光源院に続いて相国寺本坊法堂と方丈を拝観します。



















相国寺は明徳3年(1392)に室町幕府第3代将軍義満が開基となり、夢窓疎石を勘定開山に迎えて開かれた臨済宗寺院です。
明治政府による上知令により境内地の多くを召し上げられましたが、相国寺にとっても大切な伊藤若冲筆の「動植綵絵」などの寺宝を皇室に献納し、その見返りのお金で境内地の多くを買い戻しています。
ある意味で伊藤若冲が相国寺の危機を救った事になります。
法堂


現在の法堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼が再建した現存する日本最古の法堂建築です。
仏殿を失って以降は仏殿を兼ねていています。
須弥壇中央にはご本尊の釈迦如来像が、脇侍にはお釈迦さまの弟子の迦葉尊者像と阿難尊者像がお祀りされています。
有名なのは天井に描かれた狩野光信(永徳の長男)筆の「蟠龍図」が圧倒的な存在感を示しています。
「鳴き龍」てして知られ、堂内のある場所から手を打つと反響音が響きます。
方丈

方丈室中の間に掲げられている観音さまは細かなお経で描かれています。




竹図 玉潾筆
維明和尚(第115世)の友人で当時山科に住んでい浄土宗の僧玉潾によって描かれました。

琴棋書画図 原在中筆
中国文人の間で士君子の嗜みとされた琴棋書画を画題とした図が描かれています。

こちらの杉戸絵も原在中筆です。


1807(文化4年)の再建で、方丈南庭は白砂のみの平庭ですが、北庭は趣きがガラッと変わり大きな掘り込み状の枯流れがある深山幽谷を表現した枯山水庭園です。




南庭と北庭と趣きの異なるふたつの庭園を観賞出来るのも相国寺方丈の見所のひとつです。


相国寺総門を入り左側には放生池があります。
室町時代に起こった「応仁の乱」最大の激戦地で、放生池には兵士の屍で埋め作られたそうです。


2枚目の御朱印は相国寺有馬頼底(らいてい)管長猊下の筆による「大龍」です。