
神を呼び神に答えていただく、
その呼吸関係において人の魂には力が与えられるのです。
瞑想して力を得るのではありません。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
この神は世々限りなくわたしたちの神
死を越えて、わたしたちを導いて行かれる。詩篇48篇15節
昔の結婚式式文の誓いの言葉の中に「死が二人を別つその時まで」という一節がありました。
愛の誠実について問う言葉であります。しかし、この言葉は、どんなに誠実な愛も死という限界を持っていることを示してもいます。
神との出会いはそういうものではありません。今ここで神との交わりだけは、死に断絶されない。
「死を越えて」いくものだといわれているのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。 箴言17章3節
金も銀も灼熱のるつぼの中で夾雑物を焼き尽くされた上で取り出されます。
試練もそうです。わたしたちを痛めつけるものはひとつもありません。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
陰口は食べ物のように呑み込まれ
腹の隅々に下って行く。 箴言18章8節
陰口はおいしいのです。
おなかのすいたときの食べ物が体のすみずみまで行きわたるように、
陰口は耳から入って全身に吸収されます。
陰口はだれかを傷つけるためのものですが、
実はそれを口にし、聞いている人間こそ病原菌のように冒しているのであります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
力を捨てよ、知れ
わたしは神。 詩篇46篇11節
いちばんむつかしいことは力を捨てることであります。
どこまでも人は自分の力に固執します。
そして力が尽きたところで倒れます。
信仰は力を捨てたところから始まるもの。
神の力をさえぎっているのは人間の力です。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。ルカによる福音書18章24節
人間の自信と誇りについて言われています。
自信と誇り――――実績という大きな財産を携えて神の国の門をくぐろうとしますが、入れません。
門は狭く、救い主の恵みにすがるこの身ひとつでしかくぐれないのであります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。 ルカによる福音書12章7節
自分のことを知られるのはいやなことであります。
髪の毛の「一本残らず」、なんて耐えられない事であります。
しかし神はそこまでわたしたちを知られます。
わたしたちを愛してくださるからです。
わたしたちは神の愛によってこそかくも深く知られる存在です。
恐れなくていいのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
その日には、誇る者は卑しめられ、傲慢な者は低くされ、
主はただひとり、高く上げられる。イザヤ書2章17節
「その日」、人間の誇りは砕かれ、傲慢は打ちすえられます。
主により頼むより他に何も持たなかった者が主と共に高く上げられることになるのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より
今日は、孫を送って米子へ。
帰りは、イオンへ。しかし駐車場はいっぱい。
それても何とか止めて中に入ってみるとレジには長い列。
これがみんなの正月の楽しみ。
主よ、あなたは貧しい人に耳を傾けその願いを聞き、彼らの心を確かにし詩篇10篇17節
人は貧しいのです。いかなる方法をもってしても、自分で自分の心を確かなものにすることはできません。
あれこれ手を尽くせば尽くすほど不安は増すばかり。貧しい人間は不安の中から神に声を上げるのです。
その声は聴かれ、心は整えられます。
人の心は上から整えられ確かにされます。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より