賽の河原 2005.5.24
昔は主な道だった。 2005.5.24
どこかに水を引いているようだ。 2005.5.24
「板場の台」の地蔵さん 2003. 8. 5
寒風山略図
笹の茂る中の道をたどると、笹がない場所に着く。
ここが賽の河原である。
小石が敷き詰まっていて、笹が地下茎をはれないのだろし、
雨が降れば土を流し去ってしまうに違いない。
湧き水が細い流れをつくっている。この水を遠くから汲みに来る人もいるらしい。
昔は、賽の河原にある細い道が、半島北岸の北浦から岩倉などに
至る主要道のひとつであった。
現在も山菜採りの人たちが歩く、「登山道」である。
ここには飲み水があるためか、キツネやムジナが多かった。
それで、通過するときには、賽の河原に石をひとつ積み重ねなければ、
化(ば)かされたという。
提灯の明かりで歩いていれば幻覚が起きそうな場所である。
賽の河原の地蔵和讃(じぞうわさん)
これはこの世のことならず
死出(しで)の山路の裾野(すその)なる
賽の河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足(た)らぬみどりごが
賽の河原に集まりて
父上(ちちうえ)恋し 母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事(こと)変わり
悲しさ骨身(ほねみ)を通すなり
かのみどりごの所作(しょさ)として
河原の石をとり集め
これにて回向(えこう)の塔を積む
一重(いちじゅう)積んでは父のため
二重(にじゅう)積んでは母のため
三重(さんじゅう)積んではふるさとの
兄弟我身(きょうだいわがみ)と回向(えこう)して
昼は独りで遊べども
日も入りあいのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善座禅の勤めなく
ただ明け暮れの嘆きには
酷(むご)や哀(かな)しや不憫(ふびん)やと
親の嘆きは汝らの
苦患(くげん)を受くる種(たね)となる
我を恨(うら)むる事なかれ
くろがね棒をとりのべて
積みたる塔を押し崩(くず)す
その時能化(のうげ)の地蔵尊(じぞうそん)
ゆるぎ出(い)でさせたまいつつ
汝ら命短かくて
冥土(めいど)の旅に来(きた)るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母(ちちはは)と
思うて明け暮れたのめよと
幼き者を御衣(みころも)の
もすその内にかき入れて
哀(あわ)れみたまうぞ有難(ありがた)き
いまだ歩(あゆ)まぬみどりごを
錫杖(しゃくじょう)の柄(え)に取りつかせ
忍辱慈悲(にんにくじひ)の御肌(みはだ)へに
いだきかかえ なでさすり
哀れみたまうぞ有難き
三途の川(さんずのかわ)の手前にある賽の河原で、
親より先に亡くなった子どもたちが、石を積み重ねて仏塔をつくり、
生前にできなかった功徳をしようとするのだが、
できあがるころになると鬼が来て壊してしまう。
そんな子どもたちを、お地蔵さん(地蔵菩薩)が、
ほとけ様のところへつれていってくれるという、内容なのだけれども、
前半部が強烈すぎて哀しくなってしまう「歌」である。
ひろさちや の「死の世界 死後の世界」には、
次のようなことが書かれている。
子どもたちを、お地蔵さんがほとけさまの国へ運んでくださるのですから、
安心していいのです。
お地蔵さんに救いを求められるのもよいでしょうが、
絶対にお金を出さないでください。
お金を出すと、子どもや水子は救われません。
お地蔵さんが子どもたちを救われるのは、ご自身の仏道修行として
やっておられるわけですから、そこにお金を出すことは失礼です。
お金を出さないことによって、はじめてお地蔵さんのご利益があるのです。
絶対にそれを商売にしている人に騙されてはなりません。
安心して、お地蔵さんにおまかせすればよいのです。
そして、あなたは忘れ去ることです。
あなたが忘れないでいることは、ほとけさまの国に成仏させずに、
幽霊としてこの世に繋ぎ止めておくことになります。
「板場の台」に、
周囲に石が積み重ねられた地蔵さんが、西を向いて立っている。
わたしは最初、男鹿風土記の賽の河原だろうと思っていたが、
賽の河原ではないだろうと、新潟県の方から指摘されて調査すると、
賽の河原は姫ヶ岳の南山麓にあることがわかった。
だとすれば、この地蔵はなんなのだろうかと気になってきた。
地蔵が彫られた石の側面に、
「浦田 三浦傳八 明治廿九年九月」
とあった。
「傳八」という屋号の家を探して訪ねた。
傳八家の方が親切に話してくださった内容は、
「なぜ立てたかわからないけれど、なにか理由があったのだろうから、
宗泉寺の和尚さんをよんで百年祭も行いました。
以前はあそこを道が通っていたらしいです。
石は皆さんが積んでいってくれてます。
それから、地蔵さんは、もうひとつお山の方(真山か本山)にもあるらしいです。」
ということであった。
結局、由来は不明だということであるけれど、
わからないということがはっきりしただけでも、気持ちの区切りがついた。
参考:
男鹿風土記 吉田三郎 秋田文化出版社
死の世界 死後の世界 ひろさちや 徳間文庫
地図はフリーソフト、カシミールと Gimp を使用して描画した。