葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

苦労しました。

2013-03-16 16:10:56 | Weblog
大変無沙汰しての投稿です。昨年暮れからD社のパソコンがXP仕様で古くなり、買い換えたのは良かったのですがWin7にした折、中のデータが壊れIDやらPWが不明になり更新できませんでした。
やっと修復しての再投稿を始めました。この間国の中のめまぐるしい動きは激動と云わざるを得ないほどの動きでした。暮れの選挙が自民党の大勝に終わり、没落民主党と意外な維新の会の低調で阿部自民の高笑いが響く中、株価は上がり、右傾化は進み何をやっても市場は好感し、ついにはTPPもGOというこの震災後2年間の空白は何だったんだろうかと言うほどの変わりようで、さぞかし民主党の落選議員は野田さんを恨んでいるんだろうなと思われる昨今ではないでしょうか?

さてこれからどうするといっても、自民党も民社党もはたまたどの政党にとってもえらい問題ばかりを抱えてこの国を引っ張っていけるのか、直面する多種多様な困難を如何に乗り切るか、お手並みを拝見しようと思うのであります。ただ、避けて通れないのは一番には震災復興です。中でも原発事故の収束を第1に考えなければ、何をやっても政治家や役人の信頼は取り戻せないだろうと思うのです。なぜ民主党政府はあの時、東電を潰させず変な形で残したのか、JAL方式で銀行や株主にも責任を取らせ新規に発送電分離で再構築させたほうが、絶対に再生は早かったはずだったのではないだろうか?外務省にチャイナスクールがあるように、経産省にもトウデンスクールがあるのかもしれないが、公共事業者としての自覚が足りないのではないだろうか。メーカーとしての経験から如何にフェールセーフを考えなかったという技術屋としては考えられない失態をしたのに、現場との温度差は信じられないものだった。

津波の防潮堤にしてもしかり、かさ上げした7Mのコンクリート作りより、昔の知恵のなだらかないわゆる堤防のほうが壊れなかったという現実もあるのだから、すべての検証を行ってその対策を早急に講ずるべきである。
現場の必要とされるものをすぐに用意する、すぐに要らないものは後回しにするなど現場責任者の裁量に任せ、首長が責任を取るといえばもっと機動的にできるはずではなかったのか?この2年間政治の不作為による復興の遅れ、何もできないロートルは忸怩たる思いで報道を見ている。

個人的なことを言えば仕事量を少なくして開発品のみに専従しようと考えているが、年明けから毎月知人、親戚、仕事仲間とすでに3回の葬儀に立会い、世の無常を感じている春弥生であり、来週はもう彼岸となる。
ちなみに『おくりびと』の影響だろうか亡くなった人との別れの顔は皆一様にきれいに化粧されていて、本当に寝ているようであった。これも日本的な死のための儀式であり、またビジネスでもあるのでと実感した。自分が棺の中に入った時にどんな顔をしているのだろうかとそんなことを考えながら見送った。

桜の開花の知らせが来て、早くも春本番の今日以降新しいPCでどれだけのことが書けるか不安ですが、世事一般の事柄や思いつくまま、グルメ旅なども書き込んで行きたいと思っております。
東北で『雪が溶けたら何になるとの質問に、春になる』と答えた小学生が居たそうな。この感覚を大人になっても持ち続けたいと思いつつ、、、
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