京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京の冬の旅⑤ 大徳寺龍源院

2024年01月25日 19時42分14秒 | 日記
 大徳寺本坊の法堂と仏殿を拝観し、次に塔頭寺院のひとつ龍源院を拝観しました。



大徳寺では数少ない通常拝観されているお寺ですが、今回の「京の冬の旅」では通常公開されていない寺宝や開祖堂の内部が公開されています。





方丈室中の間には江戸時代に描かれた「龍と波」の襖絵が残っていますが、作者は不明だそうです。







文亀2年(1502)に能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏で創建。創建当初の建物である方丈・唐門・表門は重要文化財。方丈の周囲には、東に4坪の坪庭「東滴壺(とうてきこ)」、南に白砂の中心に楕円形の苔島を配した「一枝坦(いっしだん)」、北には相阿弥の作庭と伝わる苔庭に三尊石組を配した「龍吟庭」という3つの枯山水庭園があります。













方丈の「龍と波」の襖絵を観賞し、次に特別公開されている開祖堂へ。





龍源院の開祖・東渓宗牧(とうけいそうぼく)の木造をお祀りしているお堂です。

昭和に建立された新しいお堂ですが、天井には南画家の井上石邨(せきそん)が描いた龍図が残っています。

久しぶりに拝観した龍源院、、、見どころの多い禅宗寺院です。








京の冬の旅⑤ 大徳寺龍源院

2024年01月24日 08時35分00秒 | 日記
 大徳寺本坊の法堂と仏殿を拝観し、次に塔頭寺院のひとつ龍源院を拝観しました。



大徳寺では数少ない通常拝観されているお寺ですが、今回の「京の冬の旅」では通常公開されていない寺宝や開祖堂の内部が公開されています。





方丈室中の間には江戸時代に描かれた「龍と波」の襖絵が残っていますが、作者は不明だそうです。







文亀2年(1502)に能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏で創建。創建当初の建物である方丈・唐門・表門は重要文化財。方丈の周囲には、東に4坪の坪庭「東滴壺(とうてきこ)」、南に白砂の中心に楕円形の苔島を配した「一枝坦(いっしだん)」、北には相阿弥の作庭と伝わる苔庭に三尊石組を配した「龍吟庭」という3つの枯山水庭園があります。













方丈の「龍と波」の襖絵を観賞し、次に特別公開されている開祖堂へ。





龍源院の開祖・東渓宗牧(とうけいそうぼく)の木造をお祀りしているお堂です。

昭和に建立された新しいお堂ですが、天井には南画家の井上石邨(せきそん)が描いた龍図が残っています。

久しぶりに拝観した龍源院、、、見どころの多い禅宗寺院です。








京の冬の旅④ 大徳寺法堂・仏殿

2024年01月23日 08時57分00秒 | 日記
 最近、仕事が忙しく普段は通勤電車の車内で書いていますが、悲しいかな仕事の資料に目を通している毎日です。

「京都つれづれなるままに」の通り、無理せず書ける時には更新しようと思っています。

後、4年は現役で働かないといけないのであくまで"仕事がメインです。

と言う訳で久しぶりに更新します。

1月21日は"京の冬の旅"で公開されている大徳寺法堂・仏殿を拝観しました。









大徳寺は勅使門、三門、仏殿、法堂、庫裡、方丈とが南北に一直線に並ぶ禅宗寺院特有の伽藍配置になっています。







千利休はじめ茶人が参禅し、茶の湯文化と縁が深い臨済宗大徳寺派大本山。特別公開される法堂(重文)の迫力ある天井画「雲龍図」は、狩野探幽35歳の時の力作といわれ、手を叩くと龍が鳴いたように響くことから「鳴き龍」とも称されています。





同時に公開されている仏殿(重文)は寛文5年(1665)に再建されたもので大徳寺の本堂にあたり、江戸幕府四代将軍・徳川家綱が寄進した釈迦如来坐像を安置。再建前の仏殿から引き継がれたものと伝わる狩野元信筆の天井画「天人散華図(てんにんさんげのず)」が残っていますが、随分と劣化が進んでいます。

