滝の頭(たきのがしら)
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●文化1年夏に、菅江真澄(すがえますみ)滝の頭(たきのがしら)を訪れ、
「男鹿の秋風」に以下のように書いている。
「大岩が峰から尾根から谷に落ち重なったその麓に、
ささやかな堂があり、阿遮羅(あじゃら)明王がまつってあった。
"別当箱井村尊重"とある。
拝殿は少し下の方に、二間(ふたま)ばかりのものを石の上に建ててある。
たくさんの石の間を水がくぐって流れ、堂の下、拝殿の板敷の下を
ほとばしる音がすさまじく聞こえる。」
阿遮羅明王は不動尊だろう。
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●若美町史 (若美町は現在は男鹿市)
渡部神社
「文化年間に滝の頭に龍神を祭った今木神社を分祭したもので、
大正末年に渡部開拓の祖斧松とその伯父惣治を合祭した。
渡部神社と称したのは明治29年からである。」
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秋田神社庁ホームページ 渡部神社(わたなべじんじゃ)
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地域神社の祭神と集落の結集についての試論
秋田県男鹿市渡部神社を事例として
保坂 泰彦
この村の氏神として、渡部斧松が存命中の 1847(弘化4)年に、滝の頭に
あった今木神社(祭神は岩戸別命)を分祀して、村に今木神社を建てたとさ
れる。
しかし、この表現は正確とはいえない。創建当時、今木神社の名で
呼ばれていたかどうかははっきりしないのである。
というのも、滝の頭に鎮座していたのは、神社ではなく、仏堂で「不動尊」だったのである。
しかし、明治時代になり神仏分離政策のなかで、不動尊の名は隠さなけれ
ばならなくなった。
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明治になって隠されたのは不動尊かもしれないが、
私には、それ以前に今木神が不動尊に隠されていたような気がする。
今木神(いまきのかみ)
桓武(かんむ)天皇の生母で,百済(くだら)系渡来氏族出身の
高野新笠(たかのの にいがさ)の祖神。
今木は今来(新来)の意味。渡来系の人々によりまつられていた。
参考
菅江真澄遊覧記5 東洋文庫 内田武志・宮本常一 編訳