京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

JR東海「家康の京都」第3回 知恩院編

2024年01月01日 09時32分00秒 | 日記
 明けましておめでとうございます。
今年も京都や奈良など近畿圏の事を綴ってまいります。
どうぞよろしくお願い致します。







2024年の一回目は、12月27日に訪れた浄土宗総本山知恩院です。
"知恩院"とごく普通に通称されていますが山号は華頂山、院号は知恩教院、寺名は大谷寺で「華頂山知恩教院大谷寺」が正式名称になります。

2023年大河ドラマ「どうする家康」に関連したJR東海ツアーズの現地イベント計3回シリーズの最終回です。
(一回目は本能寺、二回目は伏見でした。)

知恩院のお坊さまの案内で広い知恩院境内地を巡ります。





この日は31日の"除夜の鐘"を撞くお坊さまを決める"試し撞き"が14時から行われます。


大みそかには、「えーいひとーつ」「そーれ」の掛け声のもと、 親綱、子綱を17人の僧侶が心を合わせて、 一打一打鐘を打ち鳴らします。
撞つく数は我々がもつ煩悩の数、108。
一年間の煩悩を払い、清らかな心で新しい年を迎える行事です。

日本三大梵鐘のひとつに数えられる巨大な梵鐘だけに近くで見ていると凄い迫力を感じます。





次に案内して頂いたのが経蔵です。

通常非公開で国指定の重要文化財です。

御影堂の東側に建っている経蔵は、三門と同じ元和7年(1621)に建てられました。

内部は、天井や柱、壁面は狩野派の絵師の手によって荘厳されています。また、徳川2代将軍秀忠公の寄附によって納められた『宋版一切経』約6千帖を安置する八角輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、『一切経』を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれています。











方丈庭園(名勝庭園)は江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられる庭園です。
池泉庭園で、方丈の華麗な建築と背後に迫る東山の風光とともに、情緒あふれる美しい風景を醸しだしています。







知恩院を庇護した徳川家康行、秀忠公、家光行をお祀りするお堂です。

御影堂の修復工事に伴い長らく拝観が中止はれていましたが令和元年(2019)3月26日より拝観が再開されました。











大方丈です。

大方丈は書院造りの形式を備え、鶴の間を中心に、上・中・下段の間、松の間、梅の間、柳の間、鷺の間、菊の間、竹の間があり、狩野派の襖絵(金碧障壁画)で飾られています。







小方丈(こほうじょう)は6室から成り、大方丈とは対照的な水墨画が描かれています。

徳川将軍が来寺の際のプライベートルームです。



集会堂(しゅうえどう)は、往古は「衆会堂」とも称せられ、寛永12年(1635)に建立されました。俗に千畳敷といわれるほど広いお堂で、御影堂の北側に隣接し、渡り廊下で御影堂と結ばれています。

徳川家康公の命により、慶長8年(1603)から慶長15年(1610)の間に建立され、寛永12年(1635)三代将軍家光公により再建されました。

御影堂修復工事期間中は、こちらに法然上人の御像が安置され御影堂の代わりとなり、知恩院の諸行事が行われたお堂です。













元祖法然上人の御影(みえい)を祀ることから、「御影堂(みえいどう)」と呼ばれ、俗に「大殿」とも呼ばれます。
現在の御影堂は寛永16年(1639)に徳川3代将軍家光公によって建てられ、間口45メートル、奥行き35メートル 幅3メートルの外縁をめぐらし、その壮大な伽藍は、お念仏の根本道場として、多くの参拝者を受け入れてきました。毎年4月に行われる法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ)、12月の御身拭式(おみぬぐいしき)などでは、堂内にお念仏の声が響き渡ります。

内部の金箔も貼り直され神々しい雰囲気です。

左側には徳川家康公と母のお大の方、徳川秀忠公の像が安置されています。
通常はお厨子の扉は閉められていて、今回の特別拝観では一般拝観の後に開扉して頂きました。





まだまだ先の話ですが、10月8日からは、京都国立博物館で特別展「法然上人と極楽浄土」が開催されます。







3種類の御朱印を授与して頂き、帰りに八坂神社下の志津屋さんで名物のカルネとカスクードをお土産に購入し帰路に着きました。

堂内は撮影禁止なので知恩院さまHPから転載させて頂きました。