
かって勤めていた職場の寮が建てられていた場所は、
爆沈された船に乗っていたたくさんの人の遺体を焼いた場所だと聞かされたことを思い出した。
職員のある人たちには霊が見えるようで、怖くて独りでは泊まっていられないといっていた。
あの爆沈した船はなんだったのかと、いまごろになって思った。
男鹿半島沖で爆沈した船は、太湖丸、第15雲海丸、柏榮丸などがあるけれど、
どれも「たくさんの遺体」とは合わないようだ。
目の前で沈んだという衝撃的な出来事だったので、「たくさんの遺体」と感じたのだろうか。
考えているうちに、爆沈は男鹿半島沖ではなく、「たくさんの遺体」は海流によって
運ばれてきたのではないかと調べてみた。
それに該当する船が見つかった。
浮島丸である。
浮島丸は、敗戦後の1945年(昭和20年)8月24日17時20分頃、
京都府舞鶴湾佐波賀(さばか)沖で爆沈している。
連行されて強制労働させられていた朝鮮半島の人たちが帰国するために多数乗船していた。
公式発表よりも、数千人多く乗っていたという説もある。
湾の中だったとしても、8月の北へ流れる強い海流によって、
そのうちの何人もの遺体が男鹿半島に漂着しても不思議ではない。
この爆沈は現在でも謎で、「浮島丸事件」とよばれ、
結論は出ていないし、これからも結論が出ることはないだろう。
浮島丸
浮島丸
浮島丸
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知っている方がいたら教えていただきたい。
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