油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

うぐいす塚伝  (7)

2022-01-14 00:23:37 | 小説
 地からわいたか、それとも天から舞いおり
たか。
 西端修は、なんで、どうしてやと、自らの
頭の中で、若草の山でたまたま出逢った根本
洋子なる女学生が、じぶんと同じ会社のビル
にいるわけを考えてみた。
 中途採用で入社。
 それが事実のすべてである。
 だが、修なりの納得のいく理屈は、いくら
考えても見つからない。
 北関東出身です、と出逢ったときに、彼女
の口から聞いてはいた。
 だが、それだけのこと。
 彼女がこの会社に入る必然はまったくなかっ
た。 
 西端の頭のすみに、ふうっとひとつの思い
がわいた。
 ほんの少し前、じぶんが八幡山にのぼる坂
道の途中で、今ここにいる根本洋子そっくり
の声を聞いた。
 (あれはまぼろし、そうに違いないけれど
も。ひょっとしてこの事態の伏線だっただろ
うか。いや、そんなできすぎたことがあるわ
けがない)
 西端修は、じぶんの心の状態を、落ち着い
て振りかえってみたけれども、なんらの落ち
度もないことに気づくしかなかった。
 (奈良はいにしえのみやこ、なにかにとり
憑かれてしまったのかも……)
 そう思うと、若草山のいただきで目にした
ことが鮮やかにうかんでくる。
 「根本さん、そ、そこにすわって……、山
崎さんのとなり……、とりあえずね。あとで
定位置を確保するので。山崎さん、すまんが
ね、しばらく彼女をよろしく」
 そう言いながら、西端が、根本洋子を、彼
女の事務机にまで案内する際、何気なく、彼
は、洋子の肩に、そっと手を置いた。
 ほかの女子社員が注視するなかである。
 なかなか、修はじぶんの間違いに気づかな
かったが、あっと叫んで、ようやく、その手
をひっこめたとき、
 「あらら、課長ったら、この方と以前から
お知り合いなのかしら?おかしいじゃありま
せんかね。みなさん、人は見かけによらないっ
て、ことじゃないでしょうか?でもね、しょ
うがないかもよ、若いときからずうっとひと
り身でいらしたし」
 山崎文江は、首を長くし、ふたりを見守っ
ている年配の女性社員たちに向かって、はっ
きりと言った。
 文江は、仕事のことでよく、西端にみなの
面前で、間違いを指摘されていた。
 冷や汗だろう。西端のひたいから、じくじ
くとわきだして来る。
 彼は右手でこぶしをつくり、口に当て、うっ
ううん、と咳ばらいをひとつ、おおげさにし
てから、
 「あっそうそう、それで思い出したよ、山
崎くん。あとでちょっと応接室まで来てくれ
たまえ。いやなに、もちろん、この根本くん
の指導に関することさ。相談にのってほしい
ことがあってね」
 西端は、大塚部長の顔いろを観ながら、ぽ
つりぽつりとしゃべった。
 いつもは、人のことをいろいろ詮索する部
長だが、何も言わない。
 その日は終日、修は、大海原の中で、大波
に翻弄される小舟に乗っているような気分で
いた。
 終業のチャイムと同時に、ほとんどの社員
が、すばやく部署を去っていったが、山崎文
江は残った。
 「課長、きょうはとってもお疲れさまでし
たね。こんなことしたことがないですけどね、
少し肩をもんでさしあげましょう」
 「へえ、いや、いいよいいよ。そんなこと
せえへんでも。早く帰っていいよ」
 「だって、応接室に来いって、さっき」
 「あの言葉はその時だけのもの。そう言い
たい気持ちになっただけや」
 「もう、課長のいけず」
 山崎文江は、ぷんぷん怒りながら、部室の
ドアをあらあらしく開け、じぶんの体を外の
廊下にすべりこませると、後ろ手でドアノブ
を強く引っ張った。
 根本洋子はコピー機のわきにたたずんだま
までいる。
 ほかの女性社員に頼まれた、刷っても刷っ
ても容易に終わりそうもない書類の山と格闘
していた。
 「きみ、もうやめていいから。帰りたまえ。
うちの人が心配するから。入社そうそう、ど
うしてってね」
 「はい。でも課長さん、ちょっとわたしの
お話を聞いていただけないでしょうか」
 根本洋子が伏し目がちに言った。 
 

 
 
  


 
コメント (1)
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