禅宗寺院でも"お堅い"大徳寺ですが、昨年には仏殿内部への立ち入り拝観や塔頭寺院の三玄院が公開されるなど、少しずつですが公開の機運が高まっているのは有り難い事です。

堂内は撮影禁止なので掲載の写真はネットからお借りしました。

次に久しぶりに塔頭寺院"龍源院"を拝観します。

千里阪急ホテル 館内見学と「シャガール」でのランチパイキング

2024年01月20日 09時12分00秒 | 日記
 1月12日は「千里阪急ホテル」へ。







よみうりカルチャーが主催する人気企画「関西の洋館ノスタルジー」シリーズでの見学会です。
講師は川島智生先生です。

千里阪急ホテルは、昭和45年(1970)3月に大阪万国博覧会「大阪万博」のために開業され54年の歴史を誇るリゾートホテルです。





当時、流行りだったカーブを描く128室の客室棟と、グリル・バー、コーヒーショップ、プールを持つリゾートホテルとしての開業でした。

オレンジの大屋根、白い壁で織りなすヨーロッパスタイルの外観が特徴的です。







集合時間が12時45分と言う事もあり、先ずはカフェ&バイキング「シャガール」でホテル自慢のバイキング料理を頂きます。

魚介のブイヤベースやビーフシチュー、ビーフソテーなど非常に美味しく頂きました。








吹きガラスで作られた照明、粘土器で一つずつ切り出したタイル
大屋根には自然な焼き色を活かしたタイルで濃淡をつけ、階段の手摺りに人が握った時の感触を大切に何度も削り出し試作を重ねられました。

それは、機械では決して作る事の出来ない"匠の技」が成せる技です。



2階でホテルスタッフの方と川島先生から千里阪急ホテルの歴史や館内の特徴と見どころのレクチャーがあり、スタッフさんの案内で館内を巡ります。











千里一帯は竹林を中心にする緑豊かな自然に包まれた場所でした。

設計者・渡辺鎮太郎は緑豊かな木々や草花、その地に訪れる野鳥など美しい自然環境をそのまま守り景色に溶け込むようなホテルでありたいと考えました。

広大な敷地に7つのガーデンを設け、その土地に生息していた種の木々を植樹しました。

館内の装飾も同様に「千里の自然」をモチーフにデザインされました。









アイビースクエアや倉敷市庁舎を手掛けた日本を代表する建築家・渡辺鎮太郎。
彼の愛弟子・村松慶三氏が大事にした事は、人の手で作り出される暖かさや訪れる人へ思いを込めた「人間らしさが伝わる建築でした。







客室は狭いですが何度も改装され、清潔感に溢れ、窓からは千里の自然がまだ一部残っています。









神式の結婚式場やチャペルも併設され、今も現役で使われています。

こんな素晴らしいリゾートホテル千里阪急ホテルですが、次に来年2025年に開催される大阪万博の年に営業を終了し、解体されるそうです。

またひとつ、昭和が消えて行くようで寂しい気持ちです。





京の冬の旅③ 相国寺慈雲院

2024年01月18日 07時25分00秒 | 日記
 相国寺本坊法堂と方丈を拝観し、次に塔頭寺院のひとつ慈雲院を拝観しました。







相国寺の境内外にあるので少し分かりにくいところにあります。



数年前に"京の冬の旅"で特別公開のあった慈照院の向かいなので京都通の方には直ぐにわかります。





室町時代中期に開祖・瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)により創建され、室町幕府第8代将軍義政公に重用され、幕府の外交文書の作成に当たるなど文筆の才にたけた方でした。


梅荘顕常(大典禅師)頂相



足利義俊筆の「松鶴図」

本堂に掲げられた頂相にもある第9世住持を務めた梅荘顕常(ばいそうけんじょう)・大典禅師も漢文にたけた方で室町幕府幕府の外交文書の多くに携わった方です。

特に"奇想の絵師"と言われる伊藤若冲を見出したのも大典禅師です。
この方がおられなかったら、伊藤若冲も世に出る機会が無かったのかも知れないです。


本堂仏間の中央には、ご本尊の釈迦如来像が、向かって右側には開祖・瑞渓周鳳の木像がお祀りされています。




江戸時代後期の絵師・岸連山による虎の杉戸絵です。





本堂南庭の枯山水庭園です。