油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ちょっと、前橋まで。  (7)

2020-05-06 23:51:17 | 旅行
 利根川の下流沿いに、しばし歩く。
 吹き上げてくる風がしだいに強くなり、わ
たしの残り少ない頭髪がひょろひょろ揺れる。
 若い頃はこれでもパンチパーマを美容師さ
んに頼めんだのにと、いつの間にか過ぎ去っ
てしまった長い年月を想う。
 少年時代はかわっぷちでチャンバラごっこ
をしたり、密集した葦の茂みの中でかくれん
ぼをしたりした。
 今のように、家でゲームを興じるなど、夢
のまた夢だった。
 わたしは変わっていた。
 引っ込み思案だったのだろう。
 人に交わるのが苦手で、ほかの少年に誤解
を与えてしまった。
 今ならいじめの標的になったろう。
 最後には、逃げようとするわたしに、石の
つぶてがびゅんびゅん飛んできた。
 葦の林の中から、小学校の庭先で遊んでい
る女の子が見えた時、わたしは得体のしれな
い感情につかまった。
 わたしは身をひそめ、じっと彼女たちを見
ていたいという誘惑にとらわれた。
 何かわるいことをしているような感覚に襲
われてしまい、胸がどきどきしてしょうがな
かった。
 今なら、その原因がおおよその見当がつく。
 子どもから大人へと向かう、微妙な時期だっ
たからだろう。
 とにかく日が暮れるまで、近所の少年たち
と遊んだ。
 年上の連中が、よく面倒を見てくれた。
 もはや戦後は終わり、これからは高度経済
成長の時代だ。
 そんな文句が叫ばれたのを覚えている。
 わたしの少年時代のスーパーヒーローは石
原裕次郎さん。
 女友だちを乗せ、かっこよくスポーツカー
をぶっとばす。
 裕ちゃん刈りがはやり、少年たちは歩き方
まで彼にまねた。
 ぼんやりしている。
 何もかも忘れることは、大昔のことを思い
出す時でもあった。
 キーン、キーン。
 機械のような音がわたしの耳をとらえた。
 前に進むにつれて、その音がしだいに大き
くなる。
 その音は、時々、やんだ。
 ひとりの男の人が道をはさんで、畑と土手
を行き来した。
 大事そうに彼は両手で木切れのようなもの
を持ち運んだ。
 よく見ると、畑に柵をめぐらしているのに
気が付いた。 
 「こんにちは」
 わたしは気軽に、彼の声をかけた。
 「やあ、これはこれは。この辺りはあまり
お見かけしない方ですね」
 親しみをこめ、彼はわたしに語りかける。
 「K市から来ました。ちょっと、この先の
お宅に用事がありましてね。だいたい三時間
かかりましたよ」
 「そうでしょうね。K市にはわたしは仕事
でいったことがありますから。遠いところを
よく来られましたね。あそこはサツキで有名
ですし。これからにぎわうでしょう」
 「はい」
 治療院と、彼の畑の間の距離は、およそ五
十メートル。
 彼はちらと治療院を見た。
 わたしは彼の表情の変化を見逃さなかった。
 おそらく、彼はその治療院のことについて
何かご存じなのだろう。
 去年の台風19号で、いくつかの河が越水
や氾濫があったことをこと細かに知っている。
 初めて会ったのに、わたしと彼は昔からの
知りあいのように思われ、話がはずんだ。
 だからといって、現実には、彼は赤の他人
である。
 「お元気でいてください」
 軽く会釈をし、後ろ髪を引かれる思いでそ
の場を立ち去った。
 ふいにピンク色の紙切れが、数枚、わたし
の目前を横ぎっていく。
 わたしは、ゆっくり、首をまわした。
 一本のさくらの古木が眼についた。
 強風にあおられ、花びらがわっとばかりに
枝を離れたのである。 
 またしてもわたしの頭髪がさわさわ揺れた。
 てっぺんあたりのはげた部分が、黒味がぬ
けて白くなった毛によって隠される。
 ひんやりして、寒い。
 わたしの毛は、風にもてあそばれる枯れす
すきに似ているわい、と、わたしは自嘲気味
に笑った。
 「まだまだこれからですよ。六十五歳を過
ぎると髪の毛の発育がうんとわるくなります
からね」
 かかりつけの床屋の主人がそう言ったのは、
わたしが五十代の頃だった。
 「最近、めっきり髪の毛がうすくなって困
りますよ」
 わたしが愚痴っぽくのたもうたからだ。
 以来なるべく帽子をかぶるようにしている。
 今まで見たことのない橋が見えた。
 向こう岸には、家並みが続く。
 わたしは想像力をはたらかせ、あれこれと
考えてみた。
 この街にはどんな人がお住まい何だろう。
 この橋にはいかなる歴史があるのか。
 こんなことも、見知らぬ街に来るひとつの
楽しみにちがいない。 
 (了)
 
コメント
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