天降(あまくだ)りしてきたニニギノ命は、薩摩の国の笠沙(かささ)
の岬で美しい乙女に出会った。
「誰の娘じゃ」
「私はオオヤマツミノ神の娘で、コノハナノサクヤ姫です。」
「姉妹はいるか」
「イワナガ姫という姉がいます。」
「わたしはあなたを妻としたいが、どうじゃ」
「私は返事できません。父がお答えすることでしょう」
そこで、オオヤマツミノ神のもとへ使者を立てた。
オオヤマツミノ神はたいそう喜んで、たくさんの献上物ばかりでなく
姉のイワナガ姫を副(そ)えて、コノハナノサクヤ姫を差し出した。
ところがその姉は、ひどく醜かったので、親のもとへ送り返し、
コノハナノサクヤ姫だけを残して、一夜契りを結んだ。
イワナガ姫を戻されたオオヤマツミノ神は次のように申し送った。
「娘を二人送ったわけは、私の勝手な考えからではありません。
イワナガ姫は、岩のような永遠の命をもっことができるように、
コノハナノサクヤ姫は、木の花が咲き栄えるように繁栄されるようにと
神に祈り、誓いたてて送ったのです。
イワナガ姫を戻されたので、永遠の命をえることができず、
はかない寿命となるでしょう。」
このようなわけで、天皇方の寿命はかぎりがあり、長くないのである。
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この話のもとと考えられるセレベスのバナナ型説話では、
次のように語られている。
"最初の人間は、創造神が天から下してくれるバナナを食べて
命を保っていた。
ある日、神が石を下したので、人間が他の食べ物を求めると、
神はバナナを下して、
「お前たちはバナナを選んだから、人間の生命はバナナのように
はかなくなるだろう。
石を選んでおけば、人間の生命は石のように不変であったろう」
と言った。"
(松村武雄著「日本神話の研究』第二巻・大林太良著「日本神話の起源」)
インドネシア系種族とされる隼人族が伝えていたものが、
「古事記」に採り入れられたと考えられている。
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旧約聖書のアダムとイブの話に似ている。
なぜ命がはかないのかと誰もが考え、
物語を紡ぎ出すのかもしれない。
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人間の美醜は、「アバタもエクボ」といわれるように
好きになれば、美しく見えるものである。
参考:「古事記」 次田次郎 講談社学術文庫
ほか。
フリーソフト Inkscape、Gimp、trueSpace 使用。