最近、仕事が忙しく普段は通勤電車の車内で書いていますが、悲しいかな仕事の資料に目を通している毎日です。
「京都つれづれなるままに」の通り、無理せず書ける時には更新しようと思っています。
後、4年は現役で働かないといけないのであくまで"仕事がメインです。
と言う訳で久しぶりに更新します。
1月21日は"京の冬の旅"で公開されている大徳寺法堂・仏殿を拝観しました。
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大徳寺は勅使門、三門、仏殿、法堂、庫裡、方丈とが南北に一直線に並ぶ禅宗寺院特有の伽藍配置になっています。
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千利休はじめ茶人が参禅し、茶の湯文化と縁が深い臨済宗大徳寺派大本山。特別公開される法堂(重文)の迫力ある天井画「雲龍図」は、狩野探幽35歳の時の力作といわれ、手を叩くと龍が鳴いたように響くことから「鳴き龍」とも称されています。
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同時に公開されている仏殿(重文)は寛文5年(1665)に再建されたもので大徳寺の本堂にあたり、江戸幕府四代将軍・徳川家綱が寄進した釈迦如来坐像を安置。再建前の仏殿から引き継がれたものと伝わる狩野元信筆の天井画「天人散華図(てんにんさんげのず)」が残っていますが、随分と劣化が進んでいます。
禅宗寺院でも"お堅い"大徳寺ですが、昨年には仏殿内部への立ち入り拝観や塔頭寺院の三玄院が公開されるなど、少しずつですが公開の機運が高まっているのは有り難い事です。
堂内は撮影禁止なので掲載の写真はネットからお借りしました。
次に久しぶりに塔頭寺院"龍源院"を拝観します。