ストーブもコタツも使っている。こんな寒い日なのに、隣の草むらに咲くセイタカアワダチソウではアリとアブラムシが動き回っていた。
この写真はシャッターチャンスと関係がない。なにか絵か写真をがないと読んでもらえないかと思って載せただけである。
私が仕事をしていた間、職場にたくさんのカメラマンが撮影に来た。
私を写しに来たのではなく、生物を写すためである。
例えば。
現在生物カメラマンのトップのひとりである岩合光昭さん。
私の職場に来たのは、仕事を始めたばかりの若いときである。このときは、当然、父親岩合徳光さんの方が有名だった。
地球環境映像祭最優秀賞、科学技術映画祭文部科学大臣賞を受賞した「雪彪(ゆきひょう)」の監督・脚本、岩崎雅典さん。
「いきものばんざい」でテレビ放映する「荒海の使者 ハタハタ」を制作するためにカメラマンといっしょに来た。
岩崎さんは男鹿市出身である。
アサヒカメラ誌に「小さい生命」を25年間連載されていた佐々木昆さん。
などである。
カメラマンたちがどのようにして撮影するのか、いつも眺めていた。
そして、私が得た「生物撮影の極意」は「忍耐強く待つ」ことだった。上にあげた方たちは夜でも眠らないで何時間もシャッターチャンスを待っていた。
カメラマンの中には、バシャバシャとシャッターを連続押して帰っていく人もいた。このようなカメラマンはたいてい、次の日恥ずかしそうに失敗したので取り直しさせてくださいと現れた。現在のようなデジタルカメラではないからその場で結果が分からないのである。すぐに写真を見ることができるポラロイドカメラで、露出などの確認をするカメラマンも多かった時代である。
植物と昆虫写真を私が撮り始めてから1年半ほどが過ぎた。
植物は動かないから撮りやすいだろうと思っていたし、昆虫はいつも目の前に来ていたような気がしていたのだが、勘違いであることをすぐに思い知らされた。
植物は風で常に動いて、朝凪・夕凪の風がやんだときには花が萎んでいたりするし、昆虫が蜜を吸うために花に止まっているのはごく短い時間だということなどを始めて知った。
生態の知識がないから、私の撮影法の極意「忍耐強く待つ」だけである。
たいてい、2脚をたててじっとして待っているのだが、動物に私の姿が見えなくなってしまうのか、足下や、頭の上の枝をヘビが通りすぎたこともある。そんなとき、私はヘビが苦手だから、体が硬くなって微動だにできない状態になった。
このページのカテゴリを「拡大・接写撮影」にしようかと考えたけれど、やはり、写真撮影の先生でもないのに、「撮影の心構え」を述べるのは身の程知らずだと、「霞んだ光景」にした。
先生といえば、リンク先のページで「男鹿の先生は・・・」と書かれていたので、謙虚な私は、「先生などと呼ばれたことはないから、違和感があります。別の呼び方にしてください」とメールを送ろうした。ここで少し考えた。
リンク先の方は内田康夫の小説をほとんど読んでしまったらしい。(私もほとんど読んでいる。) だから、浅見光彦が「軽井沢の先生」と呼ぶのと同じ感じで、別に尊称ではないようだと気がついて、メールはしないことにした。